よこざわけい子
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

声優の仕事にシフトするきっかけになったのは、アグネス・ラムのCMの吹き替えであった[7]。その時は声のイメージが合う人物がいなかったようで最後の最後に呼ばれていたが、吹き替えを担当することになったという[7]。その後は当時所属していた東京俳優生活協同組合にも「声の仕事もやるんだ」と思ってくれたようであったという[7]

顔出しのテレビドラマの仕事と声の仕事の仕事も半々で受けていた時期もあった[7]。しかしテレビドラマにかかる時間が多くなってしまい、両立は少し難しいということになり、本来したかった声優の仕事を中心にしていくことにしていた[7]。声優業を開始した当初はNHKで放映されていた洋画吹き替えが中心であったという[7]

1975年に『タイムボカン』で声優デビュー[7]。初ヒロインは『ポールのミラクル大作戦』のニーナ役[7][11]

1979年からテレビ朝日版『ドラえもん』でドラミを演じ、2005年の声優陣一新まで務めた。1982年には『おかあさんといっしょ』の人形劇にこにこぷん』のぴっころ役に抜擢され、10年に渡って演じた。この他、1980年代の数多くの作品で主役・ヒロイン役を担当した。

東京俳優生活協同組合を経て[6]1988年ゆーりんプロを設立。以後は声優活動の第一線からは退き、自身が経営するよこざわけい子 声優・ナレータースクールでの後進の指導に主軸を移す。

「ゆーりんプロ」の名は、自身の娘のために作った絵本「雪ん子ゆーりん」に由来しており、公式サイトの写真では過去に声をあてたぴっころの着ぐるみと共に写っている。「ゆーりんプロ」所属の俳優、養成所研究生らによって行われる演劇公演の脚本、演出も手がける。
人物・エピソード

声種ソプラノ[12]。ちょっと甘ったるい声を持つ[11]

アニメでは明るくておきゃんな女の子役で知られる[11]

声優デビューした当初から「藤子アニメの主役を獲得する」「子供向け番組に出演する」ことを目標としていたが、30代までに希望が叶い、ゆーりんプロのスクール設立を機に自身で演じる機会は一区切りつけたと語っている[9]

天空の城ラピュタ』のシータ役を担当した際、監督の宮崎駿から演技について苦言を呈された一方、『エスパー魔美』の佐倉魔美を担当した際は作者の藤子・F・不二雄から「(声や演技が)健康的で良い」と評されたという[13]

中学時代は軟式テニス部に所属[3]。大学時代はフィギュアスケートクラブに所属していたが、足を少し上げて滑べる程度と述べている[3]

妹がいる[3]。夫はテトラポットをどのように設置すれば侵食しないかを分析するほか、人工海浜を作ったり、設計、コンサルタントを行う企業に勤めているサラリーマンである[3]。前述の通り、娘がいる[3]
演じたキャラクターについて

『にこにこぷん』のぴっころは10年間演じているうちに、声が地声だということもあり、イコールになったと語っている
[14]

『THE かぼちゃワイン』のエルは自身とは全く異なる見た目の大きな女の子だったため、役をものにするのにかなり苦労したが、それだけ印象の深い作品になったと語っている[14]

はいからさんが通る』の花村紅緒は、個人的に強く志望していた役だったが、同局の同時間帯で放映していた『若草のシャルロット』でヒロインを演じていたため、2作品連続でのヒロイン役は前例が無いということでオーディションを受かったものの落選してしまった。しかし再オーディションをしてもイメージに合う声優がいなかったので、最終的に自身が演じさせてもらえることになったと語っている[15]

『エスパー魔美』の佐倉魔美役に選ばれた時は本当に嬉しかったと語っている。藤子不二雄作品と言えば自身の中でステータスであり、その主役に至ってはベテランの声優しか選ばれないと思っていたので、出演することが自身にとっての目標の1つだった。それまでは自身の実力よりも1歩先の演技を振られることが多かったが、様々な経験を繰り返してきたことによりちょうど演技に自信がもてるようになった時期に得た役なので、「本当に楽しく演じさせていただいた」と述べている[16]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:85 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef