もののあはれ
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

宣長は『源氏物語』の本質を、「もののあはれをしる」という一語に集約し、個々の字句・表現を厳密に注釈しつつ、物語全体の美的価値を一つの概念に凝縮させ、「もののあはれをしる」ことは同時に人の心をしることであると説き、人間の心への深い洞察力を求めた[5]。それは広い意味で、人間と、人間の住むこの現世との関連の意味を問いかけ、「もののあはれをしる」心そのものに、宣長は美を見出した[5]
解釈の一例

ドイツ初期ロマン派の基本的心的態度を、「無限なるものへのあこがれ」と特徴づけ、ニーチェキルケゴール研究者として知られる和辻哲郎は、宣長の説いた「もののあはれ」論に触れて、「もののあはれをしる」という無常観的な哀愁の中には、「永遠の根源的な思慕」あるいは「絶対者への依属の感情」が本質的に含まれているとも解釈している[4][5]
無常との関係

自然を愛し諸国放浪した歌人西行(1118?1190年)は、『旅宿月(旅路で野宿して見る月)』と題する歌において、「にて をあはれと おもひしは 数よりほかの すさびなりけり」〈都にいた折に、月を“あはれ”と思っていたのは物の数ではない すさび(遊び,暇つぶし)であった〉と詠んだ。これは西行が、自身が都に住んでいた時に、月を見て、「あはれ」と思ったのは、すさび=暇つぶしでしかなかったと詠じ、旅路での情景への感動を詠んだ歌である[6]。また、「飽かずのみ 都にて見し 影よりも 旅こそ月は あはれなりけれ」〈飽きることなくいつも都で仰いでいた月よりも、 旅の空でながめる月影こそは、あわれ深く思われる〉という歌もある[6]

月に「あはれ」を見た西行は、幽玄の境地を拓き、東洋的な「虚空」、を表現していた[7]。西行と歌の贈答をし、歌物語をしていた明恵は、西行が物語った言として次のように述べている。西行法師常に来りて言はく、我が歌を読むは遥かに尋常に異なり。花、ほととぎす、月、雪、すべて万物の興に向ひても、およそあらゆる相これ虚妄なること、眼に遮り、耳に満てり。また読み出すところの言句は皆これ真言にあらずや。花を読むとも実に花と思ふことなく、月を詠ずれども実に月とも思はず。ただこの如くして、縁に随ひ、興に随ひ、読みおくところなり。紅たなびけば虚空色どれるに似たり。白日かがやけば虚空明かなるに似たり。しかれども、虚空は本明らかなるものにあらず。また、色どれるにもあらず。我またこの虚空の如くなる心の上において、種々の風情を色どるといへども更に蹤跡なし。この歌即ち是れ如来の真の形体なり。 ? 「明恵伝」[8]
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 「もののあはれ」という表現それ自体は、早くより『土佐日記』や『長秋詠藻』などにも見られるが、これを概念化したのが宣長である[2][3]

出典^ 清水文雄「日本人の心」『続 河の音』、王朝文学の会、1984年10月1日、32-34頁、.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}CRID 1050001337569864960。 
^ 源了圓『徳川思想小史』pp.190-196
^ 田尻祐一郎『江戸の思想史』pp.138-141
^ a b 和辻哲郎日本精神史研究』(岩波書店、1926年。改版1971年)
^ a b c d e f 中井千之「「もののあはれをしる」と浪漫的憧憬」『上智大学ドイツ文学論集』第26号、上智大学ドイツ文学会、1989年12月、9-20頁、CRID 1050282814132045696、ISSN 02881926。 
^ a b 西行『山家集』
^ 川端康成美しい日本の私―その序説』(講談社現代新書、1969年3月16日)
^ 喜海『明恵伝』

参考文献
単行本


和辻哲郎日本精神史研究』(岩波書店、1926年。改版1971年)

川端康成美しい日本の私―その序説』(講談社現代新書、1969年3月16日)

源了圓『徳川思想小史』〈中公新書312〉中央公論新社、1973年。ISBN 4121003128

田尻祐一郎『江戸の思想史:人物・方法・連環』〈中公新書2097〉中央公論新社、2011年。ISBN 9784121020970

Ken Liu“Mono no aware”- 中華系アメリカ人ケン・リュウによる日本人を主人公としたSF短編小説。2013年にヒューゴ賞受賞。劉は本作の中で「もののあわれ」を“an empathy for the inevitable passing of all things” と説明している。 ⇒“Mono no aware”by Ken Liu Stainless Steel Droppings, June 16, 2013

関連文献

本居宣長記念館編 『本居宣長事典』東京堂出版、2001年。ISBN 4490105711

田中康二『本居宣長の思考法』ぺりかん社、2005年。ISBN 4831511277

田中康二『本居宣長の大東亜戦争』ぺりかん社、2009年。ISBN 9784831512420

田中康二『本居宣長の国文学』ぺりかん社、2015年。ISBN 9784831514257

関連項目

源氏物語

無常

をかし

石上私淑言

日本の中古文学史

もののまぎれ



日本の美意識


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:29 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef