アイスランドは火山活動により1600万年前に北大西洋に誕生した[19]。871年に大規模な火山活動が2度あり、アイスランド全体が火山灰に覆われたが、人工物はその火山灰の上の地層からしか発見されていない[19]として、最初の入植は紀元874年であり、ノルウェーからやってきたとされていた[19]。アイスランド植民黎明期についての記録として『植民の書』が伝わる。2001年、レイキャビク市内でアイスランド最古の人工物が同地層の下から発掘されたことにより、871年以前から人類が居住していたことが確認されている[20]。人類がアイスランドに入植する以前は、陸生哺乳類はホッキョクギツネだけしかいなかった[19]。
その後、9世紀末から10世紀にかけて、ノルウェー人とスコットランドおよびアイルランドのケルト人がフェロー諸島を経由して移住した。定住した人類は木炭を作るために森林を広範囲に伐採した。人類が入植する前は、国土の4分の1が樺の森林であったが、19世紀まで続いた伐採により森林面積は1パーセントに減少した。入植者は牛や豚といった家畜をアイスランドに持ち込んだが、寒冷地ゆえに羊毛を目的とする羊の飼育が盛んになった[19]。羊は植物であれば若木を含めて食べてしまうため、国土の3分の2を覆っていた植生が2分の1に減少し、アイスランドは表土の露出した荒涼たる風景となってしまった[19]。
新天地と自治の終焉漁業博物館 Osvor、ボルンガルヴィークゲラルドゥス・メルカトルによって17世紀初頭に公開されたアイスランドの地図
新しい国を目指した移民たちは王による統治ではなく、民主的な合議による自治を目指した。これが930年に発足した世界最古の民主議会「アルシング」であり、これを国家の誇りとしている。
アルシングによる統治が続いた約300年の間、アイスランド人はさらなる新天地を目指した。アイスランド人のレイフ・エリクソンはヨーロッパ人としてアメリカ大陸を初めて訪れた。これはコロンブスによる「発見」よりおよそ500年も前のことであった。この事実は長く懐疑的に受け取られていたが、カナダのニューファンドランド島にあるランス・オ・メドーの発掘によってその業績が証明された。また、ミトコンドリアDNAの解析により、アジアとアメリカ大陸で検出されていたハプログループC1系列の新型であるC1e型がアイスランド人から発見され、アイスランド人の女性がアメリカ大陸で子孫を残してミトコンドリアDNAが受け継がれた可能性(ミトコンドリアDNAは母から子へのみ受け継がれる)が指摘されている。ただし、科学分析はその性質上、追試が必須であるため、この結果をもってして、欧州からのDNAを遡れたとは言えないため、今後のさらなる検証や追試が期待される。首都レイキャヴィークのハットルグリムス教会にはアルシング発足1000年を記念し、1930年にアメリカ合衆国から寄贈されたレイフ・エリクソンの像がある。「アメリカ大陸の発見」も参照
13世紀以降はノルウェー(1262年 - )およびデンマーク(1397年 - )の支配下に置かれる[3]。 19世紀に入り、国民はヨン・シグルズソンを中心に独立運動を展開した結果、1874年に自治法が制定され、1918年にデンマーク国王主権下の立憲君主国、アイスランド王国として独立(同君連合)。 第二次世界大戦でデンマークがナチス・ドイツに占領(北欧侵攻)されたのを機に1940年、イギリス軍が駐留(アイスランド侵攻)[3](のちにアメリカ合衆国も派兵)。1944年6月17日に共和国として完全な独立を果たした。国際連合に加盟したのは1946年11月である。 1949年には北大西洋条約機構(NATO)に加盟。欧州経済領域(EEA)協定が1994年発効した[3](アイスランドを含む欧州自由貿易連合(EFTA)と、欧州連合(EU)を包含)。
独立
政治詳細は「北欧の政治#アイスランドの政治」および「アイスランドの政治(英語版
トランスペアレンシー・インターナショナルが毎年発表している腐敗認識指数[21]によれば、「世界で11番目に汚職が少ない国」(2019年時点)と評価されている。 国家元首である大統領は国民から直接選挙される。政治的な実権はなく、象徴的な地位を占めるに留まる。 1980年、ヴィグディス・フィンボガドゥティルが直接選挙によって選出された世界初の女性大統領となった。
大統領