もしもの日
[Wikipedia|▼Menu]
彼らの目的はアドルフ・ヒトラーのカナダ植民地化計画を支援する事であった[3]。大管区指導者となったフォン・ノイレンベルクは市民に対して以下の布告を発布している。
目下この地域は大ドイツ帝国の領土であり、また総統閣下の大管区指導者たるエーリッヒ・フォン・ノイレンベルク大佐の管轄下にある。(This territory is now a part of the Greater Reich and under the jurisdiction of Col. Erich Von Neurenberg, Gauleiter of the Fuehrer.)

午後9時30分から夜明けまでの間、市民の外出を禁ずる。(No civilians will be permitted on the streets between 9:30 pm and daybreak.)

全ての公共施設への市民の立ち入りを禁ずる。また、いかなる場所においても1度に8名以上で集まってはならない。(All public places are out of bounds to civilians, and not more than 8 persons can gather at one time in any place.)

全ての世帯主は兵士5名に寝食を提供しなければならない。(Every householder must provide billeting for 5 soldiers.)

全ての軍事組織、準軍事組織、友愛団体的性質を備える組織は解散し、また禁止される。ガールスカウトとボーイスカウト、および類似の青少年組織のみ存続を許可するが、これらは大管区指導者および突撃隊の指導下に置かれる。(All organizations of a military, semi-military or fraternal nature are hereby disbanded and banned. Girl Guide, Boy Scout and similar youth organizations will remain in existence but under direction of the Gauleiter and Storm troops.)

全ての自家用車、トラック、バスの所有者は占領軍本部に申請し、これらを占領軍に供出しなければならない。(All owners of motor cars, trucks and buses must register same at Occupation Headquarters where they will be taken over by the Army of Occupation.)

全ての農家は所有する穀物および家畜の総量を報告しなければならない。またウィニペグ兵站司令官事務所を通さない場合、農産物を販売してはならない。また自らの世帯での消費を目的にこれを保持することは認められず、必要ならばウィニペグ中央局を通じて改めて購入しなければならない。(Each farmer must immediately report all stocks of grain and livestock and no farm produce may be sold except through the office of the Kommandant of supplies in Winnipeg. He may not keep any for his own consumption but must buy it back through the Central Authority in Winnipeg.)

鉤十字を除く全ての国家紋章は直ちに破棄しなければならない。(All national emblems excluding the Swastika must be immediately destroyed.)

各住民には配給切符が配布される。食料、衣料品はこれを使用して購入する。(Each inhabitant will be furnished with a ration card, and food and clothing may only be purchased on presentation of this card.)

次の犯罪は裁判を省略して死刑に処する。(The following offences will result in death without trial)
占領軍に対する抵抗運動の組織。(Attempting to organize resistance against the Army of Occupation)

当局の許可を得ない入国ないし出国。(Entering or leaving the province without permission.)

所持の理由を説明できない全ての品物の所持。(Failure to report all goods possessed when ordered to do so.)

銃器の所持。(Possession of firearms.)

我々の布告に対して反対する行動、発言、考えは無いものと期待する。(No one will act, speak or think contrary to our decrees.)[3]1942年2月19日付のウィニペグ・トリビューン(英語版)の表題。

この布告は教会に掲示された。伴って礼拝が禁止され、これに反対した司祭が逮捕されている[4]。公共バスはしばしば占領軍部隊に停車させられ、車内の捜索を受けた[16]。地元紙『ウィニペグ・トリビューン(英語版)』紙(Winnipeg Tribune)は印刷所が「ドイツ軍」の支配下に置かれた為に『ダス・ヴィニペガー・リューゲンブラット』(Das Winnipeger Lugenblatt, ドイツ語で「ウィニペグ嘘吐き新聞」の意味)と改名し、占領軍当局の検閲の元、第1面は完全にドイツ語で書かれることとなった[12][21]。同紙は「これはマニトバ州最良の日だ……ナチスは総統のように忍耐強く、親切であり寛容だ。ただし、忍耐は急速に失われつつあるようだが。」(this is a great day for Manitoba ...The Nazis, like Der Fuehrer, are patient, kind and tolerant, but THEIR PATIENCE IS RAPIDLY EXHAUSTED BECOMING)[22]といった皮肉めいた記事のほか、当局の認可を受けた「公的冗談」の掲載を行った。公的冗談を読んだ読者は必ず爆笑しなければならず、さもなくば投獄されるとされていた[23]。一方、別の地元紙『ウィニペグ・フリー・プレス(英語版)』紙では、第1面で侵略に対する批判と予想される荒廃に関する記事を掲載した[6]。これにより、同紙の販売員ヘンリー・ウェップラー(Henry Weppler)は「ドイツ軍」により襲撃され、彼が持っていた新聞は全て引き裂かれた[7][16]

カーネギー図書館の1つでもあるウィニペグ公共図書館(英語版)では焚書が行われた。ただし、燃やされたのは破損などの理由から事前に廃棄が決まっていた書籍のみである[7][24]。地元の保険会社グレート・ウェスト・ライフ(英語版)社の社員食堂では「ドイツ兵」たちが社員らの食事を奪う事件も起こった[10]。冷え込みが強くなると、「ドイツ兵」は警察署からバッファロー・コート(英語版)を接収し、これを身につけるようになる。ある小学校では、占領軍当局の発布した教育方針に反してナチの真実を教えようとした校長が逮捕され、より当局に従順な教育者と交代させられている[5][7]。「ドイツ兵」による店舗や住居での略奪も頻繁に行われた。通貨は「もしもの日」のためだけに用意された模擬ライヒスマルクに置き換えられた[7][12][13][25]「ヒムラーシュタット」で使用されていた模擬ライヒスマルク紙幣。

17時30分、演習が終了。強制収容所が解放され、パレードおよび高官らのスピーチが行われた[7][12]

パレードでは「こんなことは起こってはならない」(It MUST Not Happen Here!)や「戦時国債を買おう」(Buy Victory Bonds)などの旗が掲げられた。その後、演習の成功を記念してハドソン湾会社社屋ビルでパーティーが開かれた[7]

モルゲンスティラナ大使は「もしもの日」の体験について、「真に迫るナチのウィニペグ占領からは、ヨーロッパ各地を蹂躙するドイツの行動の本質を垣間見ることができた」とコメントした[26]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:45 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef