よこざわけい子
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デビュー作クリステン(『タイムボカン[7]
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よこざわ けい子(よこざわ けいこ、1952年9月2日[注 1][5] - )は、日本声優女優ナレーター[6]新潟県新潟市中央区出身[4]。芸能プロダクションゆーりんプロ代表取締役[2]。旧芸名は横沢 啓子(読み同じ)[1]
経歴

中学校の英語教師であった横沢久八の娘として、新潟市に生まれる。

元々は声優志望ではなかったが、芸能界に入った切っ掛けは、両親が新潟方言で苦労した経験から娘には標準語を話してほしいと考え、児童劇団に入団させたため。劇団自体は入団後3年で解散したが、自身はその間に得た知遇でラジオドラマのレギュラーを担当していた[9]

幼稚園の時、バレエ、ピアノ、図画を習っていたが、ピアノは嫌いでバレエもあまり好きではなく図画だけは好きであった[3]。その頃から音楽は嫌いなものであったという[3]

中学、高校時代、役者を意識したことについては学芸会などで、舞台をふむと、快感があったが、その程度であった[3]。容姿に自信があったら、女優になりたかったが、自信がなかったため、「別にそういう道は……」と思っていた[3]。ただし、両親が、「せっかくそういうものをやってきたんだから、アナウンサーとか、そういうのになりなさい」と言っていたという[3]

中学時代に、タイムトンネルなどが流行していた頃で、そういうのに憧れて、白衣を着たく、科学者になりたかったという[3]。その時、「なるなる」と言っていたところ、母が教師に言いつけてしまい、教師に呼ばれ、「キミはアナウンサーになった方がいいと思うよ」と言っていた[3]

新潟県立新潟高等学校卒業。「自分がやってきたことを生かせる声優になろうかな」と思い、幅広い役が演じられると考えて声優を志し、日本大学藝術学部放送学科に進学[7]。声優の勝田久の勧めで俳協の「付属養成所」(現・俳協演劇研究所)に入り、養成所在籍中の1974年にNHK総合テレビドラマ『花ぐるま』でドラマデビュー[10]。収録のため1年間は大阪府との往復をしなくてはいけない状況だったため、同大学藝術学部放送学科を1974年に中退[7][10]。当初は顔出しのテレビドラマ出演が中心であった[7]

声優の仕事にシフトするきっかけになったのは、アグネス・ラムのCMの吹き替えであった[7]。その時は声のイメージが合う人物がいなかったようで最後の最後に呼ばれていたが、吹き替えを担当することになったという[7]。その後は当時所属していた東京俳優生活協同組合にも「声の仕事もやるんだ」と思ってくれたようであったという[7]

顔出しのテレビドラマの仕事と声の仕事の仕事も半々で受けていた時期もあった[7]。しかしテレビドラマにかかる時間が多くなってしまい、両立は少し難しいということになり、本来したかった声優の仕事を中心にしていくことにしていた[7]。声優業を開始した当初はNHKで放映されていた洋画吹き替えが中心であったという[7]

1975年に『タイムボカン』で声優デビュー[7]。初ヒロインは『ポールのミラクル大作戦』のニーナ役[7][11]

1979年からテレビ朝日版『ドラえもん』でドラミを演じ、2005年の声優陣一新まで務めた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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