アイルランドの首相
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1937年にこの称号を導入したエイモン・デ・ヴァレラファシストでも独裁者でもなかったが、「指導者」という意味は、フューラーヒトラー)、ドゥーチェムッソリーニ)、カウディーリョフランコ)といった当時の独裁者の称号に似たものにしたのではないかと指摘されることもあった[10][11][12]。歴史家の中には古代アイルランドにおいてティーショクは小王を指しており、「Tanaiste」 は王が何らかの事情により存在しない王国における摂政であったと主張する者もいる。スコットランド・ゲール語では、「toiseach」は一族の長と訳され、元々はスコットランドとアイルランドのゲール語で似たような意味を持っていた[13][14][15]ウェールズ語にも似たような言葉「Tywysog([t??w?s?g])」が存在する[16]

「Taoiseach」の複数形は「taoisigh」。アイルランド語の「An Taoiseach」が英語の「The Taoiseach」に代わって使用されることもあるが、英語版のアイルランド憲法では、「The Taoiseach」と示されている[17]
称号についての議論[ソースを編集]

1937年にアイルランド憲法草案がドイル・エアランで議論されていたとき、野党政治家のフランク・マクダーモットは、憲法の英文で提案されていた「Taoiseach」の称号を英語訳の「Prime Minister」に置き換える修正案を提出した。アイルランド語版では、「Taoiseach」の称号を維持することが提案された。提案者は以下のように述べている[18]。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}「Taoiseach」のような言葉を英語に取り入れようとするのは、私には単なる作り話のように思える。99パーセントの人に間違って発音されるだろう。正しく発音するのが非常に難しい単語であることは、私も既に確認している。そうであれば、アイルランド語の尊厳のためにも、英語で話すときには、「Prime Minister」と呼ぶことを許可されるべきだと思う。(省略)これは、北アイルランドの人々を遠ざけるためにここで行われているようなことのもう一つの例にすぎない。英語を話すときに、「Prime Minister」ではなく、「Taoiseach」と呼ぶことを強要しても、何の役にも立たない。

執行評議会のエイモン・デ・ヴァレラは、この言葉の意味を「酋長」または「大尉」とした。修正案を「支持する気にはならない」と述べ、「Taoiseach」という言葉を変える必要はないと感じていた。修正案は投票で否決され、最終的に国民投票で採択された称号として「Taoiseach」が含まれることになった[19]
近代[ソースを編集]

近代的な「Taoiseach(ティーショク、首相)」は、1937年に制定されたアイルランド憲法により規定されている。1922年から1937年まで存在したアイルランド自由国においては、首相は行政評議会議長(President of the Executive Council)と呼ばれていた。自由国における首相は閣僚の解任、下院の解散を行う権利を持たず、現在の「Taoiseach(ティーショク、首相)」よりも限られた権限しか持たなかった。連立政権が成立した場合には慣例的に多数党の党首が首相に任命される。この例外として、1948年には連立党からの反対により、多数党であった共和党の党首リチャード・マルコイの代わりに同党のジョン・A・コステロが首相に任命された。2010年には、ブライアン・カウエンが、世界的な金融危機後の非常に不人気な支出削減の真っ只中で、新たな選挙が行われるまで首相としての地位を維持したが、フィアナ・フォイル党首としての地位を退き、ミホル・マーティン(カウエンが危機に対応した方法に抗議して辞任していた)が後を継ぐことを許可した。
歴代首相の一覧[ソースを編集]

1937年の憲法制定以前は、政府の長は行政評議会議長と呼ばれていた。1922年から1932年まではクマン・ナ・ゲールウィリアム・コスグレイヴが、1932年から1937年まではフィアナ・フォイルエイモン・デ・ヴァレラが就いていた。慣例では、コスグレイヴを含むように、番号が振られている。例えば、ミホル・マーティンは第14代ではなく、第15代首相と数えられている[20][21][22][23]
アイルランド自由国[ソースを編集]

行政評議会議長(President of the Executive Council)

代肖像行政評議会議長の氏名所属政党評議会就任日退任日期
1ウィリアム・コスグレイヴ
William Thomas Cosgraveクマン・ナ・ゲール
Cumann na nGaedheal
(CnaG)第1次1922年12月6日1923年9月19日3
第2次1923年9月19日1927年6月23日4
第3次1927年6月23日1927年10月11日5
第4次1927年10月11日1930年4月3日6
第5次1930年4月3日1932年3月9日
2エイモン・デ・ヴァレラ
Eamon de Valeraフィアナ・フォイル
Fianna Fail
(共和党)第6次1932年3月9日1933年2月8日7
第7次1933年2月8日1937年7月21日8
第8次1937年7月21日1937年12月29日9

アイルランド[ソースを編集]

首相(Taoiseach)

代肖像首相の氏名所属政党内閣就任日退任日連立与党期
(2)エイモン・デ・ヴァレラ
Eamon de Valera
(第1期)フィアナ・
フォイル

Fianna Fail
(共和党)第1次1937年12月29日1938年6月30日なし9
第2次1938年6月30日1943年7月1日10
第3次1943年7月1日1944年6月9日11
第4次1944年6月9日1948年2月18日12
3ジョン・A・コステロ
John Aloysius Costello
(第1期)フィナ・
ゲール

Fine Gael第5次1948年2月18日1951年6月13日労働党

国民労働党
Clann na Poblachta
Clann na Talmhan13
(2)エイモン・デ・ヴァレラ


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