師のバローからは高く評価され、ルーカス教授職のポストを譲られるなど、科学者としては高い地位を得た。一方で、ニュートンの講義を聴講する学生は少なく、ついには出席する学生がいなくなってしまう事態にも陥った。教育者として講義の内容について学生からの評価はよいものではなかったとされる[25]。また、アカデミーでニュートンと友人であった自然哲学者のロバート・フックは、後年に、万有引力に関する自らの説をニュートンに盗用されたとして、彼を憎むようになった。ニュートンもフックを憎んだとされる。
イギリス国内における政治や世俗の評価としては、ケンブリッジ大学教授職、下院議員職、行政官職に就き、存命中にサーに任じられ、国葬をもって葬られるなど、多くの栄誉に浴している。
他方、同時代のヨーロッパ大陸側の知識人らは、ニュートンを高くは評価していなかった。ニュートンの学説は当時の大陸側の自然哲学(デカルトに端を発した合理主義哲学など)とは相いれず、大陸側からは異様なものとみなされていた。ライプニッツなどの大陸派自然哲学者らからは、ニュートンの提唱した力学体系は「目に見えない要素」を多く前提としておりオカルト的なものだとみなされ否定された(⇒#ニュートンによる科学革命)。また数学の分野で、ライプニッツから積分法のアイデアなどを剽窃したと非難された(⇒#論争・先取権争い・感情的確執)。
後世ウィリアム・ブレイクによるニュートン。「万能の幾何学者」として描かれている
芸術分野の文化人からの評価については、19世紀にはロマン主義の立場からニュートンの業績が非難されるようになった。特に、ジョン・キーツ、ウィリアム・ブレイク、ウィリアム・バトラー・イェイツらは、ニュートンを「文学の詩情の破壊者」と公言してはばからなかった。
19世紀から20世紀初頭の科学者らによる科学史では、ニュートンは天才的な自然科学者、自然科学界の一種の英雄といったイメージで語られた。経済学者のケインズもそうした英雄的イメージを聞かされて育ったが、長年の研究の結果、ニュートンを「最後の魔術師」や「片足は中世におき片足は近代科学への途を踏んでいる」と評するようになった。(⇒その他の業績) 20世紀においては、1978年から1988年にかけて用いられた1イギリスポンド紙幣の肖像として、ニュートンが登場した。21世紀には、BBCに「100名の最も偉大な英国人」において「6位」とされている。以下に、そのほかの各個人(主に学者)のニュートンの評を示した。
現代
マイケル・ハート
ニュートンがリンゴが落下するのを見て万有引力のアイディアを思いついたとの逸話は有名である。この出来事をニュートン自身が著した記録は存在しないが、周辺の人物が書き残したものとしては次のものがある[27]。
ウィリアム・ステュークリウィリアム・ステュークリによる手稿
英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:ウィリアム・ステュークリの手稿 (15ページ)[注 40]