よこざわけい子
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声優の勝田久の勧めで俳協の「付属養成所」(現・俳協演劇研究所)に入り、養成所在籍中の1974年にNHK総合テレビドラマ『花ぐるま』でドラマデビュー[10]。収録のため1年間は大阪府との往復をしなくてはいけない状況だったため、同大学藝術学部放送学科を1974年に中退[7][10]。当初は顔出しのテレビドラマ出演が中心であった[7]

声優の仕事にシフトするきっかけになったのは、アグネス・ラムのCMの吹き替えであった[7]。その時は声のイメージが合う人物がいなかったようで最後の最後に呼ばれていたが、吹き替えを担当することになったという[7]。その後は当時所属していた東京俳優生活協同組合にも「声の仕事もやるんだ」と思ってくれたようであったという[7]

顔出しのテレビドラマの仕事と声の仕事の仕事も半々で受けていた時期もあった[7]。しかしテレビドラマにかかる時間が多くなってしまい、両立は少し難しいということになり、本来したかった声優の仕事を中心にしていくことにしていた[7]。声優業を開始した当初はNHKで放映されていた洋画吹き替えが中心であったという[7]

1975年に『タイムボカン』で声優デビュー[7]。初ヒロインは『ポールのミラクル大作戦』のニーナ役[7][11]

1979年からテレビ朝日版『ドラえもん』でドラミを演じ、2005年の声優陣一新まで務めた。1982年には『おかあさんといっしょ』の人形劇にこにこぷん』のぴっころ役に抜擢され、10年に渡って演じた。この他、1980年代の数多くの作品で主役・ヒロイン役を担当した。

東京俳優生活協同組合を経て[6]1988年ゆーりんプロを設立。以後は声優活動の第一線からは退き、自身が経営するよこざわけい子 声優・ナレータースクールでの後進の指導に主軸を移す。

「ゆーりんプロ」の名は、自身の娘のために作った絵本「雪ん子ゆーりん」に由来しており、公式サイトの写真では過去に声をあてたぴっころの着ぐるみと共に写っている。「ゆーりんプロ」所属の俳優、養成所研究生らによって行われる演劇公演の脚本、演出も手がける。
人物・エピソード

声種ソプラノ[12]。ちょっと甘ったるい声を持つ[11]

アニメでは明るくておきゃんな女の子役で知られる[11]

声優デビューした当初から「藤子アニメの主役を獲得する」「子供向け番組に出演する」ことを目標としていたが、30代までに希望が叶い、ゆーりんプロのスクール設立を機に自身で演じる機会は一区切りつけたと語っている[9]

天空の城ラピュタ』のシータ役を担当した際、監督の宮崎駿から演技について苦言を呈された一方、『エスパー魔美』の佐倉魔美を担当した際は作者の藤子・F・不二雄から「(声や演技が)健康的で良い」と評されたという[13]

中学時代は軟式テニス部に所属[3]。大学時代はフィギュアスケートクラブに所属していたが、足を少し上げて滑べる程度と述べている[3]

妹がいる[3]。夫はテトラポットをどのように設置すれば侵食しないかを分析するほか、人工海浜を作ったり、設計、コンサルタントを行う企業に勤めているサラリーマンである[3]。前述の通り、娘がいる[3]
演じたキャラクターについて

『にこにこぷん』のぴっころは10年間演じているうちに、声が地声だということもあり、イコールになったと語っている
[14]

『THE かぼちゃワイン』のエルは自身とは全く異なる見た目の大きな女の子だったため、役をものにするのにかなり苦労したが、それだけ印象の深い作品になったと語っている[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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