東北の農村に生まれ、家族から地主に足入れ婚を強要され、やがては働きに出た東京で、売春宿の女中からコールガール組織のマダムとなる一人の女性と、その母と娘、三代に渡る女たちのセックスを通して、昆虫のような生命力に満ちた半生記をエネルギッシュに描いた今村監督の代表作。
主演の左幸子は、ベルリン国際映画祭において日本人初の主演女優賞を受賞した。 描こうとする題材を調べに調べて調べぬく事から、『調査魔』の異名で知られる今村昌平が、ある売春斡旋業を営む一人の女から生い立ち、男関係、セックスのあり方、仕事のやり方までとことん調べ上げ、脚色を加えて書いたシナリオを元に製作された劇映画。 しかし、劇映画としては異様に現実感に満ち溢れる出来となった。理性そっちのけで、昆虫のようによく発達した本能本位で生きていると思われる人間を、生物の生態観察のように善悪の批判ぬきでひたすら客観的に観察したと言う事が題名の由来となっている。 なお、この映画の撮影では今村監督は『セットには自然な風が吹かない』との理由で、全てのシーンにおいてオール・ロケーション撮影で行われた。 大正7年の冬、東北のとある寒村で松木とめは、父である忠次と母えんの間に生まれた。少々頭の弱い父は、村役場に出生届を出すべく向かい、我が子の誕生を喜び周囲に自慢したが、忠次がえんと結婚したのは10月でえんは既にそのときには妊娠8ヶ月である…。このえんは、誰とでも寝る乱れた女で、とめの本当の父は、当時えんが関係を結んでいた情夫の小野川と思われるが、母であるえんも分からないという。ただ、忠次がとめの血縁上の父親ではない事は明らかである。 大正13年の春、少女時代のとめは母のえんが父とは違う男の情夫の小野川と戯れているのを偶然見てしまい、父と母が本当に夫婦なのか疑問を持つのと同時に、父の忠次を好きになっていく。戸籍上は父と娘だが血縁上は他人のこの2人の間には、近親相姦にも似た愛情が芽生え始める…。 昭和17年の春、23歳になったとめは製糸工場で女工として働いていた。日本がシンガポールを占拠した日にとめは実家から電報で父の忠次が危篤であると知らされ、急いで帰郷する。しかし、これは母えんの陰謀であり、村の地主である本田家の三男坊に足入れ婚 昭和20年の夏、とめは再び製糸工場へ戻り女工として働いていた。ラジオで天皇の勅語が流れる8月15日、とめは誰もいない女子寮で肉体関係を持っていた係長の松波に無理矢理抱かれるが、戦争によって工場は閉鎖。再開した工場で松波の影響からか組合活動を行うが、あまりにも過激な行為である上に、課長代理に昇進した松波としては邪魔と思われたのか、工場をクビになってしまう。実家に戻るも、そこは既に弟夫婦に占拠されとめの居場所は何処にもなかった…。 昭和24年、とめは7歳になった娘の信子を父の忠次に預けて単身上京。基地にある外人専用のカフェでメイドをやっていた。そこのとある外人兵の愛人宅の家政婦となり、彼らの間の混血の娘をちょっとした不注意から死なせてしまった。失意にくれるうちに、浸り始めた新興宗教で知り合った売春宿の女将に雇われ、女中として働く事になる。しかし、そんな折に宿に出入りしていた客の一人である問屋の主人である唐沢と知り合う。彼の妾となりパトロンを得たとめは、ついには先代の女将を警察に売って売春宿を経営するまで上り詰めるが、次第に前の女将と同じように業突張りになっていき………。
製作までの過程
あらすじ
スタッフ
監督 - 今村昌平
企画 - 大塚和、友田二郎
脚本 - 今村昌平、長谷部慶次
撮影 - 姫田真佐久
美術 - 中村公彦
音楽 - 黛敏郎
照明 - 岩木保夫
表
話
編
歴
今村昌平監督作品
1950年代
盗まれた欲情
西銀座駅前
果しなき欲望
にあんちゃん
1960年代
豚と軍艦
にっぽん昆虫記
赤い殺意
エロ事師たちより 人類学入門
人間蒸発
神々の深き欲望
1970年代
にっぽん戦後史 マダムおんぼろの生活
復讐するは我にあり
1980年代
ええじゃないか
楢山節考
女衒 ZEGEN
黒い雨
1990年代
うなぎ
カンゾー先生
2000年代
赤い橋の下のぬるい水
11'09''01/セプテンバー11
表
話
編
歴
キネマ旬報ベスト・テン 日本映画ベスト・ワン
1920年代
足にさはつた女(1926)
忠次旅日記 信州血笑篇(1927)
浪人街 第一話 美しき獲物(1928)
首の座 (1929)