ゆうばり国際ファンタスティック映画祭
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2008年のオープニング作品となった『僕の彼女はサイボーグ』は、2003年の映画祭をきっかけとして制作された作品である[1]

映画祭のキャラクターは漫画家石ノ森章太郎がデザインしており、シネマとタイガーを合わせたシネガーと呼称している。
歴史

1979年昭和54年)、「炭鉱から観光へ」をスローガンに」夕張市長に中田鉄治が当選。テーマパーク石炭の歴史村の建設が本格化。教育委員会社会教育課長時代から積極的に映画を上映してきた経緯から、1988年に、1年間に及ぶ活動を通じて東京国際映画祭の当時のゼネラルプロデューサーである石田達郎と中田市長との間で映画祭の設立が承認される。同年10月、東京国際ファンタスティック映画祭を視察、当時の映画祭の顧問であったリオネル・シュシャンのアドバイスで映画祭開催の記者会見を札幌で開催発表。

1989年(平成元年)1月、フランスアボリアッツ国際ファンタスティック映画祭に11人の使節団を送り映画祭の骨子が決定する。3月に開催の記者会見を東京で開催。10月、東京国際ファンタスティック映画祭の閉会式にて、中田市長が「映画のある街・夕張」を映画ファンにPRした。以後、東京国際ファンタスティック映画祭のクロージングにて毎年、市長の演説が話題を呼んだ。

1990年2月、ふるさと創生事業を活用した第1回映画祭が「ゆうばり国際冒険・ファンタスティック映画祭」としてメイン会場であった夕張市民会館において開催。スキー場に映画『エリック・ザ・バイキング』のバイキング船を設置したり、北海道旅客鉄道(JR北海道)の支援で寝台列車北斗星を導入して宿泊施設の不足を解消した。

1991年2月には第2回映画祭を開催。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}日本で行われたイベントの中で、日経イベントから第4位のイベントとして高く評価される。[要出典]同年9月には北海道旅客鉄道(JR北海道)の支援で夕張駅が完成した。

1992年2月には第3回映画祭を開催[2]。4月、フジサンケイグループ広告大賞イベント賞を受賞。夏には第1回の審査員を務めた韓国のイ・チャンホ監督が夕張で『ミョンジャ・明子・ソーニャ』を撮影し、翌年の映画祭で上映を行った。

1994年月には第5回映画祭を開催。3月、日本ファッション協会生活文化賞を受賞。

1997年2月には第8回映画祭を開催。韓国・富川市から45名の視察団が来日、8月に第1回韓国・富川国際ファンタスティック映画祭開催を発表、8月に開催される。これが韓国の映画祭の幕開けと言われている。[要出典]

1998年2月には第9回映画祭を開催。同年4月にパリで行われた「国際都市活性化技術会議 (FITAC)」では映画祭が特別功労賞を受賞。

1999年2月には第10回映画祭を開催[3]。総合体育館を改修した「ゆうばり文化スポーツセンター」がオープン、あたらなメイン会場となった[3]。10周年を記念し、この年のメインビジュアルは、映画祭の準備段階から参画している漫画家永井豪によるものになった。10周年を機にイベント名から「冒険」を取り、2000年から現在の「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」となった[4]

2003年2月には第14回映画祭を開催。同月の2002年度「日本映画批評家大賞」では特別賞を受賞。4月、映画祭の生みの親であり実行委員長をつとめてきた中田鉄治が市長を退任。同月、夕張市長選挙において後藤健二が当選、以降は2006年まで後藤が実行委員長を務める。10月、中田鉄治死去。

2006年2月には第17回映画祭を開催。6月には夕張市の定例議会において、市の財政が事実上破たんしていることが明らかとなり、後藤市長は財政再建団体入りを表明した。7月の映画祭実行委員会では、夕張市が主体となる映画祭の休止が正式に決定。休止を惜しむ映画人・映画ファン・市民の声を受けて、9月には澤田直矢ら夕張市民有志が映画祭の復活を目指す団体「ゆうばり映画祭を考える会」を立ち上げた。11月、「考える会」は市に代わる映画祭主催団体を目指し、「ゆうばりファンタ」として特定非営利活動法人(NPO)の認証を申請(2007年2月22日認証)。

2007年には自治体の運営による映画祭は開催されなかったが、2月には映画ファンらの有志主催による「ゆうばり応援映画祭」が「ゆうばり文化スポーツセンター」において開催された。実行委員長は北海道出身の映画評論家品田雄吉だった。7月、NPO法人となった「ゆうばりファンタ」が翌年の開催を発表。

2008年3月には第18回映画祭がゆうばり市民会館をメイン会場として開催され、市民主導による夕張市再生の象徴として話題となった。[要出典]この年からスカパーJSAT株式会社が特別協賛となった。

2011年には夕張に派遣されていた東京都職員の鈴木直道が夕張市長選挙に出馬し、市長就任後には名誉大会長に就任した。

2012年には京楽ピクチャーズ株式会社がインターナショナル・ショートフィルム部門に協賛した。

2014年にはニューウェーブアワードを新設[5]

2019年の第29回開催をもって冬季の開催を終了。2020年より夏季の開催に変更し光熱費の削減や野外での上映実施、更なる北海道内の映画ファンの集客を見込む[6]

2020年は新型コロナウイルスに伴い、動画配信サイトHuluの協力を得てオンライン形式での開催を行った[7]。翌年も同様にオンライン開催とし前年のスケジュール式からオンデマンド式での配信とし夕張市民向けの上映会イベントも展開された。

2022年には新型コロナウイルス後初の本格的な現地開催イベントを3年ぶりに実施。
会場

主要会場は夕張市内6ヶ所である。

ゆうばり文化スポーツセンター

アディーレ会館ゆうばり(旧;夕張市民会館大ホール)

ゆうばりホテルシューパロ

夕張市民会館シネサロン

清水沢健康会館

夕張商工会議所

開催年により特設会場でイベント上映がある
審査員
ヤング・ファンタスティック・グランプリ部門

回年人名出身国など肩書き
1
1990年
(平成2年)ジョン・ボイトアメリカ俳優
ジョゼ・ジョヴァンニフランス作家・監督
テリー・ジョーンズアメリカ監督
イ・チャンホ韓国監督
根津甚八日本俳優
21991年ミレーヌ・ドモンジョフランス女優
ペ・チャンホ韓国監督
大林宣彦日本監督
ニルス・ゴープ監督
31992年ロバート・ワイズアメリカ監督
ドミニク・サンダフランス俳優
キム・ジミ韓国俳優
オーケ・サンドグレーン監督
中原俊日本監督
41993年シャルル・アズナブールフランス歌手
スチュアート・ゴードンアメリカ監督
フラン・ルーベル・クズイ監督
ハー・ビン監督
島田陽子日本女優
51994年ロジェ・ヴァディムフランス監督
勝新太郎日本俳優
ホウ・シャオシェン台湾監督
デニス・ホッパーアメリカ俳優
61995年ジョルジュ・ムスタキフランス歌手
リオネル・シュシャンフランスアボリアッツ・ファンタスティック映画祭会長


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