アイドル
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江戸時代水茶屋にいた看板娘[49]や、明治時代に全盛を迎えた女義太夫[50]大正時代から昭和30年代頃に活躍した少女童謡歌手[51]などが現代におけるアイドル的な存在として語られることがある。

1950年代から1960年代にかけて日活青春映画などに出演していた吉永小百合美空ひばりなどが活躍していた時代であり、またそのひばりに江利チエミらを加えた「三人娘」や伊東ゆかり中尾ミエ園まりからなる「スパーク三人娘」、ザ・ピーナッツなどが現在のアイドル的なポジションで活動していた。
1970年代

1970年代には量産される女性タレントを多少の揶揄の意味を込めて「かわい子ちゃん歌手」と呼ぶ風潮があったとのことである[52]山口百恵森昌子桜田淳子花の中三トリオ)、南沙織天地真理小柳ルミ子岡崎友紀麻丘めぐみ浅田美代子伊藤咲子アグネス・チャン岩崎宏美太田裕美木之内みどり高田みづえ大場久美子石野真子といったソロアイドル歌手が多く台頭。またピンク・レディーキャンディーズは、対照的な形で1970年代末のアイドルシーンを牽引した。
1980年代中森明菜

1980年代に入り、松田聖子小泉今日子中森明菜菊池桃子早見優堀ちえみ石川秀美松本伊代河合奈保子岩崎良美柏原芳恵ら若年層に向けたポップスを主とする歌手が活躍を始め、「アイドル」の呼称が市民権を得るようになった[53][54]。1980年の時点では松田のレコード売上は新人部門4位で、ニューミュージック勢が優勢であったが[54]、1982年に小泉と中森がデビューし、女性アイドルの黄金時代となった[55]

1980年代中盤には、岡田有希子本田美奈子.荻野目洋子長山洋子(後に演歌歌手へ転向)がデビューしている。また、森口博子井森美幸山瀬まみらは歌手としては大成しなかったが、バラエティーアイドルとしてのジャンルを確立した。もっとも、森口博子はオタク文化の地位向上によって機動戦士ガンダムシリーズの主題歌の歌手として再評価されている。

また、中盤にブレイクしたおニャン子クラブはフジテレビ系夕方の番組内のオーディションから誕生。高校生を中心に多くのメンバーが在籍し、新田恵利国生さゆり河合その子福永恵規城之内早苗渡辺美奈代渡辺満里奈工藤静香らがソロデビューしている。うしろゆびさされ組うしろ髪ひかれ隊ニャンギラスら派生ユニットを次々と生み出す流れはその後のアイドル文化となった(うしろゆびさされ組の高井麻巳子岩井由紀子、うしろ髪ひかれ隊の工藤静香はソロでも活動)。

1980年代後半から、中山美穂南野陽子浅香唯酒井法子、工藤静香(前述のおニャン子クラブ出身)らが台頭し、特に中山美穂(女優と並行)と工藤静香は90年代中盤まで活躍した。また後藤久美子小川範子坂上香織喜多嶋舞宮沢りえらローティーンの子役やモデルらがテレビ・CM等を中心に美少女ブーム[56]を牽引した。デュオとしては、Winkが独特の振り付けで話題となり、レコード大賞を受賞した。

このように数多くデビューはしたが、長らく歌手として活躍できたのは松田・中森・小泉等ごくわずかで、多くは女優や歌手以外のタレント業へとシフトして行った。1986年には岡田が自殺し世間に衝撃を与えた(動機は未だ不明)。

男性アイドル事務所であるジャニーズ事務所も1970年代?1980年代は男女混合ユニットであるVIPスリーヤンキースオレンジシスターズなどの女性グループから飯野矢住代嶋田じゅん、ジャニーズ事務所二代目社長である藤島ジュリー景子などソロタレントなどが所属していた。
1990年代安室奈美恵

1990年代に入るとアイドル全体の人気が下火となり、音楽番組も次々と打ち切られる状況になる。「アイドル冬の時代」と言われる状況の中で、高橋由美子観月ありさ宮沢りえ牧瀬里穂(「3M」と称された。命名者は中森明夫)らが登場、グループではCoCoribbon東京パフォーマンスドールSUPER MONKEY'SC.C.ガールズMi-KeMelodyといったアイドルが活躍した。Winkなど1980年代に人気を博したアイドルも少数ではあるが活動を続けていた。

1994年には水野あおいという元祖プレアイドル(現在でいうライブアイドル)も活動を開始した

1990年代半ばには、小室哲哉がプロデュースしたソロアイドル歌手である安室奈美恵華原朋美が登場して互いに競争し、内田有紀らが台頭。そして織田哲郎がプロデュースした相川七瀬もソロアイドル歌手として大きな存在感を示した。一方、グループアイドルでは奥田民生がプロデュースしたPUFFYMAXSPEEDオーディション番組の『ASAYAN』から生まれたモーニング娘。が大成功を収めた。この頃から人気女性歌手はアイドルというより同性人気の高いアーティスト路線が多くなり、1980年代までのぶりっ子系のアイドル歌手とは大きく路線が異なっていた。宇多田ヒカル

1990年代後半には、鈴木亜美広末涼子浜崎あゆみ宇多田ヒカルがブレイクする。特に宇多田と浜崎は、社会現象と評される程の爆発的な人気を獲得した。

同時期には同名バラエティ番組から生まれたミニスカポリス等も人気を博した。


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