みのもんた
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徳光はOB訪問した、みの等に対して「就職の面倒を見る」と発言したが、みのの卒業年の日テレのアナウンサー採用試験がなかったため、みのの日テレ入りは幻に終わっている。

1967年4月文化放送に入社。就職先の第一志望はTBS(東京放送[注釈 1])だったが、採用試験で不合格となり[14]、TBSに同年入社した久米宏を長年にわたって意識していたと語っている[13]
文化放送時代

同社ではほとんどの期間をアナウンサーとして活動。同期には落合恵子がいる。最初の2年弱は研修として、同じフジサンケイグループ産業経済新聞社(産経新聞社)に通っていた[注釈 2]。新聞原稿をラジオニュース用の原稿(読み原)に書き換える仕事をしたが全く駄目で「ニュースには向かない」と言われた[15]とアナウンス部長(当時)の土屋恵が後に語っている。

同社での初めてのレギュラー番組は『ゲリラでいこう』(15分番組)。その後はニッポン放送の『オールナイトニッポン』、TBSラジオの『パックインミュージック』で深夜放送ブームに火が点き、遅れて始まった『セイ!ヤング』の初代パーソナリティ1969年6月 - 1973年3月まで担当)に抜擢される[注釈 3][注釈 4]

ほぼ同じ頃、洋楽ランキング番組『オール・ジャパン・ポップ20』(『全国ポピュラーベストテン』の前身)では、オープニングで「♪みのみのー、もんた、みのもんた」と、独特の節回しでリスナーの関心を惹き付けた[18](高橋小枝子とともにDJを担当)。プロ野球中継でもベンチリポーターを務め、後楽園球場読売ジャイアンツ戦とオールスターゲームなどを担当した。後に『みのもんたのワイドNo1』『ダイナミックレーダー?歌謡曲でいこう!?』等を担当。文化放送と同じく、フジサンケイグループに所属するフジテレビの番組に出演。『オールスター水泳大会』の司会などで人気を博したが、人事異動で営業部へ配転される[19]1979年9月に退社[20]
文化放送退社後

父親が経営する水道メーター製造・販売会社の日国工業(現:ニッコク)に入社。10年間、全国を営業で回った[21]。その間、フジテレビに声をかけられ、『プロ野球ニュース』の週末版で雨が降って野球が中止になると、MLBビデオを放送。「よっ、真っ黒に日焼けして」などとナレーションを入れた所、人気が出て『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』に発展。2020年時点も不定期に放送されている。『なるほど!ザ・ワールド』の国内リポーター、『オールナイトフジ』でオールナイターズの実家を訪ねる「深夜の家庭訪問」などを担当。コミカル系サブ司会者(コメディ・リリーフ的存在)として認知されるようになる。1989年(4月、『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ)の司会を担当[注釈 5]。番組が高視聴率を取るようになり、人気司会者の地位を築く。1999年10月、日国工業を受け継ぎ(のちに自身の個人事務所「オフィスモンタ」を合併し、現在の「ニッコク」に社名変更)、代表取締役社長に就任。
民放各社およびNHKでの活動

民放キー局5社 全てでレギュラー番組を持った一方、
NHKではレギュラー番組を持った経験はない[注釈 6][注釈 7]

しかしながら、当時61歳だった2005年には『第56回NHK紅白歌合戦』で司会を担当[注釈 8]、これがNHK地上波での初司会となったほか、『NHK紅白歌合戦』における男性司会者の最年長記録且つ史上初の60代男性による司会となった。しかし、リハーサル時からスタッフと進行の方針を巡って対立していたことが表沙汰となり、これらが原因で司会担当はこの1度限りとなっている[注釈 9]

2013年の複数の不祥事と番組降板
セクハラ疑惑騒動・次男の逮捕

2013年(平成25年)8月30日に放送された『みのもんたの朝ズバッ!』の生放送内のCM明け直後、隣に立つ吉田明世の腰付近に手を伸ばし、吉田がその手を振り払ったように見える映像が一瞬流れた。これに対して、TBS広報部は「セクハラ行為があったとは認識していないが、紛らわしい行為だったため、今後このようなことがないよう『番組担当者』に口頭で注意した」と公式に発表している[24]。番組担当者が注意されたものの騒動の当事者であるみのには直接注意されていなかった。9月9日より、みのは9月16日までの「夏休み」を理由にテレビ出演を休止した。みのはこの年の8月9日から16日にも夏休みを取り、情報番組の総合司会が1年に2度も「夏休み」で番組を休むのは異例のことである[25]

セクハラ騒動が世間を賑わす中、9月13日には同月11日に当時日本テレビ社員の次男が泥酔して道で横たわっていた男性の鞄からキャッシュカードを盗み出し現金を引き出そうとしたとして、窃盗未遂容疑で逮捕されていたことが判明[26]。次男は同年10月8日付で日本テレビを諭旨解雇処分となった[27]

みのは次男の日テレ入社経緯について、採用試験が難しすぎて名前と住所しか書けなかったため、氏家齊一郎に依頼したコネ入社だったことを明かした[28]。しかし、大久保好男は定例会見で「正規の手続きで入社している。名前しか書けない人は会社どころか大学にも入れない」と述べ、みのの発言内容について否定している[29]
『朝ズバッ!』『サタデーずばッと』降板、記者会見

「夏休み」でマスコミの前から姿を消していたみのは次男の逮捕を受け、報道機関各社へ送信したファクスで自身が出演する『朝ズバッ!』と『サタデーずばッと』への出演を自粛すると発表[30]。その後、同2013年10月25日にTBSから全ての報道番組を降板させることが発表された[31]。『秘密のケンミンSHOW』とラジオ番組『みのもんたのウィークエンドをつかまえろ』への出演は従来通り続けた[32]

同2013年10月26日午後、記者会見を行う。その冒頭で「世間をお騒がせして、誠に申し訳ございません」と謝罪した上で、「辞めなければ収まらない風潮を感じた」「(報道は憧れであり)忸怩たる思い」と語った[33]。前述のセクハラ疑惑に対して記者から質問され、「(アシスタントやキャスターが)発言をとちることがあるので、『しっかりしろ』の気持ちで腰をたたいた。セクハラなどということは全くありません」と述べ、否定した[34]
2014年以降

2014年(平成26年)3月24日、文化放送『みのもんたの ニッポンdiscover again』の初回収録後に緊急会見を行い、「放送界の先輩」が鎌倉の自宅まで駆けつけ、「ファンやスタッフに申し訳ないと言ったか!!」と一喝され、目が覚めたことを明かし、「ドキッとしました。


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