その後、9世紀末から10世紀にかけて、ノルウェー人とスコットランドおよびアイルランドのケルト人がフェロー諸島を経由して移住した。定住した人類は木炭を作るために森林を広範囲に伐採した。人類が入植する前は、国土の4分の1が樺の森林であったが、19世紀まで続いた伐採により森林面積は1パーセントに減少した。入植者は牛や豚といった家畜をアイスランドに持ち込んだが、寒冷地ゆえに羊毛を目的とする羊の飼育が盛んになった[19]。羊は植物であれば若木を含めて食べてしまうため、国土の3分の2を覆っていた植生が2分の1に減少し、アイスランドは表土の露出した荒涼たる風景となってしまった[19]。
新天地と自治の終焉漁業博物館 Osvor、ボルンガルヴィークゲラルドゥス・メルカトルによって17世紀初頭に公開されたアイスランドの地図
新しい国を目指した移民たちは王による統治ではなく、民主的な合議による自治を目指した。これが930年に発足した世界最古の民主議会「アルシング」であり、これを国家の誇りとしている。
アルシングによる統治が続いた約300年の間、アイスランド人はさらなる新天地を目指した。アイスランド人のレイフ・エリクソンはヨーロッパ人としてアメリカ大陸を初めて訪れた。これはコロンブスによる「発見」よりおよそ500年も前のことであった。この事実は長く懐疑的に受け取られていたが、カナダのニューファンドランド島にあるランス・オ・メドーの発掘によってその業績が証明された。また、ミトコンドリアDNAの解析により、アジアとアメリカ大陸で検出されていたハプログループC1系列の新型であるC1e型がアイスランド人から発見され、アイスランド人の女性がアメリカ大陸で子孫を残してミトコンドリアDNAが受け継がれた可能性(ミトコンドリアDNAは母から子へのみ受け継がれる)が指摘されている。ただし、科学分析はその性質上、追試が必須であるため、この結果をもってして、欧州からのDNAを遡れたとは言えないため、今後のさらなる検証や追試が期待される。首都レイキャヴィークのハットルグリムス教会にはアルシング発足1000年を記念し、1930年にアメリカ合衆国から寄贈されたレイフ・エリクソンの像がある。「アメリカ大陸の発見」も参照
13世紀以降はノルウェー(1262年 - )およびデンマーク(1397年 - )の支配下に置かれる[3]。 19世紀に入り、国民はヨン・シグルズソンを中心に独立運動を展開した結果、1874年に自治法が制定され、1918年にデンマーク国王主権下の立憲君主国、アイスランド王国として独立(同君連合)。 第二次世界大戦でデンマークがナチス・ドイツに占領(北欧侵攻)されたのを機に1940年、イギリス軍が駐留(アイスランド侵攻)[3](のちにアメリカ合衆国も派兵)。1944年6月17日に共和国として完全な独立を果たした。国際連合に加盟したのは1946年11月である。 1949年には北大西洋条約機構(NATO)に加盟。欧州経済領域(EEA)協定が1994年発効した[3](アイスランドを含む欧州自由貿易連合(EFTA)と、欧州連合(EU)を包含)。
独立
政治詳細は「北欧の政治#アイスランドの政治」および「アイスランドの政治(英語版
トランスペアレンシー・インターナショナルが毎年発表している腐敗認識指数[21]によれば、「世界で11番目に汚職が少ない国」(2019年時点)と評価されている。 国家元首である大統領は国民から直接選挙される。政治的な実権はなく、象徴的な地位を占めるに留まる。 1980年、ヴィグディス・フィンボガドゥティルが直接選挙によって選出された世界初の女性大統領となった。 行政機関は首相府、産業・イノベーション省、財務・経済省、内務省、教育・科学・文化省、環境・天然資源省、外務省、福祉省がある。 一院制議会であるアルシングは63名の議員で構成されている。議員は4年に1度国民から直接選挙される。 議院内閣制が採用されており、通常はアルシングにおける多数党の党首が大統領によって首相に任命される。 アイスランドでは北欧五党制が定着しており、過半数の議席を占める党は存在せず、連立交渉が行われた後に連立政権が誕生する。 司法権は最高裁判所に属している。「アイスランド最高裁判所」および「アイスランドの憲法 北欧諸国との協調を外交の要としている。欧州連合(EU)には加盟していないが(後述)、欧州経済領域(EEA)やシェンゲン圏の一部として他のヨーロッパ諸国とも密接な関係を維持している。
大統領
行政
立法
政党詳細は「アイスランドの政党」を参照
司法
国際関係詳細は「アイスランドの国際関係(英語版
外交