後年、科学史の観点から上記のような方法論が「実証主義による近代科学の礎になった[要出典]」、「科学的方法論の礎となった」と評されたとされる。また神学との関係した観点からは、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}これは「神の行いについて、人間の持つ理性では理解不能であるという思想を背景としたものであった」ともいう。[要検証 – ノート]
伝統的なヨーロッパ社会における主流の自然観は、古代ギリシアのアリストテレス以来、天と地では自然法則に区別があり、「地上の物体(固体)は四元素のうち土としての性質により中心に向かう。他方、天体の運動は円・球を好む」というものであった。たとえば、それまでに実践されてきた天体理論としてはプトレマイオスによる、円(周転円・離心円・エカント)のみを使って修正された天動説が受け入れられていた。しかし徐々に、コペルニクスの地動説やティコ・ブラーエの超新星1572・彗星観察による変則的な天体活動[注 33]の確認、ケプラーの惑星の楕円軌道説、ガリレオによる月のクレーターの観察[注 34]・木星の衛星観察などの諸発見により、この伝統的自然観は揺らいでいた。この歴史の流れにあってニュートンの業績は、地上と天体は同じ法則(場所・時間に関係ない普遍的法則)によって支配されており、両者に区別がない事を示した事にあると捉えることもできる。
光学『光学』
著作としては、1704年に英語で『光学』を著した。色彩理論に関して、白色光はそれ以上分光できない単色光[注 35]の混合色であること、白色光がガラスなどで屈折した際に虹色になるのは、各単色光の屈折率の違いによるものであることを指摘した。この事について、プリズムを用いた実験を行った。また、光の粒子説を唱えていた[注 36][注 37]。虹の色数を7色だとしたのも彼である。[要検証 – ノート] 光のスペクトル分析などの業績も残したほか、ニュートン式反射望遠鏡を製作した[注 38]。 数学分野においては、ほぼ同時期のライプニッツとは別個に、微分積分法を見出した。現在の定義で極限に相当する無限小について考察し、現在の微分や導関数の元である流率の概念を考え、また「流率の逆演算」として積分を考案したとされる[20]。 ニュートンは生涯を通じてキリスト教研究にも打ち込んでいた。その結果は、1690年頃に執筆された『ダニエル書と聖ヨハネ黙示録の預言についての所見』と、死後の1728年に刊行された『改訂古代王国年代学』にまとめられた。この中でニュートンは、聖書や伝説にある出来事の年代確定に天文学手法を導入しながらキリスト教的歴史観である普遍史をプロテスタント的史観で再構築し、また「ダニエル書」や「ヨハネの黙示録」を解釈した独自の終末論を展開している[21]。 絶対的時間や絶対的空間などを確立したニュートンではあるが、彼自身はそれらがキリスト教の教義と矛盾するとは考えておらず、『プリンキピア』一般注にて宇宙の体系を生み出した至知至能の「唯一者」に触れ、それは万物の主だと述べている[21]。 ニュートンは、キリスト教研究の中でカトリックを激しく攻撃している。
数学
神学『ダニエル書と聖ヨハネ黙示録の預言についての所見』の表紙(1733年版の画像)