ゆでたまご
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二人とも勉強は全く力を入れていなかったため、当時落ちこぼれと不良の巣窟であった私立初芝高等学校に揃って進学。漫画家になることを目標に投稿を続けた。この頃から原作と作画をそれぞれ嶋田と中井が分担し始める。2人とも母子家庭で、高校を卒業すると就職のために漫画を描けなくなるということから、高校卒業までに漫画家になるという目標を持っていた。16歳の時、赤塚賞に『ゴングですよ』、手塚賞に『マンモス』(共にプロレス漫画)を投稿するも選外、しかし担当編集者がつくこととなった。
『キン肉マン』で漫画家デビュー

1978年、『キン肉マン』で第9回赤塚賞準入選し、これが『週刊少年ジャンプ』1979年2号(1978年12月)に掲載されデビューとなった。編集部内では稚拙な作品と評判が良くなかったが、当時の編集長・西村繁男は、低年齢向け漫画としての資質があることを見抜いており、担当の中野和雄と大阪まで出向いてスカウトした。この時2人は既に就職が決まっていたが、「漫画が続かなかったら就職の世話をする」と西村が2人の親を説得し、東京にアパートまで用意したという。2010年代後半の日本の社会では漫画家というと家族も雑誌のパーティに一緒に出席してくれるほど理解された職業となっているが、当時は水商売扱いであり中井も嶋田も両親が猛反対していたため、西村が説得に成功するまで大変苦労したという[4]

1979年5月、2人の高校卒業を待って、『キン肉マン』が『週刊少年ジャンプ』で連載開始。初期はプロレスネタを交えたギャグ漫画だったが、途中からバトル重視のプロレス漫画に路線変更、大ヒットとなり、TVアニメーションも展開される。劇場用アニメーション作品も何本か作られた。また、作中に登場する「超人」をかたどった消しゴム人形「キン肉マン消しゴム(キン消し)」集めが子供達の間で流行した。

1982年に『週刊少年ジャンプ』の別冊『フレッシュジャンプ』で、『キン肉マン』に登場する人気キャラクターのラーメンマンを主人公としたスピンオフ作品『闘将!!拉?男』を『キン肉マン』との同時進行で連載開始。TVアニメ化もされた。

1985年には吉本新喜劇(当時)の高石太とともに『必殺仕事人V』第9話「主水、キン肉オトコに会う」に仕事人志望の若者(依頼人)役でゲスト出演。ブームの最中ということもあり、中盤過ぎに殺されるまでほぼ出ずっぱりだった。劇中では必殺技を解説するための紙芝居を描いており、バッファローマンが殺される悪人役になっていた。

1985年3月、第30回(昭和59年度)小学館漫画賞受賞(『キン肉マン』)。
『キン肉マン』終了後

『キン肉マン』終了後は、格闘漫画以外のジャンルを模索しながらもこれといったヒットが出ない冬の時代が続き、1990年代半ばになると世間からは過去の人と扱われた[11]。『蹴撃手マモル』終了後、都合良く読み切りばかり書かされる状況に中井が飼い殺しを恐れるようになり、集英社との専属契約を解消したが、この頃嶋田は吉祥寺を歩いていたら通行人に「最近面白くねえんだよ!」と罵倒されて頭を叩かれる経験をした[4]

そんな中、1996年1月に『キン肉マン』の後日談となる読み切り『マッスル・リターンズ』が『格闘エース』に掲載された。角川書店は『キン肉マン』の権利関係から集英社に確認を取ったが、集英社はあっさりと許可した。ただ、ゆでたまごが作品を少年ジャンプで書きたいと申し出ると集英社はその必要はないと断った。悔しさに燃えるゆでたまごであったが『マッスル・リターンズ』への反響は大きく、『キン肉マン』シリーズの続編連載の機運が高まった[4]
『キン肉マンII世』の連載開始

そうして1997年に『週刊プレイボーイ』誌上に『キン肉マン』の続編にあたる『キン肉マンII世』の読切32Pが掲載され、計5回にわたるシリーズ掲載を経た後、翌1998年より連載となる[12]。二度目のヒットとなり、リバイバル漫画ブームの先駆けとなる。

2004年、『キン肉マン』生誕25周年を迎えた。

2007年に日本記念日協会より月を問わず、29日の金曜日を『キン肉マン』の記念日と認定証が発行されている。

2008年には生誕29(ニク)周年を記念し『週刊少年ジャンプ』29号に復活掲載、記念本『肉萬?キン肉マン萬之書?』、画集『筋肉画廊』、アニメDVD『キン肉マン コンプリート DVD-BOX』が発売され、イベントも2月に新宿バルト9で『キン肉マン映画祭』、6月に秋葉原の東京アニメセンターイベントギャラリーで『キン肉マン展』、12月にはさいたまスーパーアリーナで開催された『Dynamite!!?勇気のチカラ2008?』にキン肉万太郎が出場、ボブ・サップと対戦し、敗れはしたものの瞬間最高視聴率18.1%を記録した。

2009年には生誕30周年を迎え、5月29日にJCBホールでプロレス興行『キン肉マニア2009』を開催。キン肉マンや超人達が実際に試合を見せ話題となる。2010年1月29日には22年振りのジャンプ・コミックス新刊『キン肉マン』37巻が発売された。発売記念のサイン会が紀伊国屋書店で開催され、用意された整理券は30分で配布終了となるなど変わらぬ人気を見せた。
近年の活躍

2011年5月9日より、『キン肉マンII世』の連載が『週刊プレイボーイ』誌上から『週刊プレイボーイ』のWebサイト『週プレNEWS』に移る。

2011年11月28日より、『キン肉マン』新シリーズの連載を『週プレNEWS』で開始。
作風
ストーリー展開

ゆでたまご作品の最大の特徴として、物語や設定の整合性が取れず、数多くの矛盾点を含みながら進むストーリー展開が挙げられる。

これは『キン肉マン』連載デビュー当時、作品作りのイロハを理解しておらず、右も左も分からない状態で執筆していたことが原因であるという。そのため周囲からは破綻が多い、いい加減な作品だと随分非難を受けて、ゆでたまご自身一時期大変落ち込んだことを明かしている。しかし読者からは高い支持を受けていたことと、当時は車田正美など同様の作風の作家がいたことなどを理由に自信を取り戻し、以後ゆでたまごの作風として定着させた[13]。その後はストーリーの統合性などは二の次として、読者の度肝を抜く展開を心がけ、毎週締め切り過ぎまでアイディアを粘るため、原稿が完成するのが連載作家の中で1、2を争うほど遅くなったという。

嶋田はインタビューなどで「細かい設定にこだわっていると、結果としてつまらなくなってしまう[14]」「ツッコミ所が多い方が、読者が親近感を持ってくれる[15]」と述べている。また、誤植や作画のミスに関しても、ゆでたまご自身少年時代に読んだ漫画のあら捜しをして楽しんでいた思い出もあるので、指摘があってもあえて修正していない部分もあると語っている[16]。後付け設定もたくさんあり、後になり整合性が取れていなかったり辻褄が合わなくなることがよくあるが、そういう整合性のない部分を読者があとで、あれこれ議論したり推理する材料になればいいと思っているから、単行本化されるときも、あえて修正したりはしていないと語っている[17]

これらのこと(例:7人の悪魔超人が8人いた等)をファンからは「ゆで理論」と呼ばれている[18]
読者参加型

代表作の『キン肉マン』を始め、ゆでたまごの作品では登場人物などを読者から募集するのが通例となっている。『キン肉マン』の主要キャラクターであるロビンマスクラーメンマンなども読者応募によるものであり、中井はファンを「3人目のゆでたまご」であると語っている[19]

ゆでたまごが『キン肉マン』でデビューして間もない頃、読者からのファンレターが来ても返事を書く余裕がなく、担当編集者の中野和雄の発案で[20][21][22]、読者の考案した怪獣を漫画に登場させ、主人公のキン肉マンと戦わせることで読者に応えようとした。反響は大きく、のちに作品が怪獣退治からプロレス主体になると「超人募集」として企画は継続され、当初数十通だった応募は回を重ねるごとに数百通・数千通と増えていった[22]。あまりの葉書の量に、当時の嶋田の下宿は床が抜け、引越しを余儀なくされた[23]

応募作品の選考にあたって、ゆでたまごは極力低年齢の子供のものを採用するようにしたという[21][22][23]ルービックキューブ(キューブマン)など当時の流行に基づいた超人を採用すると、以降は時事や流行を反映した超人が多く応募されるようになった[23]

やがて『キン肉マン』は読者参加型の流れが出来上がり[23]、『ゆうれい小僧がやってきた!』の「妖怪募集」、『トータルファイターK』の「カオの対戦相手募集」などに続いていく[19]。この方式はゆでたまごの作風として読者に認知され、募集告知を全くせずに新連載を始めても登場キャラクターの応募が送られてくるほどになった[19]


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