アイルランド聖公会は2つの大聖堂(カテドラル=主教座聖堂)をダブリンに保有しており、市壁跡の内側にあるのがクライストチャーチ大聖堂(ここにはダブリン大主教の主教座=カテドラがある)で、ちょうど市壁の外側にあるのが聖パトリック大聖堂(1870年に国立大聖堂に指定された)である。なお、大聖堂はほかの主教区にも一つずつ存在する。また、教会はダブリン南部の郊外にあるラスガー(英語版)にアイルランド聖公会神学校(Church of Ireland Theological College)を運営しており、教会の中央事務所はラスマインズ(英語版)にアイルランド聖公会教育学大学(Church of Ireland College of Education)と隣接してある。1999年に聖公会は聖パトリック旗以外を掲げることを禁止した[6]。しかし、現在でも北アイルランドの多くの教会ではイギリスの国旗を使用している。 20世紀を通じてアイルランド聖公会では、アイルランド共和国にとどまらず教徒の75%が住んでいた北アイルランドにおいても大幅な教徒の減少が起きた。しかし、共和国側においては直近2回の国勢調査において教徒の数は大幅な増加を見せ、現在では60年前の水準にまで戻している[7]。それにはいくつか理由があるとされているが、ひとつはカトリックにおいて、宗派がカトリックとプロテスタントの夫婦の間の子はカトリックとして育てられるべきであるとしたネ・テメレ
構成員
アイルランド共和国が行った2006年の国勢調査では、自身がアイルランド国教徒であると答えた人が全国的な増加を見た。割合で最も大きな伸びを見せたのが西部(ゴールウェイ県、メイヨー県、ロスコモン県)であり、数字上の伸びでは中東部(ウィックロー県、キルデア県、ミース県)が最も大きかった。ウィックロー県はアイルランド国教徒が高い割合(6.88%)にのぼり、県内にある都市グレイストーンズ(英語版)は全都市の中で最も高い割合(9.77%)となっている。
2007年に聖職授任された人数は、カトリックが9人だけであったのに対し、アイルランド聖公会は20人であった[12]。 アイルランド聖公会の運営形態は、他の聖公会派と同じく監督制をとっている。教会自体は宗教改革以前のものもそのまま使用しており、地理的な小教区 (parishes) は教区 (dioceses) に内包されている(市と県との関係のようなもの)。教区は12で構成されており、それぞれを主教がまとめている。さらに、南の5区はダブリン大主教がまとめており、北の7区はアーマー大主教がまとめる形となっている。これらは尊敬をこめて前者はアイルランド首座主教
構造
教会法および教会の方針は総会によって決定され、方針の変更には主教院(House of Bishops)と代表院(House of Representatives。司祭と一般信徒からなる)の両方で可決されなければならない。ただし重要な変更(たとえば女性を聖職につけるといったもの)については3分の2の可決が必要とされる。投票について代表院は、慣例的にしばしば公開投票をおこなう一方で、主教院は総会で結果が出る以前に非公開で投票を行う傾向がある。これは過去に1度だけ破られたことがあり、1999年5月18日(この年のキリストの昇天の日)、ポータダウン(英語版)近郊のドラムクリー教会(英語版)において、アーマー主教区と総会の代表者たちが難局を打開しようと試みる中、主教院は「アーマー大主教の努力」[13]を認めるために公開投票において満場一致で可決した。 アイルランド聖公会は主教、司祭、執事という3つの聖職者階級で構成されている。 祈祷書の最初の翻訳は1606年に出版され、1662年に作られた改訂版は1712年に出版された。
礼拝と典礼
聖公会祈祷書「聖公会祈祷書」も参照
教義と儀式「聖公会」および「en:Anglican doctrine