やくざの墓場_くちなしの花
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渡哲也演じる黒岩刑事は満洲からの引き揚げ者[1]梅宮辰夫演じるヤクザの組長・岩田五郎は在日韓国人[1]梶芽衣子演じる若者頭代理は日韓ハーフ[8]という設定となった。

笠原は、本作や『暴力金脈』などの脚本作りにおいて調べれば調べるほどヤクザと社会との癒着が明らかとなり、映画化が不可能になっていくという現実に苦しんだことから、長年のテーマだった在日韓国人問題に踏み込んだ本作を最後に東映を去り、ヤクザ映画とも決別して戦争映画を中心に手掛けることとなった[9]
キャスティング

岡田東映社長は、「東映の看板スターにしたい」と1975年に石原プロモーションから渡哲也の引き抜きを画策し、失敗していた[10][11][12]。しかし東映ではその後も多くの渡主演作品を企画し[13]、同年には『仁義の墓場』を製作していた。渡が1974年、1975年と相次いで病気により長期入院したため、東映では『仁義の墓場』しか出演できず、企画はすべてキャンセルになっていた[14][15][16]。渡は1976年に石原プロ制作による日本テレビ系テレビドラマ大都会 -闘いの日々-』で仕事に復帰し、映画は本作が本格復帰作品となった[17]

梶芽衣子は渡哲也と日活の同期で[18]、きちんとした共演は『新宿アウトロー ぶっ飛ばせ』(1970年)以来2本目[18]であった。

当時大人気だったピラニア軍団が大挙出演し、各々の持ち味を発揮した[19]。中でも官僚体質にドップリのキャリア警部補を演じた室田日出男が出色で、バイプレイヤーとして更なる飛躍を遂げた[19]川谷拓三は本作ではハードスケジュールから、警察署内部の数シーンのみのゲスト的な出演にとどまっている。

ヤクザ映画に対するシンパシーを表明していた映画監督の大島渚[20][21]警察庁から派遣された大物府警本部長という、警察機構を皮肉った役で特別出演した[22]
撮影

渡は撮影の備え、1976年夏に静岡県下田市の須崎海岸で合宿[23]。当地の四部屋ある二階建ての民宿を自腹で40万はたき、妻子と3人で8月の1ヵ月間暮らした[23]。渡は「この3年間入退院の繰り返しで、俳優として大切な時期を棒に振った。ここで体力を養い二度と苦い思いを繰り返したくない。その間、苦労をかけた家族の慰労もかねてやってきたんですよ」と話した[23]。淡路島育ちで、瀬戸内海で鍛えただけに泳ぎはお手のもので、スキンダイビングトローリング、135段の急階段の上り下り、バーベルを持ち上げたりし体を鍛えた[23]。9月から東映京都での撮影を予定している『やくざの墓場』について「権力の側の人間が反権力の組織の中に身を落としていく、180度の転換がドラマチックだし、黒岩竜という主人公の心理の屈折が役者にとってはたまらない魅力なんですよ」と話した[23]。この『報知新聞』1976年8月17日付の記事で興味深いのが、渡が「『やくざの墓場』の後、『いつかギラギラする日』(角川映画)の撮影に入る」と話していることと[23]、「あのひ弱なスターのイメージはみじんもない」と書かれていることである[23]。日活時代の渡のイメージがそうだったにしても、あの名高い『仁義の墓場』がこの時点ではマスメディアからあまり評価されていないということかもしれない。

鳥取砂丘でのロケーション撮影が実施され、渡と梶のラブシーンなどが撮られた[18][24]
大阪府警のクレームおよび芸術祭参加断念

当時の大阪は新聞に「ピストルウエスタン・オーサカ」などと書かれるほど暴力団によるピストル抗争が頻繁に発生し[22]、「警察が暴力団になめられている」と散々叩かれていた[22]。それを受け大阪府警察は、警官4500人を動員して暴力団壊滅作戦を打ち出したところだった[22]。本作の製作と公開はその矢先のことであった。

本作では、暴力団抗争事件の手打ち式に警察本部長らが出席したり[25]、警察署長が暴力団から豪勢な接待を受けたり[22]、刑事が麻薬中毒になったり[22]、刑事と暴力団組長が盃を交わすシーンが出たりするなど[22]、警察と暴力団の癒着を多く描いたことから[26][27]、大阪府警は「公開するなら告訴する!」と「タカブり[25]」、先に文書で内容の一部を変更するよう申し入れた後[28]、府警幹部が東映京都撮影所に出向き、「暴力団追放の世論に逆行している」として岡田東映社長に映画の製作中止を申し入れる事態に至った[25]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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