アイヌ
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現在、保存運動によって若手の語り手が育成されている[44]
古式舞踊伝統舞踊を披露するアイヌ。

祭事や祝宴などで演じられた伝統的な踊りで、「ウポポ(歌)」に合わせた「リ?セ(輪舞)」がよく知られている。地域によって曲目や舞い方は異なる。1984年に国の重要無形民俗文化財に指定され、2009年ユネスコ無形文化遺産に登録[45]。また、アイヌ刀を用いた剣の舞もある。
言語「アイヌ語」および「アイヌ語方言」を参照かつてのアイヌ語の分布

アイヌの言語であるアイヌ語孤立した言語であり、日本語とは系統が全く異なる。言語類型論上は、膠着語に属する日本語とは異なり、抱合語に分類される。北海道、樺太、千島列島、東北地方北部に分布していたが、現在ではアイヌの移住に伴い日本の他の地方(主に首都圏)にも拡散している。しかし母語話者は極めて少なくなっており、ユネスコによって2009年2月に「極めて深刻」(critically endangered) な消滅の危機にあると分類された、危機に瀕する言語である[46][47]。危険な状況にある日本の8言語のうち唯一最悪の「極めて深刻」に分類された[注 7]。系統的には「孤立した言語」とされており、縄文時代の言語をそのまま残しているという説がある。文字を持たない民族であったが[注 8]、北海道はもとより、東北地方北部にもアイヌ語地名が多数残っていることから、かつては分布域が東北北部まで広がっていたと考えられている。[要出典]アイヌ語の推定起源と普及

アイヌ語は方言間の差異が小さいため、アイヌ祖語からの分岐年代を1300年前頃と見積り、それゆえアイヌ語がオホーツク人の言語の影響を受けた後に拡散した可能性を提示する説もある[48]。ただし、オホーツク人は遺伝的にニヴフやツングース系民族(ウリチやネギダールなど)と近縁であるとされているが[49]、アイヌ語とニヴフ語やツングース語族との間では一部の単語の借用はあるものの[50]、その系統関係は証明されていない。また、アイヌ語は日本語と異なる特徴を持っているが、文法の類似や発音など似ている点もある。また語彙について人をpitoや骨をpohe、神をkamuyといた人や宗教など根幹に関する言葉が似ているなど日本語の借用とするには疑問を持つような点もあり、日本語と全く異なる言語とすることは再考すべきではないかとの意見もある[51]
人口と分布アイヌの一家 (1904年)北海道のアイヌ人の分布地図 1999年樺太のアイヌ(1903年)千島アイヌ竪穴建物

アイヌの人口が比較的多い分布地は、北海道樺太千島列島カムチャツカ半島、東北地方北部である。

北海道千島列島樺太の地名の多くは、基本的にアイヌ語の地名の語音に漢字を当て字をしたものである。日本政府の命名方針はロシア語地名のある場合はコレを、アイヌ語地名を調べ、その語音の漢字表記とした[52]

ロシア連邦における調査で、2018年時点でロシア国内におけるアイヌ民族は、「カムチャツカ地方における105人」と報告されている[53]

江戸時代のアイヌの人口は、記録上最大26800人であったが、天領とされて以降は感染症の流行などもあって減少した。

1756年弘前藩勘定奉行であった乳井貢が、津軽半島漁業に従事していたアイヌに対して、平民化政策という同化政策を行った。

1809年に弘前藩では最後となる二度目の同化政策を推進した。以降も「東奥沿海日誌」で居住する彼らの子孫たちが、地域にとけ込んでいた[54]

1855年2月7日調印の日露和親条約で、樺太(サハリン)は日露両国民雑居の地とされ帰属未解決のままにされた[55]

1875年5月17日の樺太千島交換条約後、日露和親条約で不確定だった千島列島を日本領で樺太はロシア領と確定した[55]。困難な生活物資の補給と防衛上の理由から、千島のアイヌはそのほとんどが開拓使によって説得の上色丹島へ移住させられた(『千島巡航日記』)。

1897年ロシア国勢調査によればアイヌ語を母語とする1,446人がロシア領側に居住していた[56]

1945年ソビエト連邦日本に参戦し、南樺太と千島列島・北方領土を占拠、現地に居住していたアイヌは残留の意志を示したものを除き本国である日本に送還された[注 9]。残存したアイヌとその子女は、2018年にロシア政府が「ロシアの先住民」と認定す方針へ転換するまでは、「日本人とその子孫」として扱われた[57][53]

1971年調査で道内に77,000人という調査結果もある。日本全国に住むアイヌは総計20万人に上るという調査もある[58]

北海道外に在住するアイヌも多い。1988年の調査では東京在住アイヌ人口が2,700人と推計された[59]1989年の東京在住ウタリ実態調査報告書では、東京周辺だけでも北海道在住アイヌの1割を超えると推測されており、首都圏在住のアイヌは1万人を超えるとされる[23]

1992年に日本・ロシア国内以外にも、ポーランドには千島アイヌの末裔がいると報道されたが、アレウト族の末裔ではないかとの指摘もある[注 10]。一方、アイヌ研究の第一人者で写真や蝋管など膨大な研究資料を残したポーランドの人類学者ブロニスワフ・ピウスツキ樺太アイヌの女性チュフサンマと結婚して生まれた子供たちの末裔は日本にいる。

2013年の北海道庁の調査によると、北海道内のアイヌ民族は16,786人[59][23]となっており、支庁(現在の振興局)別にみた場合、胆振日高支庁に多い。なお、この調査における北海道庁による「アイヌ」の定義は、「アイヌの血を受け継いでいると思われる」人か、または「婚姻・養子縁組等によりそれらの方と同一の生計を営んでいる」人というように定義している。また、本人がアイヌであることを否定している場合は調査の対象とはしていない。

2017年の北海道による調査では、道内のアイヌ人口は約1万3000人となっている。これは2006年の2万4000人から急激に減少しているが、これは調査に協力している北海道アイヌ協会の会員数が減少したことと、個人情報の保護への関心の高まりから調査に協力する人が減っていることが挙げられ、実際の人数とは合致していないとの意見がある[60]。ただし、研究者らの間でさえも、「だれがアイヌ民族か」「だれをアイヌ民族として対象とするか」で議論があるため、正確な数は不明である[8]
第二次世界大戦後の日露におけるアイヌ
日本1930年代の日本におけるアイヌの夫婦(歴史写真会「歴史写真(昭和7年8月号)1932年」)

2009年から2014年にアイヌ研究者らによって、北海道内の五つの地域でアイヌ民族社会調査が行われた。調査を受けた264人の中で、「自分の先祖に和人の血は入っていない」との認識を示したのは一人だけだった。調査対象者の約半数は、アイヌ民族であることを普段は意識していないと答えた[8]。2016年に日本政府は日本国内の先住民として認識しているのはアイヌのみであるとしている一方で[61]国連人種差別撤廃委員会は、アイヌ民族以外に琉球民族も先住民だとし、日本政府とは異なる見解を示している[62]


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