「アイドル」である場合は熱狂的ファンからは、女性アイドルには処女性、男性アイドルには「性的接触者が居ない」という理想像を概ね持たれている。そのため、本人の意図を問わず「アイドル」である場合は、熱愛など異性との性的接触系のスキャンダル発覚または既婚や結婚との報道後に売上が激減し、商品価値がなくなる場合がある[5][6][7][8][9][10][11][12][13][14]。
日本語としての「アイドル」の場合、英語圏では一般的な「idol(偶像)」よりも特殊な定義になるため「Japanese idol」として区別されている。日本のアイドル、ビジネス形態は、K-POPなどの他国における「アイドル売り(ドル売り)」のロールモデルとなった[15][16]。
稲増龍夫やカネコシュウヘイは「アイドル」を『成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物』と定義している[17]。 キャラクター性を全面に打ち出し、歌・ダンス・演技・お笑いなど幅広いジャンルで芸能活動を展開しやすいのが特色である[17]。ただし、歌手等のアーティストとは異なり、それらの上手さは必須条件ではなく、どれだけ恋愛感情による多数の購入で売上貢献してくれる「ファン」が発生してくれるかとは関係ないので、各技術が最低限しか無くても問題にはならない[4]。 外見が最も重要視されるモデルとは異なり、容姿が圧倒的である必要はなく親しみやすい存在であることが多い[17]。 欧米では1939年にはジュディ・ガーランドが『オズの魔法使い』で一躍アイドル・スターになり、1940年代にidol 日本においては当初「アイドル」という言葉は、主に日本国外の芸能人を対象にした呼称として用いられた[19][注 1]。「日本で最初のアイドル」として挙げられる一人に、明日待子がいる[20][21]。 1960年代には、産業としての映画の衰退、本格的なテレビ時代の到来、グループ・サウンズのブーム[注 2]が巻き起こる過程で、徐々に「スター」と並行して「アイドル」の呼称が用いられるようになった[22]。1970年代に至り、未成熟な可愛らしさ・身近な親しみやすさなどに愛着を示す日本的な美意識を取り入れた独自の「アイドル」像が創造された。1968年に設立されたCBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)が、それまでレコード会社が楽曲制作を自社の専属作家に任せていたのを、無所属の作家に開放したことが切っ掛けで、「アイドル歌謡」が隆盛するようになった[23]。 1980年代後半の昭和から平成の変わり目に状況一変し、「夜のヒットスタジオ」や「ザ・ベストテン」が相次いで終了と共に、アイドル歌手のメディア露出は激減した。ここから1990年代後半にモーニング娘。が登場するまでの間を「アイドル冬の時代」と呼ぶ[24]。 その後、2010年代に至るまで女性アイドル産業が特に盛んな背景として、「元来女性は、男性にはない感動しやすい習性、精緻なる感受性をもつがゆえに、巫女的な妹の力(いものちから)を得て、生きる力、幸福への道を伝えることができる」とする、民俗学者・柳田國男の評論が持ち出されることもある[25]。 経済学者の田中秀臣は、「アイドルの人気には不景気を打破する効果はないのに、多くの人はアイドルで景気が良くなると錯覚してしまう。そのため、不況時には、さまざまなアイドルが誕生し、想定外の奇抜なアイドルを出現させてしまう」と述べる[26]。 この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2018年11月) 1950年代のロカビリーブームでは平尾昌晃、ミッキー・カーチス、山下敬二郎らが戦後最初期の男性アイドルとなった。歌謡界では、ロカビリーブーム直前の昭和32年12月にデビューした神戸一郎がアイドルの元祖と紹介されることもある。1960年代に「御三家」と呼ばれた西郷輝彦らが人気となり、ほどなく三田明も登場した。 1962年にはジャニーズ事務所の第1号グループであるジャニーズがデビューし、歌って踊るという現代に繋がるアイドルのスタイルが確立された。他にスリー・ファンキーズらの、いかにも芸能的・商業主義的なアイドルも存在し、ジャニーズのあおい輝彦らは時代に即したスターとして週刊明星、週刊平凡のグラビアを飾り、ブロマイドの売り上げは人気のバロメーターになっていた。 1960年代半ばにはグループ・サウンズブームが起こり、ザ・スパイダース、ザ・タイガース、テンプターズ、オックス、ジャガーズ、ワイルドワンズらが大人気となった[27][28]。グループ・サウンズでは、ザ・タイガースの沢田研二、ザ・テンプターズの萩原健一らが特に人気があった。 郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎から成る「新御三家」は、3人とも主に歌手として活動した[注 3]。さらに、ザ・タイガースの後もソロとして活動を続けた沢田研二は、ソロデビュー後も次々と大ヒット曲を世に送り1977年の「勝手にしやがれ」では、同年の『日本レコード大賞』を受賞するなどとしてソロデビュー後も人気を保ち70年代をも代表するアイドル歌手となった。ザ・スパイダースの堺正章、井上順はソロとなった後、ヒット曲を数曲出したが、俳優、司会やバラエティ番組出演に軸足を移した。ザ・テンプターズの萩原健一、オックスの田浦幸こと夏夕介は俳優に転身し人気となった。新御三家の他にはフォーリーブスやフィンガー5、にしきのあきら、野村将希、伊丹幸雄、荒川務、城みちるらが登場した。アイドル百花繚乱時代であった。
概要
アイドルの起源
日本におけるアイドル
男性アイドル史
1950年代、1960年代ザ・スパイダース
1970年代
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