わたしが・棄てた・女
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森田八郎:加藤武

森田キネ:岸輝子

深井しま子:夏海千佳子

武隈:江角英明

長島繁男:江守徹

友人太田:山根久幸

清水修一:辰巳柳太郎

清水綱子:織賀邦江

清水修造:大滝秀治

清水友枝:北原文枝

清水修巳:中村孝雄

清水由起子:阪口美奈子

大野義雄:小沢昭一

赤提灯のてる:佐々木すみ江

刑事:露口茂

医者:遠藤周作

医者:佐野浅夫

看護婦:園佳也子

スタッフ

監督:
浦山桐郎

脚色:山内久

原作:遠藤周作

企画:大塚和

撮影:安藤庄平

美術:横尾嘉良

音楽:黛敏郎

録音:紅谷愃一

照明:岩木保夫

編集:丹治睦夫

製作

浦山桐郎監督の当初のイメージは、吉岡が小林旭、ミツは都はるみだったという[1]。結局、ギャラの問題などもあり、河原崎長一郎小林トシ江が演じた。原作者の遠藤が医者役でカメオ出演している。

企画して完成まで足かけ5年かかり、河原崎のスケジュールの都合で、1969年に入って撮影準備を始め[2]、同年5月に完成した[2]
興行

しかし完成した折には日活は、題名から内容まで徹底的に東映作品のマネをした映画製作に転換し[2][3][4]、これが思いもほか成功[5][6]、日活はヤクザ映画オンリーになっていた[5][7]。浦山の「くずれた世相の中で、現代人がもがき苦しむ愛の断片を描く異色ドラマ」なる意図はラインから外れた[4][7]。日活は折角ヤクザ路線で客足に安定性が生まれつつある時だけに、それと『私が棄てた女』を併映して客を減らしては困るという心配があり、公開が決まらずお蔵入りした[2][4]

腹を立てた浦山は、併映作なしでの1本立てロードショーを主張したが埒が明かず、ATG系での上映を働きかけたが[2]、ATGから「『心中天網島』を年内いっぱい上映を予定しているので公開は1970年以降になる」と回答された[2]。『私が棄てた女』は日本映画輸出振興協会から1億2千万円の融資を受けており[8]、1969年中に公開しなければならない事情があった[8]。仕方なく自ら日活の試写室を借りてマスコミや映画評論家を集め試写を行ったり、ホールを借りて試写会を行ったり必死の努力を続けた[2][7]。マスコミや評論家から「久しぶりに見ごたえがある意欲作。早い時期に公開すべき」と激賞され[8]、「なぜ公開しないのか」「上映しろ」と投書が日活に舞い込むようになった[2]。1969年8月6日に堀久作社長も出席して全国配給会議が開かれ[8]、議論百出の末、社長一任となり、堀が「配給せず」と断を下した。ところが翌8月7日に至り、社長の断で「上映する」となり、急遽1969年9月3日の封切が決まった[7]。頑固親父の堀社長の断が2日でコロリと全く反対のものに変わったことに、マスコミは宣伝大芝居だろうと推察した[7]。公開されるや、お蔵入り騒ぎが格好の宣伝になり、予想外の大ヒットとなった[2]。浦山は「映画界には企画の波があるのが常だが、監督として大事なのは波に足元をすくわれない主体性だ。監督が主体性を失っては、映画は結局滅びるだろう」などと意気上がったが[2]、堀雅彦常務は「話題になったからたまたま当たっただけ。今後は浦山君にも日活の基本線に沿って任侠映画を撮らせる」と反論した[2]。浦山は「わたしにやくざ映画が作れるわけがない。作ろうとも思わない。会社の方がエロと暴力以外には、客が来ないという動脈硬化症に陥っている」とさらに反論した[2]。この一件で日活の若手監督で結成しているグループ・ふるるプロなどが浦山に賛同し、会社の路線とは別に独自の動きをするようになった[2]
1997年版詳細は「愛する (映画)」を参照

『愛する』と改題され、1997年に日活の配給で公開されている。熊井啓監督作品。ミツを酒井美紀、吉岡を渡部篤郎が各々演じている。内容はほぼ原作に沿っているが、時代設定など現代風にアレンジされている。
その他詳細は「fr:Peau d'ange (film, 2002)」を参照

ヴァンサン・ペレーズ監督作のフランス映画『天使の肌』[9]が、クレジットに明記はないものの、遠藤の原作を翻案したものではないかという指摘がある。
併映作品

『女の市場
』: 江崎実生監督

テレビドラマ

近鉄金曜劇場[注 2]『わたしが棄てた女』(1964年12月25日、TBS

宮武昭夫演出、生田直親脚本。黛ひかる、江原真二郎磯村みどり、加藤治子、矢代京子、久里千春樋口年子ほか出演


舞台


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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