アイダホ州
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1860年代初期、ロッキー山脈中の新しい準州の名称を決めようとしていたときに、奇抜なロビイストジョージ・ウィリングが「アイダホ」をショショーニ・インディアンの言葉で「山から昇る太陽」あるいは「山々の宝石」の意味であるとして提案した。しかしこれは後にウィリング自作の造語であったことが明らかになった[4]。連邦議会は1861年2月に一旦この地域の名前を「コロラド準州」とすることに決めた。現在のコロラド州では、議会が「アイダホ」という名前を採用することに先行しようとして、ある町の名前を「アイダホ・スプリングス」と名付けた。アイダホ州北部のコー・ダリーン湖

しかし、「アイダホ」という名前はそのまま進まなかった。連邦議会がコロラド準州(現在のコロラド州)を創設したのと同じ年に、ワシントン準州東部にアイダホ郡と呼ぶ郡が創られた。この郡名は1860年にコロンビア川で進水した蒸気船の名前を採ったものだった。この蒸気船がウィリングの創作が露見したよりも前に名付けられたのか、あるいは後に名付けられたのかは不明のままである。それでもアイダホ郡を含むワシントン準州東部から1863年にアイダホ準州が創設された。

名前の由来に関する証拠が無いままに、20世紀以降の多くの文献では、ウィリングがショショーニ語の "ee-da-how" から「アイダホ」を派生させたという証言を事実として記録している。

「アイダホ」という名前は平原アパッチ族の「敵」を意味する "idaah??" から出てきた可能性がある。コマンチェ族はこの言葉をアイダホ準州を呼ぶときに使った[5]

アイダホ州の歴史教科書は次のようになっている。

「「アイダホ」はショショーニ・インディアンの感嘆詞である。この言葉は3つの部分がある。最初は Ee であり、「降りてくる」という意味を表す。2つめは dah であり、ショショーニ語で「太陽」と「山」の双方を表す語幹あるいは語基である。3つめは how であり、驚きを意味し、ショショーニ語では感嘆符 (!) と同じ意味を表している。ショショーニ語では Ee-dah-how であり、インディアンの思考では「注意せよ!太陽が山から降りてくる」ということになる[6]。」

歴史詳細は「アイダホ州の歴史」を参照

アイダホ州の地域には14,500年ほど前に人類が居たと考えられている。1959年、ツインフォールズ市に近いウィルソン・ビュート洞穴を発掘したとき、鏃など人間の活動の証拠が現れ、北アメリカ大陸では最古級の人工物とされた[7]。その後州北部ではネズ・パース族インディアンなどが、州南部では北部および西部ショショーニ族インディアンなどが支配していた。

フランス系カナダ人の罠漁師がこの地域に入ってきたことは今日まで残る地名に表されている。すなわちネズパース、コー・ダリーン、ボイシ、パイエットなどであり、ルイス・クラーク探検隊やアストリアの探検隊がこの地域に入る以前から存在していた。これら探検隊にもその地理に詳しいことで採用されたフランス人やメティスのガイドがかなり多く含まれていた。

ルイス・クラーク探検隊は1805年に太平洋に向かう途中と1806年の帰路でアイダホ地域を通過した。どちらも大半はクリアウォーター川を辿って行った。先住民以外で最初の集落は1909年に北西会社のデイビッド・トンプソンがポンダレイ湖岸に毛皮交易のために設立したクリースペル・ハウスだった[8][9]。1812年、当時太平洋毛皮会社のために働いていたドナルド・マッケンジーが現在のルイストンに近いクリアウォーター川下流に基地を設立した。この基地は「マッケンジー・ポスト」あるいは「クリアウォーター」と呼ばれ、太平洋毛皮会社が1813年に北西会社に買収されるまで続き、その後は放棄された[10][11]。現在のアイダホ州内で最初の組織化された集落の試みは1860年に設立されたものだった[12][13]。最初の恒久的で、その後に法人化された町は1861年のルイストンだった。

アイダホの地域はオレゴン・カントリーの一部として、アメリカ合衆国とイギリスの双方が領有を主張していたが、1846年にアメリカ合衆国が議論を残さない方法で支配権を取得した。1843年から1849年まで、現在のアイダホ州は事実上オレゴン暫定政府の支配下に置かれた。オレゴンが州になり、当初のオレゴン準州に含まれ新州に入らなかったアイダホなどの地域はワシントン準州とされた。

このときから1863年7月4日にルイストンでアイダホ準州が設立されるまでの間、現在のアイダホ州の部分はオレゴン、ワシントンおよびダコタの各準州に含まれていた。新しいアイダホ準州には現在のアイダホ州の他にモンタナ州、およびワイオミング州の大半が含まれていた。

準州都が違法行為と混乱のうちに1864年12月にルイストンを離れ、1865年1月にボイシに移されたこと、1877年にモルモン教の一夫多妻実行者がアメリカ合衆国最高裁判所から公民権を剥奪されたこと[14]、およびネバダ州が1863年から先に州になっていたことなど準州として幾らかの困難さを経た後、アイダホ州は1890年に州に昇格した。州の経済は鉱業に支えられていたが、後には農業、林業および観光業に移っていった。

近年のアイダホ州は観光業と農業の州としての基盤に科学技術産業を加えて拡大している。科学技術産業は州内の産業の中で最大(州の所得の25%以上)となり、農業、林業、鉱業を合わせたよりも大きくなった[15]

アイダホ州歴史協会やその他多くの地方歴史協会と博物館はアイダホ州の文化遺産を保存し、宣伝に努めている。
地理「アイダホ州の郡一覧」も参照アイダホ州の地形図アイダホ州の土地の60%は合衆国森林局あるいは土地管理局が保有している。全陸地に占めるその比率としては国内でも高い方である[16][17]

アイダホ州はワシントン州オレゴン州ネバダ州ユタ州モンタナ州ワイオミング州およびカナダブリティッシュコロンビア州 (アイダホ州とカナダの国境は長さ48マイル (77 km)) と境界を接している。その景観は起伏が激しく、国内でも有数の自然を残した地域がある。例えば、フランクチャーチ・帰らざる川原生地域は広さが230万エーカー (92,000 km2) あり、大陸アメリカ合衆国の中では最大の一続きの保護原生地である。位置的にはロッキー山脈の中にあり、豊富な天然資源と美しい景観がある。雪を抱いた山脈、急流、広大な湖および急峻な峡谷がある。スネーク川の水流は合衆国の中でも最も深い谷となっているヘルズ峡谷を抜けている。

ショショーニ滝はナイアガラ滝よりも高い岩の崖から流れ落ちている。主要河川としてはスネーク川、クラーク川すなわちポンダレイ川、クリアウォーター川、サーモン川がある。その他重要な川としては、コー・ダリーン川、スポケーン川、ボイシ川、ペイエット川がある。サーモン川はヘルズ峡谷からスネーク川に入り、その北岸はルイストンが郡庁所在地となっているネズパース郡の南側郡境となっている。クリアウォーター川とスネーク川の合流点にあるルイストンの港は、太平洋岸のオレゴン州アストリアから川沿いに465マイル (750 km) 入った最も内陸の海港である[18]

アイダホ州の最高点(標高12,662 フィート, 3,862 m)はマッケイの北、ロストリバー山地のボーラ峰である。アイダホ州の最低地点はクリアウォーター川がスネーク川に合流しワシントン州に流れ込む地点にあるルイストンである。ソートゥース山脈はアイダホ州の最も有名な山脈と考えられている[19]。その他の山脈としては、ビタールート山地、ホワイトクラウド山脈、ロストリバー山地、クリアウォーター山脈およびサーモンリバー山脈がある。

アイダホ州には標準時間帯が2つある。ボイシ都市圏、アイダホフォールズポカテッロおよびツインフォールズが入っている南部は山岳部標準時である(立法上のあやで理論的にこの地域を中部標準時としたが、2007年の改定でこの誤りが修正された)[20]。サーモン川の北側、コー・ダリーンモスコー、ルイストン、サンドポイント各市のある地域が太平洋標準時である。この地域はワシントン州第2の都市であるスポケーン市が近く、商業的にも文化的にもワシントン州を中心に展開している。
国立公園、保存地、保護区、歴史史跡

シティ・オブ・ロックス国立保存地

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