後のテレビアニメでも、ストーリーの本筋から離れた寄り道のエピソード全般のことを「島編」と総称することがあるが、これは『機動戦士ガンダム』の第15話「ククルス・ドアンの島」が由来であるとも、本作の南の島編が由来であるとも言われている[41]。
島編の動画の大部分を世映動画が作った理由を当時のガイナックス社長・岡田斗司夫は「最終的には確認してないし、僕にはわからないこと・調査できないこともあって事実だとは断言できないんですけど、状況証拠だけはいっぱいありました」と前置きしたうえで、当時、東宝とグループ・タックのプロデューサーから、ナディアのオンエア2年ほど前に日韓の政府間で「韓国のアニメスタジオにアニメの作り方を教える」という取り決めがなされ、NHKが作るアニメは作画の何%以上は韓国のスタジオに発注し、作画以降の動画と仕上げ、撮影のほとんどの工程をやらせると決まっていたと岡田たちが実際に説明されて「これは国会で決まったことだから」と真顔で言われたと証言している[35][42][43]。しかし実際には国会でそのようなことが決まった事実はなく、2年前のNHKの同じ放送枠だった『アニメ三銃士』でNHKが韓国に外注することが1987年3月24日に第108回通常国会衆議院逓信委員会のNHKの運営に関する審議で取り上げれた際は、日本のアニメ産業の空洞化を招くとして国会で問題視されている。質問に立った日本共産党の佐藤祐弘議員は、日本国民からの受信料で運営される公共放送として日本の文化を育てるという見地から韓国への外注をやめて日本国内の業者に発注するよう再検討すべきと迫ったが、答弁したNHKの尾西清重理事は、韓国に外注すると1話あたり100万円から200万円くらい安く上がるとし、国民からの受信料で番組制作をする以上、経済効率を無視する訳にはいかないと述べ、国会で決まったのではなく国会でNHKが弁明したに過ぎない[44]。 1990年の本放送では中盤以降放送休止が相次ぎ、3クールの放送に、ほぼ1年を要した。中でも第20話と第21話の間は4週間連続で放送が延期となったため、制作スケジュールには余裕が生じた。NHK側から休止が入ると聞かされていたがあれほど放送休止が相次ぐとは思わなかったとガイナックス社長だった岡田は後に語っている。放送休止のために1年間52話の予定が39話に短縮されたと言われることもあったがこれは誤りである[1]。 一般には、イラクのクウェート侵攻に関連してニュースの延長による放送休止が相次いだためという情報が知られている。しかし、実際には湾岸危機との関連がない番組の放送による休止の方が多く、放送予定日になって急遽休止になったのは、1990年9月28日、1991年1月18日の2回のみである(尤も、1月18日については湾岸危機関連の特番によるものではある)。 実際の放送休止は、以下の理由による。
第34話スタッフ(抜粋)
演出 - 宇田忠順、岡本悲八(薩川昭夫)
絵コンテ - いぬまくら(もりたけし)
作画監督 - 金世昌(世映動画)、空母そ・そ・そ・そ(庵野秀明)
原画 - KAC、マッキィ・F・スタインベック、木木木人建(もりたけし)、マスオさん(増尾昭一)、キング、紫美望、魔砂一(摩砂雪)他
色彩設定 - 高星晴美
編集 - 薩川昭夫
音響監督 - 清水勝則
ミキサー - 成清量、西澤規夫
効果 - 野口透
アニメーション制作担当 - 頼経康史、村田康人
製作スケジュールの余裕の発生
本放送時の放送休止要因
1990年
6月29日 - 文仁親王と紀子妃の結婚によるニュースの延長
8月3日 - テレビ映画『はるかなるドーバー』放送によるもの
8月10日 - 『とまとくらぶ
8月17日 - NHKスペシャル『秘境大シベリアA さいはてに生きる』放送
9月28日 - 各紙夕刊発行後に臨時ニュースが入り、急遽休止になったもの。臨時ニュースの要因は不明だが阪急航空チャーター機墜落事故によるものとされる場合と、金丸訪朝団帰国による特番とされる場合がある。NHKアーカイブスの番組検索によると、7時のニュースが19:57まで延長されたことになっていて独立した特番ではない。