アイスランド
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その後、自国通貨アイスランド・クローナ暴落したが[10]、これが漁業アルミニウム工業などの輸出産業にとっては有利に働いたため、かえって景気が回復することになった。それによって経済成長率は2012年度には1.5パーセント、2013年度には3.3パーセントを達成した。また、経済危機の直後には8パーセントを超えていた失業率も、2015年では4パーセント台で推移している[11]。さらに来島する旅行者が急増して観光業が成長しているほか、IT分野などのベンチャー企業の育成・誘致にも力を入れている。2016年の経済成長率は7.2パーセントに達した[12]。アイスランドは元々20世紀まで、主に漁業と農業に依存して生計を立てていた。第二次世界大戦後、漁業の工業化とマーシャル・プランによる援助が繁栄をもたらし、アイスランドは世界で最も裕福な先進国の一つとなった。1994年に欧州経済領域の一部となったことにより、経済は金融、バイオテクノロジー、製造などの分野でさらに多様化して来た。

他の経済協力開発機構(OECD)諸国と比べて税金が比較的低い市場経済を持っており[13]、また世界で最も労働組合の加入率が高い[14]。国民に国民皆保険高等教育を提供する北欧の社会福祉制度を維持している[15] 。アイスランドは、生活の質教育市民的自由の保護、政府の透明性、経済的自由などの国家パフォーマンスの国際比較で上位にランクされている。なお、アイスランドは国際連合(UN)、欧州自由貿易連合(EFTA)、北大西洋条約機構(NATO)、欧州経済領域(EEA)の加盟国である。

アイスランドはNATO加盟国の中で最も人口が少なく、常備軍を持たない唯一の国であり、軽武装の沿岸警備隊のみを保有している[16]

個別分野の記事に関しては、アイスランド関係記事の一覧を参照。.mw-parser-output .toclimit-2 .toclevel-1 ul,.mw-parser-output .toclimit-3 .toclevel-2 ul,.mw-parser-output .toclimit-4 .toclevel-3 ul,.mw-parser-output .toclimit-5 .toclevel-4 ul,.mw-parser-output .toclimit-6 .toclevel-5 ul,.mw-parser-output .toclimit-7 .toclevel-6 ul{display:none}
国名

正式名称はアイスランド語: Island[17][?i?stlant] ( 音声ファイル)(イーストラント)。非公式にLydveldid Island [?lid?v?lt?d ?istlant](イーストラント共和国)を用いることもある。日本外務省による日本語名称は英語: Iceland(アイスランド)に基づくアイスランド[3]漢字表記は、氷島、氷州、氷洲、愛撒倫などである。「氷の国」の意味の国名はヴァイキングフローキ・ビリガルズソンが沿海に流氷が浮かんでいるのを見て名付けたと言われている[18]
歴史詳細は「アイスランドの歴史」を参照
植民と自然への影響インゴールヴル・アルナルソン、最初のスカンジナビア人入植者

アイスランドは火山活動により1600万年前に北大西洋に誕生した[19]。871年に大規模な火山活動が2度あり、アイスランド全体が火山灰に覆われたが、人工物はその火山灰の上の地層からしか発見されていない[19]として、最初の入植は紀元874年であり、ノルウェーからやってきたとされていた[19]。アイスランド植民黎明期についての記録として『植民の書』が伝わる。2001年、レイキャビク市内でアイスランド最古の人工物が同地層の下から発掘されたことにより、871年以前から人類が居住していたことが確認されている[20]。人類がアイスランドに入植する以前は、陸生哺乳類はホッキョクギツネだけしかいなかった[19]

その後、9世紀末から10世紀にかけて、ノルウェー人スコットランドおよびアイルランドケルト人フェロー諸島を経由して移住した。定住した人類は木炭を作るために森林を広範囲に伐採した。人類が入植する前は、国土の4分の1がの森林であったが、19世紀まで続いた伐採により森林面積は1パーセントに減少した。入植者はといった家畜をアイスランドに持ち込んだが、寒冷地ゆえに羊毛を目的とする羊の飼育が盛んになった[19]。羊は植物であれば若木を含めて食べてしまうため、国土の3分の2を覆っていた植生が2分の1に減少し、アイスランドは表土の露出した荒涼たる風景となってしまった[19]
新天地と自治の終焉漁業博物館 Osvor、ボルンガルヴィークゲラルドゥス・メルカトルによって17世紀初頭に公開されたアイスランドの地図

新しい国を目指した移民たちは王による統治ではなく、民主的な合議による自治を目指した。これが930年に発足した世界最古の民主議会アルシング」であり、これを国家の誇りとしている。

アルシングによる統治が続いた約300年の間、アイスランド人はさらなる新天地を目指した。アイスランド人のレイフ・エリクソンはヨーロッパ人としてアメリカ大陸を初めて訪れた。これはコロンブスによる「発見」よりおよそ500年も前のことであった。この事実は長く懐疑的に受け取られていたが、カナダニューファンドランド島にあるランス・オ・メドーの発掘によってその業績が証明された。また、ミトコンドリアDNAの解析により、アジアアメリカ大陸で検出されていたハプログループC1系列の新型であるC1e型がアイスランド人から発見され、アイスランド人の女性がアメリカ大陸で子孫を残してミトコンドリアDNAが受け継がれた可能性(ミトコンドリアDNAは母から子へのみ受け継がれる)が指摘されている。ただし、科学分析はその性質上、追試が必須であるため、この結果をもってして、欧州からのDNAを遡れたとは言えないため、今後のさらなる検証や追試が期待される。首都レイキャヴィークのハットルグリムス教会にはアルシング発足1000年を記念し、1930年アメリカ合衆国から寄贈されたレイフ・エリクソンの像がある。「アメリカ大陸の発見」も参照

13世紀以降はノルウェー(1262年 - )およびデンマーク(1397年 - )の支配下に置かれる[3]
独立

19世紀に入り、国民はヨン・シグルズソンを中心に独立運動を展開した結果、1874年に自治法が制定され、1918年デンマーク国王主権下の立憲君主国アイスランド王国として独立(同君連合)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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