ゆるしの秘跡は、洗礼以後に犯した罪をゆるす恵みであるから、(洗礼以外の他の秘跡もそうだが)ゆるしの秘跡を受けられるのはカトリック教会で洗礼の秘跡を受けた信者だけである。また、現代のゆるしの秘跡の典礼には、個別のゆるしの式と共同回心式がある。共同回心式は、教会共同体が連帯して回心に励むためのもので、ことばの祭儀やミサの中で行われる。しかしこの場合にも、罪の告白は個別的に行われる[13][14]。このためカトリック教会の聖堂には、小さな告解室(「告解部屋」とも)が設けられている。 聴罪司祭
聴罪司祭の役割
父親としての役割
裁判官としての役割
聴罪司祭は、被告人が罪を犯しているのか、あるいはその被告人に処罰を与えるべきかを判断するこの世の裁判官ではなく、告白者に神のゆるしを得る資格があるのかを的確に見極める裁判官、神の正義に従って裁判官のようにその慈しみを与える。この裁判官とは国家公務員の裁判官とは意味が異なる。教会はゆるしの秘跡の際に通訳をつけることを許可している。[16]
医者としての役割
聴罪司祭は、裁き手である同時に癒し手でもある「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である」(マタイ9:12)イエスこそを真の医者とし、司祭は助手の役割を果たす。
聴罪司祭は信頼できる「良心の導き手」だと言える。それは単に教理を伝達することではなく、神のいつくしみと愛を示して、信仰者が自己の内面を見つめ常に神の子の自由に生きることができるよう導く役割である。「あなたがたは行って、すべての民を弟子にしなさい。……あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」(マタイ:19‐20)告解室でも司祭は福音を告げ、主イエス・キリストの教えをそのまま伝える教師の役割を果たさなければならない。その際、司祭個人は、福音の真理を自らの主観で勝手に解釈する権限を一切もてない[19]
兄弟としての役割
兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい(マタイ18:15)つまり、悪の中でも最大のものである大罪を犯さないように叱責してくれる人、誤りを正そうとしてくれる人、忠告をしてくれる人ほど兄弟として認められるべき人はいない。司祭は常に、告解室にいる時は特に、このような兄弟として認められるべきとする。[20][21][22]
脚注^ 『カトリック教会の教え』215頁(日本カトリック司教協議会 監修・カトリック中央協議会 発行・2003年) ISBN 978-4-87750-106-8
^ ⇒機密(日本正教会公式サイト)
^ 大きな違いとするか小さな違いとするかは評価が分かれるところであるため、曖昧な表現にとどめた。
^ ⇒聖公会の祈り Archived 2010年5月1日, at the Wayback Machine.(2003年3月、「立教カードメイト」立教大学チャプレン香山洋人)
^ ⇒第20章 聖奠的諸式 Archived 2015年4月26日, at the Wayback Machine.(熊本聖三一教会)
^ 『カトリック大辞典』(359頁 - 362頁、上智大学編纂、冨山房、昭和42年第七刷)
^ ⇒「カトリック儀式書 ゆるしの秘跡」 カトリック中央協議会
^ 『カトリック教会の教え』216頁
^ 『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』165頁、カトリック中央協議会 ISBN 978-4-87750-153-2
^ 『聖ピオ十世公教要理詳解』632
^ 日本カトリック司教議会・教理委員会『カトリック教会のカテキズム』カトリック中央協議会、2002年、1856
^ 『カトリック教会のカテキズム 要約(コンペンディウム)』168頁、169頁
^ 『カトリック教会の教え』221頁,222頁
^ ⇒Laudate キリスト教マメ知識「ゆるしの秘跡」 女子パウロ会
^ フランシスコ教皇一般謁見演説2014年2月19日
^ (Can.990)