アイザック・ニュートン
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英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:ウィリアム・ステュークリの手稿 (15ページ)[注 40]

ニュートンの友人であり、ニュートンの初期の伝記を残したウィリアム・ステュークリは、1726年4月15日にニュートンから直接に聞いた話を回顧録として記録している。ステュークリが1752年に書いた伝記では、1726年4月15日のニュートンとの会話とされる以下のくだりがある[28]

「ディナーの後で、暖かい日だったので、庭に出て数本のリンゴの木の木陰でお茶を飲んだ。ニュートンと私だけだった。色々の話の途中で、彼は、「昔、引力についての考えが浮かんできた時と全く同じ状況だ。」と言った。

彼は「なぜリンゴはいつも地面に向かって垂直に落ちるのか?」と自問した。腰を降ろして考えにふけっていたときに、たまたまリンゴが落ちたときだった。「なぜリンゴは横に行ったり上に上がっていかず、いつも地球の中心へ向かうのか?」理由は疑いもなく、地球がリンゴを引き寄せているからだ。物質には引き寄せる力があるに違いない。地球にある物質の引く力の総量は地球の中心にあるのであって、地球の中心以外の所にはないに違いない。

だからこのリンゴは鉛直に、地球中心に向かって落ちるのだ。物質が物質を引き寄せるのであれば、その量は物質の量に比例するに違いない。それゆえ、地球がリンゴを引き寄せるように、リンゴもまた地球を引き寄せるのであると。」

?ウィリアム・ステュークリ(MEMOIRS OF Sr. ISAAC NEWTONS lifeより)

ジョン・コンデュイット

ジョン・コンデュイットは、ニュートンの姪であるキャサリン・バートンの夫である。この夫妻はニュートンが亡くなるまで、ロンドンのニュートン宅で一緒に住んでいた。1727年あるいは1728年に記されたとされる「Memoir of Newton」には次のような記述がある[29][30]

「この頃、彼は流率法の最初のヒントを得はじめた。そしてまた、1665年にペストの流行によって彼が実家へと引き上げていたこの年、リンゴが樹から落ちる様子を観察したことで、彼は(後に)自身が思い至る重力の体系について初めて思索した。」

?ジョン・コンデュイット (※()内は和訳に伴う補記)(Memoir of Newtonより)

ヴォルテール

フランス哲学者歴史家ヴォルテールは、1727年3月のニュートンが死去した時期に、ちょうどイギリスを訪問中であった。彼による1727年の手記のなかに[注 41]、キャサリン・バートン(英語版)から聞いた話としてリンゴの逸話を以下のように記していた[31][32]

「(かつて)同じように、ピタゴラスは鍛冶屋のハンマーの音から音楽のアイデアを見出した。 そして我々の時代、庭を歩いていたアイザック3・ニュートン卿は、樹からリンゴが落ちるのを見て4、重力の体系の最初の思索を得た。」

?ヴォルテール (※文中の数字3、4は原著内の注釈の番号。()内は和訳に伴う補記)(Essay on Epic Poetry of 1727より)

ロバート・グリーン

1727年、ロバート・グリーンは、友人のマーティン・フォークス(ニュートンが王立協会会長であったときの副会長)が、万有引力のアイディアは一個のりんごからインスピレーションを得たものだったと語ったことを、ラテン語で活字にして伝えている[30]
信頼性の低い記述

ニュートンの没後、時が経過するにつれ「ニュートンがリンゴが落ちる様子を見た」というこの逸話には様々な尾ひれが付くようになり、信頼できない記述も現われるようになった。例えば、レオンハルト・オイラー(1760年)やアイザック・ディズレーリ(英語版)(1791年)は「リンゴがニュートンの頭に当たった」と根拠なく書いている[33]。ディズレーリのこの記述はボルトン・コーニー(英語版)やオーガスタス・ド・モルガンらによって批判された[34]天文学者でもあった聖職者トーマス・チャーマーズ師は「リンゴがニュートンの足元に落ちた」と書いた[35]。この「足元」という記載を加えた記述もまた同じように流布したが、「頭に当たった」という創作に比べれば些事だったためか、チャーマーズ師らへの批判はなかったとされる[36]

数学者のカール・フリードリヒ・ガウスはリンゴの逸話の存在自体に懐疑的な立場であり、その逸話の部分について次のように創作を加えている[37]

「りんごの話は単純すぎる。そのりんごが落ちようが、落ちまいが、そんな発見がそれで遅れたり、早くなったりすると思い込むのは別にかまわないが、真相はこんなところだろう。ある馬鹿で押しの強い男がニュートンを訪ね、偉大な発見にどうやってたどり着いたかを聞いた。そのときニュートンは子供じみた相手と向かい合っていることに気付き、追っ払いたいと思って、りんごが一つ鼻に落ちてきたのだと答えた。相手がそれですっかり教わったと満足して立ち去ってくれそうなことを答えたのだ。」

?カール・フリードリヒ・ガウス (※本記載に際して太字部を強調)

近年の見解

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