よしづきくみち
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よしづき くみち
生誕????年
1月26日[1]
日本東京都[2]
職業漫画家
イラストレーター
活動期間2002年 -
ジャンル少年漫画
青年漫画
代表作『魔法遣いに大切なこと』シリーズ[3][4]
公式サイト ⇒つちのこ準星群
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よしづき くみち(1月26日[1] - )は、日本の男性[5]漫画家イラストレーター東京都生まれ[2]埼玉県越谷市在住[6]左利き[7]

2002年に『月刊コミックドラゴン』(富士見書房)掲載の「Living Quarter」でデビュー。同年に同誌で連載開始した『魔法遣いに大切なこと - Someday's dreamers』(原作:山田典枝)で連載デビューし、代表作[3][4]となった。2023年から「現代ビジネス」(講談社)サイト上において『南海トラフ巨大地震』(原作:biki)を連載中[注 1]

「よしづ / きくみち」と誤解(ぎなた読み)されることがあるが、氏名は「よしづき / くみち」と区切るのが正しい[8][9]
来歴
デビューまで

東京都で生まれる[2]。小学生のころに姉の影響で漫画を読み始め、漫画の絵を真似して描くうちに漫然と漫画家を志すようになった[10]。当時はとりわけ桂正和の『ウイングマン』を熱心に読んでいたという[10]

中学校時代はイラスト部に所属し、作品展に出品したイラストを褒められた経験から改めて「絵の仕事で食べていこう」と考える[10]。このころ山本二三の描く背景が好きになり、これが背景にこだわりを持って描くという自分のスタイルの元になっているとして、よしづきは山本を「最も影響を受けた人」の一人に挙げている[10]

高校卒業後、「マンガの専門学校[11]」へ進むも「自分で勉強して投稿した方が早いな」と考えて中退[12]。『週刊ビッグコミックスピリッツ』(小学館)に2回投稿したが実らず、当時好きでよく読んでいた『月刊アフタヌーン』(講談社)に投稿し[12]、1993年と1994年にアフタヌーン四季賞佳作を受賞した[13]。デビューに向けて短編のネームを担当編集者に見せる日々を送っていたが、「少々ネーム作りに疲れていた[13]」ところに漫画家の藤島康介アシスタントを必要としているという話を聞き[12]、『ああっ女神さまっ』の作画アシスタントとなった[13]

アシスタントを始めてしばらくしたころ、藤島の職場にパソコンペンタブレットが導入され、初めて使ったペイントソフトに「これ使えばもう描けない絵なんてないじゃん」と思うほどの強い衝撃を受ける[14]。やがて自分でも購入し、2000年に自身のホームページ「つちのこ準星群」を開設[15]。翌2001年、ホームページで公開していたイラストが富士見書房の編集者の目に留まり、「原作つきの作品をやってみないか」と誘いを受けた[15]。その誘いを一旦保留とした上で[15]、同社刊行の『月刊コミックドラゴン』2002年2月号にて「Living Quarter」を発表。新人賞受賞から約8年越しのデビューを果たした[14][注 2]
原作付き作品のヒット

「Living Quarter」を描く中で「話の構成がいちばんむずかしい」と力不足を感じ、「原作つきで修行させてもらえるのはやっぱりありがたいな」と考えて当初の誘いを引き受ける[15]。こうして2002年5月、藤島のアシスタントを辞めて[12]同誌にて『魔法遣いに大切なこと - Someday's dreamers』(原作:山田典枝)の連載を開始し、連載デビューした。同作はアニメ化小説化もされるヒット作[16]となってシリーズ化。翌2003年に連載開始したシリーズ第2作『魔法遣いに大切なこと 太陽と風の坂道』(同原作)でもよしづきが作画を担当した[17]

2006年の『太陽と風の坂道』連載終了後、2008年のシリーズ第3作『魔法遣いに大切なこと?夏のソラ?』(同原案)ではストーリーからよしづきが担当[18]。また同年には『夏のソラ』の連載と並行し、同名実写映画を原作とした[19]フレフレ少女』(原作:橋本裕志渡辺謙作)も『スーパージャンプ』(集英社)にて連載した[16]
初のオリジナル連載開始以降

2009年、『オースーパージャンプ』(集英社)に不定期連載として発表していた『君と僕のアシアト?タイムトラベル春日研究所?』が毎号連載化し[20]、初のオリジナル連載作品となる[21]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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