ひまわり_(1970年の映画)
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^ イタリア人兵士が一人また一人と斃れて行き、最後の一人は雪中で凍死するという構成を取っている。場面はソ連の夏の麦畑とひまわり畑に始まり、冬の吹雪の雪原で終わる。
^ 日本封切時のパンフレットには「ウクライナ地方のひまわり畑」としか書かれていない[4]。「ヘルソン州説」はいつ誰が唱え始め、またどの程度信用されていたかは要検証事項である。
^ NHKかごしまWEB特集での表記は「チェルニチー・ヤール村」[3]
^ チェルネーチー・ヤール村はディカーニカ(ロシア語版、ウクライナ語版、英語版)から約5km東北東と、ごく近くにある。ディカーニカは小さな町(都市型集落)だが、ゴーゴリの『ディカーニカ近郷夜話』で世界的に名を知られている。
^ 本国イタリアの権利管理会社では、『ひまわり』はせいぜいローレンがイタリアの女優賞を取った程度の作品であり、デ・シーカの代表作とは見なされなかったため、長年に亘って顧みられず、マスターフィルムは缶の中で劣化し、修復不能な状態となっていた。特にカルロ・ポンティの製作会社が倒産してからは、権利や資料が散佚し、世界各国を探しても使えるフィルムは見つからなかった。調査の過程で、『ひまわり』が日本で最も人気であることを知った加藤武史(アンプラグド代表)は、50周年記念上映を決意し、日本に残されていた映写用ポジフィルムから、独自にデジタル修復作業を行なった。[6]
^ 2022年4月17日の時点で Amazon.co.jp の外国の戦争映画 の 売れ筋ランキングでHDニューマスター版のDVDが1位、Blu-rayが2位になった[8]
^ 2022年5月2日の時点で Amazon.co.jp の外国のラブロマンス映画 の 売れ筋ランキングでHDニューマスター版のDVDが1位、Blu-rayが2位になった[9]
^ 日本封切時のパンフレットでは「14日間」と誤記されている[4]
^ アントニオが新婚早々に作ったのは、祖父も父も結婚式の翌日に作ったという、卵24個で作るプレーンオムレツ。アントニオがバターを使おうとすると、ジョバンナは「私の家は油よ」という。さすがに大きすぎて全部は食べれず、「しばらく卵とは絶交だ」。
^ この丘には慰霊碑があり、ソ連の詩人ミハイル・スヴェトロフ(ロシア語版)の詩「イタリア人」の一節が刻まれていた。"Молодой уроженец Неаполя!Что оставипBв России ты на поле? Почему ты не мог быть счастливым Над родным знаменитым заливом?" (訳:ナポリに生まれし若者よ!/なぜ君はロシアの平原に置き去りにされたのだ?/なぜ幸福になれなかったのだ、故郷の名高い湾を見下ろしながら。)
^ ジョバンナの背後で動き出した列車とテーマ曲が見事にシンクロする名場面である。
^ Wikipedia ロシア語版では「労働組合長」。
^ 固有名詞だが、字義は「高い丘」「水源地の丘」の2通りの解釈が可能。
^ 1960年8月にモスクワ市に編入。現在は地名ザハールコヴォは使われておらず、通りや桟橋の名に僅かに残るのみである。
^ 旧ザハールコヴォ村は、Wikipedia ロシア語版では「ジョバンナが村で夫の消息を尋ね歩く場面」と書かれているが、写真を照合すると、小型トラックの走る水辺の平らな道である。
^ この寺院は、1975年のソ連のコメディ映画『運命の皮肉、あるいはいい湯を』にも写っている。
^ 「要出典」タグ貼付は2016年6月6日。
^ マルチェロ・マストロヤンニ紹介のページにある。大雪原を訪れた彼は驚き、当時雪原を逃げまどったイタリア兵の労苦に比べれば、自分の(大戦中の)労働キャンプの生活など楽なものだった、と述懐している[4]
^ イタリア語版 Wikipedia では un bar(軽食堂)という単語が使われているが、実際には2つのビリヤード台の方が目立つ配置である。アントニオはこの店で公衆電話をかけ、電話を切ってからテレビを強調した音響とカメラワークになる。
^ モスクワの夏時間導入は1981年、夏時間に合わせた通年時間採用が2011-2014年、現在の通年時間に戻ったのが2014年10月。即ち当時の時計は今と同じである。「モスクワ時間」のロシア語版参照。
^ 日本ではあまり馴染みのない日だが、ソ連では国の祝日。当時は「国際女性デー」よりも「国際婦人デー」の訳語が一般的だった。
^ 凍死、寒さによる体力消耗も含む。
^ イタリア語原文:Tutti i personaggi e gli eventi di questo film sono immaginari. Ogni riferimento a fatti, cose e persone della vita reale e da ritenersi puramente casuale.
^ 外務省と同じ建物だが、アップで写されたプレートは対外貿易省である。
^ 小森「いつの世にも咲きほこってほしい名作」[4]
^ 山岳兵は引退後も山岳兵を名乗る。「関連項目」の「アルピーニ」参照。
^ 例外として、ブルガリア語・韓国語・ペルシア語版は「イタリア映画」、カタロニア語版が「イタリア・フランス合作映画」、アラビア語・ヘブライ語版は本文記事が「イタリア映画」・インフォボックス内が「イタリア・フランス・ソ連」映画、インドネシア語版は本文記事が「イタリア映画」・インフォボックス内が「イタリア・ソ連」映画。
^ 『おろしや国酔夢譚』封切時のパンフレット(東宝出版事業室、1992年6月)には、レンフィルムとの製作協定調印(1990年10月)の事実と、ロシア・レニングラード市(当時)・レンフィルムの撮影協力の様子が、感謝と敬意を込めて丁寧に記録されている。『ひまわり』のパンフレットにモスフィルムの名が一言も登場しない[4](フィルムの冒頭クレジットには数秒間出る)のとは対照的である。
^ メートル法採用は、イタリアが1861年、ソ連が1925年(導入決定は1918年)。日本のメートル法化も当時はほぼ完了していた。
^ 一部の字幕では「アルプス隊」。
^ 「もともと、この「チャイコフスキー」、ソ連とワーナー映画の合作ということでスタートしたものだが、製作費の一切はソ連もち。ワーナー側は世界配給権を手に入れるための工作に専念していたのだった。この話がはっきり決らぬまま、製作が開始され、撮影が全部終了してもまだ、配給権のことではもめつづけていたが、結局、今春(引用者註:1970年春)、ソ連側とワーナーの話し合いはこじれ、両者は完全に手を切ってしまったもの。もともと、合作などではなかったのである」[22]

出典^ “ひまわり”. 映画.com. 2022年8月11日閲覧。
^ ロシア語版の冒頭クレジット。
^ a b c d e 茶園昌宏(NHK前モスクワ特派員) (2022年5月11日). “名作映画「ひまわり」に隠された”国家のうそ””. NHKかごしまWEB特集. 2022年5月18日閲覧。
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