アイドル
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1960年代半ばにはグループ・サウンズブームが起こり、ザ・スパイダースザ・タイガーステンプターズオックスジャガーズワイルドワンズらが大人気となった[27][28]。グループ・サウンズでは、ザ・タイガースの沢田研二、ザ・テンプターズの萩原健一らが特に人気があった。
1970年代

郷ひろみ西城秀樹野口五郎から成る「新御三家」は、3人とも主に歌手として活動した[注 3]。さらに、ザ・タイガースの後もソロとして活動を続けた沢田研二は、ソロデビュー後も次々と大ヒット曲を世に送り1977年の「勝手にしやがれ」では、同年の『日本レコード大賞』を受賞するなどとしてソロデビュー後も人気を保ち70年代をも代表するアイドル歌手となった。ザ・スパイダース堺正章井上順はソロとなった後、ヒット曲を数曲出したが、俳優、司会やバラエティ番組出演に軸足を移した。ザ・テンプターズ萩原健一オックスの田浦幸こと夏夕介は俳優に転身し人気となった。新御三家の他にはフォーリーブスフィンガー5にしきのあきら野村将希伊丹幸雄荒川務城みちるらが登場した。アイドル百花繚乱時代であった。

この時代の男性アイドルのレコードジャケットやブロマイド、アイドル雑誌のグラビアではヨーロッパの城のような建物をバックに撮られた「白馬に乗った王子様」というような非現実的なイメージのものも多く、女性アイドル同様、手の届かない別世界のスターとして記号化される事例も見られた[29]。一例として、ギリシャ神話の彫像のような恰好をした郷ひろみの「裸のビーナス」のジャケットやメルヘンチックなタイトルの「イルカにのった少年」の大ヒットで知られる城みちるが挙げられる。また、豊川誕のように「不幸な生い立ち」が売り出しの際に喧伝されたものもいた。これらどこかおとぎ話の中の人物のような人々とは一線を画し、テレビが社会に広く浸透したことから、『笑点』の「ちびっ子大喜利」出身のグループずうとるびや、オーディション番組『スター誕生!』出身の城みちる、『スター・オン・ステージ あなたならOK!』出身のあいざき進也、『レッツゴーヤング』の「サンデーズ」出身の太川陽介渋谷哲平川崎麻世らのように素人、あるいは素人同様のタレントとしてテレビ番組に出演し、その成長とともに視聴者のアイドルとなっていく者たちもいた。

一方、若手俳優の中からも山口百恵とのコンビで一世を風靡した三浦友和石橋正次桜木健一草川祐馬国広富之などテレビドラマからブレイクし、アイドル的人気を博す者も現れた。石橋は紅白歌合戦にも出場、「夜明けの停車場」(1972年度年間ランキング第11位)が大ヒットした。沖雅也日活ニューフェイス出身だが、映画の斜陽化により、テレビドラマに進出してからアイドル的人気を得た。仲雅美井上純一加納竜は元々は歌手として売り出されたが、テレビドラマでの活躍によって人気となった。仲雅美は出演したドラマ『冬の雲』の勢いに乗り、劇中主題歌「ポーリュシカ・ポーレ」(ロシア民謡が原曲)に歌詞を付けて歌い、1971年度年間ランキング第17位の大ヒットとなった。

シンガーソングライターの原田真二も当初は、アイドルとして売り出された。

70年代は新御三家の人気が続き、雑誌メディアがポスト新御三家として「新新御三家」(城みちる・あいざき進也・豊川誕(3人目は荒川務か松田新太郎の場合も))、「新新新御三家」(草川祐馬・加納竜・山本明)というセットを喧伝したが定着しなかった。
1980年代

1979年の『3年B組金八先生』で生徒を演じた田原俊彦近藤真彦野村義男から成るたのきんトリオジャニーズ事務所)がソロ歌手デビューし、次々とヒットを飛ばした。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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