たちあがれ日本(たちあがれにっぽん、英語: Sunrise Party of Japan)は、かつて存在した日本の政党。
2010年(平成22年)4月10日に、衆議院議員の平沼赳夫らが結党した[8]。
2012年11月13日には太陽の党(たいようのとう、英語: Sunrise Party)に党名を変更した[9][10]。
概要たちあがれ日本の党本部が入居していた赤坂1丁目森ビル
2005年に自由民主党を離党して以来、無所属での活動を続け、新しい保守政党の構想を示唆してきた平沼赳夫と参議院選挙を前に自民党による民主党の単独過半数獲得阻止を困難と判断し、2010年4月に自民党を離党した与謝野馨らが民社国連立政権に対する批判層や保守層の受け皿として平沼・与謝野・園田博之・藤井孝男・中川義雄・石原慎太郎を発起人、平沼を代表、与謝野を共同代表として4月10日に党を結成した。
2010年4月7日に、新党を後押しする石原慎太郎の命名により、新党の名称を「たちあがれ日本」にすることが固まった[11]。後日平沼は、新党名として自身が「日本保守党」を挙げたところ、石原に「ださい。」と一蹴され、「がんばれ日本」との案が固まったが該当名称がJOCに商標登録されていたために断念したとのエピソードを語っている。「すすめ日本」「がんばろう日本」「まもれ日本」「新党ちから」「よあけ」「れいめい(黎明)」「れいめいの会」なども候補にあがったとされ、平沼は「今の時代に合っているのは、ひらがながいいんじゃないか」と述べていた[12]。英文名称は"Sunrise Party of Japan"(直訳で日本日の出党)であった。
「打倒民主党」「日本復活」「政界再編」を掲げている[13]。
「反民主党」の立場は、所属議員や発起人の間で共有されている[14]ものの、平沼と与謝野の間で政策面の違いが指摘され、批判も出ていたが、与謝野が2011年1月13日に離党した(詳細は後述)。
年配者が多いため、「シルバー新党」「立ち枯れ日本」と揶揄されることがあった[15]。
2012年11月13日、石原慎太郎の参加とともに、「太陽の党」に党名を変更した[16]。略称は「太陽」[17]、英文名称は"Sunrise Party"。なお、1996年に羽田孜元首相らによって結成された太陽党とつながりはない。
太陽の党への変更から4年後の2016年12月には、党内の政治塾「かけはし塾」の元塾生を中心とした同名の政治団体「たちあがれ日本」が再結成された[18]。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
党史
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出典検索?: "たちあがれ日本"
たちあがれ日本に平沼と与謝野、藤井孝男、園田博之が参加することはほとんど決定的だったが、その他にも中川義雄、中山恭子、城内実、小泉龍司、鴻池祥肇、丸山和也、後藤田正純、舛添要一などの参加も噂され、政党要件を満たす5議席以上の確保が容易にできるとみられていた[要出典]。しかし、調整が難航したため、結党時に実際に参加したのは中川のみ(後の6月21日、中山恭子が合流)だった。
2010年5月11日、元衆議院議員・元掛川市市長の戸塚進也が入党、顧問に就任。 2010年7月11日投開票の第22回参議院議員通常選挙に、結党メンバーで現職の中川義雄、前自民党参院議員で元総務大臣の片山虎之助、前衆議院議員の中山成彬、杉村太蔵、野球評論家の中畑清などを比例区で擁立した(各人の肩書きは選挙時のもの)。また、選挙区では青森、茨城、東京、神奈川の4選挙区で新人公認候補を擁立した。秋田、山梨、岐阜、岡山、熊本の5選挙区で自民党候補を、千葉、大阪の両選挙区で日本創新党候補をそれぞれ推薦した。 片山は、2007年の参院選で落選後、自民党から比例区で出馬する意向を示していたが、同党は比例候補に定年制を設けて公認しないことを発表していたため、自民党以外の党からの出馬を模索していた[19]。6月18日には立候補することになった夫・中山成彬を応援するため、中山恭子が自民党を離党、たちあがれ日本に入党した(たちあがれ日本は、成彬とともに入党することを要望していた[20][21][22])。 選挙期間中には、比例代表公認候補の足高慶宣が、党の制止を振り切り尖閣諸島への上陸を試みようとしたとして、選挙期間中にもかかわらず比例名簿から削除されるという事態もあった。 比例区と選挙区で合計7議席以上の目標[23]には届かなかったものの、比例区で1議席(片山虎之助)を獲得した。この結果、参議院における党所属議員が改選前と同じ3名となり、7月16日に参議院において新党改革と統一会派「たちあがれ日本・新党改革」を結成した。これにより、参議院では予算委員会での質疑に参加できるようになった。 この選挙でたちあがれ日本が獲得した比例区での票数は123万2207票であり、これは国民新党や新党改革を上回る結果である。
平成22年参議院選挙以後