第二次世界大戦終戦から5年後の1950年(昭和25年)、同年の愛知国体開催に先立ち「郷土色豊かで愛知の県勢を詠み、老幼を問わず誰でも歌いうるもの」として、県と中部日本新聞社(現在の中日新聞社)が合同で県章のデザインと合わせて県民歌の歌詞を募集し、1,073編の応募作から国鉄名古屋鉄道局[注釈 1]職員の若葉清成が応募した歌詞が入選した[6]。
入選作を基に県からの委託により、西條八十が補作詞、古関裕而が作曲をそれぞれ担当し[1][2]、8月15日付の県広報紙で県章と共に制定が発表された[6]。同年には日本コロムビアが藤山一郎と安西愛子の歌唱によるSPレコードを制作している。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 改組により国鉄名古屋鉄道管理局を経て、国鉄分割民営化後の東海旅客鉄道東海鉄道事業本部に相当する。
出典^ a b 国民文化協会『事典 シンボルと公式制度 日本篇』193頁、国際図書、1968年。
^ a b 中山裕一郎 監修『 ⇒全国 都道府県の歌・市の歌』252頁、東京堂出版、2012年。ISBN 978-4-490-20803-0
^ 中山裕一郎 監修『 ⇒全国 都道府県の歌・市の歌』253頁、東京堂出版、2012年。ISBN 978-4-490-20803-0
^ なごやの歌