アイヌ
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特に1987年に発表された「新人のアフリカ起源説」により、従来の定説であった「多地域進化説[注 16]が否定され、わずか20万年のあいだに現代人の直接の祖先である新人が世界中に拡散したと考えられるようになったことは人類学に大きな影響を与えた。しかし日本でこうした研究が受け入れられるようになったのは、2000年に旧石器捏造事件が発覚したのちである[88]
議論
他文化との関連

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髭を蓄えたアイヌの男性「擦文時代」も参照

近年遺伝子 (DNA) 解析が進み、縄文人や渡来人とのDNA上での近遠関係が明らかになっている。また、アイヌは、ニヴフをはじめアムール川流域に住むウリチ/山丹人との関連も強く示唆されている[89][90][91][92]擦文時代以降の民族形成については、オホーツク文化人(ニヴフと推定されている[91][92])の熊送りなどに代表される北方文化の影響と、渡島半島南部への和人の定着に伴う交易等の文物の影響が考えられている。
日露における先住民族の権利運動「アイヌ文化振興法」、「日本の民族問題」、および「アイヌ民族運動」を参照

1950年代のアメリカ合衆国で先住民族の権利主張が取り上げられるようになり、日本でもアイヌの権利回復運動が行われた[23]

日本政府は1995年3月、内閣官房長官の私的諮問機関としてウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会を設置し、同懇談会は翌1996年4月、官房長官に報告書を提出した。報告書では、「アイヌの人々の先住性」について、「少なくとも中世末期以降の歴史の中でみると、学問的にみても、アイヌの人々は当時の『和人』との関係において日本列島北部周辺、とりわけ我が国固有の領土である北海道に先住していたことは否定できないと考えられる」とした。更に、「アイヌの人々には、民族としての帰属意識が脈々と流れており、民族的な誇りや尊厳のもとに、個々人として、あるいは団体を構成し、アイヌ語や伝統文化の保持、継承、研究に努力している人々も多い」状況にかんがみれば、「我が国におけるアイヌの人々は引き続き民族としての独自性を保っているとみるべきであり、近い将来においてもそれが失われると見通すことはできない」とした。[93]

1997年アイヌ文化振興法施行によって北海道旧土人保護法は廃止された。しかし、このアイヌ文化振興法ではアイヌを先住民族と認定されなかった[23]。またアイヌ文化振興法によるアイヌ民族共有財産の返還手続きに対してアイヌ民族共有財産裁判が行われたが、2006年に最高裁で原告敗訴が確定した。

2007年9月13日に国連総会で採択された先住民族の権利に関する国際連合宣言を踏まえて、2008年6月6日、アイヌを先住民族として認めることを政府に求める国会決議が衆参両院とも全会一致で可決された[94][95][96]。北海道アイヌ協会が北海道の区域外に居住するアイヌ認定事業[97]をアイヌ政策関係省庁連絡会議申合せ[98]に基づき実施している。その際には、家系図戸籍謄本、除籍謄本等を判断資料としている。

2008年5月12日鈴木宗男が国会に提出した「先住民族の定義及びアイヌ民族の先住民族としての権利確立に向けた政府の取り組みに関する第3回質問主意書」に対し、5月20日の政府答弁書で「アイヌの人々は、いわゆる和人との関係において、日本列島北部周辺、取り分け北海道に先住していたことは歴史的事実であり、また、独自の言語及び宗教を有し、文化の独自性を保持していること等から、少数民族であると認識している。」と答弁しているが、「先住民族」であるかどうかについては、「『先住民族』に関する国際的に確立した定義がないこともあり、アイヌの人々が『先住民族』かどうか結論を下せる状況にはない」とした[99]。6月6日には、衆参両院の全会一致で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」がなされた[100]。一方で、『菊と刀』などの著作で知られる文化人類学者ルースベネディクトは、その著作の中で繰り返し、アイヌを日本の先住民族(indigenous group)と書いている[101]

2009年12月、「先住民族アイヌの権利回復を求める団体・個人署名の要請」が行われた[102]

2007年9月の先住民族の権利に関する国際連合宣言及び2008年6月の「アイヌ民族を先住民族とすることを求める(国会)決議」を受けて、内閣官房長官の下に「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」が設置され、アイヌ政策の新たな理念及び具体的な政策の在り方について総合的な検討が行われた。2009年7月に取りまとめられた同懇談会の報告書では、まず、1996年の「ウタリ対策のあり方に関する有識者懇談会報告書」について、「アイヌの人々の先住性を認めたが、これは事実の確認にとどまり、新たな政策とは結びつけられていなかった」と評価した。その上で、先住民族の定義について、「国際的に様々な議論があり、定義そのものも先住民族自身が定めるべきであるという議論もあるが、国としての政策展開との関係において必要な限りで定義を試みる」として、「先住民族とは、一地域に、歴史的に国家の統治が及ぶ前から、国家を構成する多数民族と異なる文化とアイデンティティを持つ民族として居住し、その後、その意に関わらずこの多数民族の支配を受けながらも、なお独自の文化とアイデンティティを喪失することなく同地域に居住している民族である」とし、「アイヌの人々は日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族であると考えることができる」と結論付けた。更に、「今後のアイヌ政策は、アイヌの人々が先住民族であるという認識に基づいて展開していくことが必要である」とした。[103]

2019年4月19日、アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律が成立し、同月26日公布された。同法1条の目的規定において「この法律は、日本列島北部周辺、とりわけ北海道の先住民族であるアイヌの人々の誇りの源泉であるアイヌの伝統及びアイヌの文化(以下「アイヌの伝統等」という。)が置かれている状況並びに近年における先住民族をめぐる国際情勢に鑑み、アイヌ施策の推進に関し、基本理念、国等の責務、政府による基本方針の策定、民族象徴共生空間構成施設の管理に関する措置、市町村(特別区を含み、以下同じ。)によるアイヌ施策推進地域計画の作成及び内閣総理大臣による認定、当該認定を受けたアイヌ施策推進地域計画に基づく事業に対する特別の措置、アイヌ政策推進本部の設置等について定めることにより、アイヌの人々が民族としての誇りを持って生活することができ、及びその誇りが尊重される社会の実現を図り、もって全ての国民が相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資することを目的とする。」と規定され、法制上アイヌの人々が北海道の先住民族であることを明記した。

同法に基づき、国有林野におけるアイヌにおける儀式の実施その他アイヌ文化の振興等に利用するための林産物の採取について共同使用権の取得に関する規定、内水面さけ採捕事業についての漁業法及び水産資源保護法上の許可の配慮規定などが設けられるにいたった。

2018年12月、ロシア連邦のウラジーミル・プーチン大統領は、クリール諸島(北方領土を含む千島列島)などに住んでいたアイヌ民族をロシアの先住民族に認定する考えを示した[104]
札幌市議会議員によるアイヌ民族否定

2014年8月に東区選出の札幌市議会議員自由民主党所属の金子快之[注 17]Twitterで「アイヌ民族なんて、いまはもういないんですよね。せいぜいアイヌ系日本人が良いところ」とアイヌ民族は今は存在しないとする書き込みを行っていたことが判明[106][107]、アイヌの団体などから批判され、自民党の市議会会派から除名された後、同9月に市議会からは議員辞職勧告決議[108]をうけた。金子は、北海道アイヌ協会がアイヌ民族の認定を行っていることに対し「アイヌ民族であることを法的に証明する手段が現状存在しない」とし、「アイヌ民族であることを『証明』している北海道アイヌ協会が「アイヌの血を受け継いでいる『と思われる』人」という曖昧な基準で認定しており、出自がアイヌでなくとも養子や婚姻といった手段で認定してもらえればアイヌとしての優遇措置を受けられる、北海道アイヌ協会自体に数々の『不正行為』が存在しているなどといったことを市議会で告発した。


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