たちあがれ日本
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30日の拡大支部長会議でたちあがれ日本を解党し、石原新党へ合流する[27][28]ことを確認した。たちあがれ日本の国会議員5人が合流することで国政政党要件を満たす[29]ことが確実になった。しかし10月30日の全国拡大支部長会議では「たちあがれ日本を解党して石原新党へ合流する」方針を撤回し「たちあがれ日本を改名して石原新党とする」方針を決定した。これは、たちあがれ日本を解党した場合、たちあがれ日本に対する政党交付金(12月分のみで約4300万円)を受け取れなくなるという事情がある[30]
太陽の党へ党名変更2010年代の第三極の離合集散

11月13日、「たちあがれ日本」を党名変更する形式を取って、新党「太陽の党」の結成を総務省に提出。石原慎太郎と平沼赳夫が共同代表を務め、「たちあがれ日本」所属の現職国会議員5名に石原が参加する形を採って結党した[31]。衣替えした新党には民主党を離党した中津川博郷らも合流する意向を示した[32]。結成にあたって石原は旧知の亀井静香に協力を持ちかけたが、政策理念が異なる橋下徹との連携を図ろうとする姿勢を批判されて新党参加を拒否されている[33]
他党との関係
民主党

「打倒民主党」を掲げているものの、民主党を含めた超党派協議を提言することが多かった。

平沼は自主憲法の制定や拉致問題の解決で自民党はもちろん、民主党内の保守派の協力が不可欠であるとして協力を呼びかけているほか、与謝野は財政健全化や消費税増税は民主党無くしてできないとして超党派協議を行う必要があると提言していた。

園田は、かつて自らが代表幹事や幹事長を務めた新党さきがけにて行動を共にした鳩山由紀夫(共に結党)、簗瀬進(共に結党)、菅直人前原誠司枝野幸男玄葉光一郎小沢鋭仁荒井聰奥村展三五十嵐文彦石田勝之小平忠正ら多くの民主党の議員とパイプを持つ。しかし、政策的にはすれ違う面も多い。

2010年12月24日、民主党の菅直人や岡田克也から連立政権参加の打診を受けていたことが明らかになり、対応が話題となったが、連立参加へ前向きなのは与謝野だけであり、他の所属議員は否定的な姿勢を見せた。27日、たちあがれ日本は正式に拒否した。与謝野は2011年1月13日に離党届を提出、受理され、無所属のまま菅第2次改造内閣に入閣した。

東日本大震災後の平成23年(2011年)6月2日には自民党や公明党とともに菅内閣に対し内閣不信任決議案を提出、これが否決され民主党内部から菅首相への早期退陣論が噴出すると、6月4日に仙谷由人安住淳から連立参加の打診を受けた。園田が8日に会見で明らかにしたものだが、園田は即答を避け「脱小沢」を提案したという。
自由民主党

たちあがれ日本を結成するために自民党を離党した与謝野は除名処分されたが、自民党内にもたちあがれ日本との共闘を唱える者は多かった。石破茂は、「ともに民主党を倒すという思いなら、罵詈雑言や裏切り者などという前に、どうやって共闘するか考えるのが大事だ」と述べ[34]、両党が協力する可能性に言及している。

安倍晋三創生「日本」の会長として、たちあがれ日本と同組織の選挙協力を第22回参議院議員通常選挙の際に実施した。なお、平沼自身も創生「日本」の最高顧問を務めている。また、谷垣禎一は与謝野と政策的に近く、自民党内で行動を共にすることが多かった。

2011年6月2日には菅内閣不信任決議案を公明党とともに三党で共同提出。2012年1月19日からは参議院において統一会派を組む[35]
公明党

たちあがれ日本と公明党は外国人参政権などを巡って対立しており、平沼や与謝野もしばしばこれを批判する。与謝野は過去に、「外国人参政権が成立しなかったのは、与謝野馨が真犯人だと冬柴鐵三(前衆議院議員)さんは思っているくらい」とも発言している。

平沼は保守派の中枢でもあることから、外国人参政権の問題をメディアでもよく口に出し、公明党や民主党を批判している。

また、与謝野は公明党と創価学会の関係を批判したこともあり、創価学会との関係は決して良好ではない。平沼も同様である(ただし、平沼、与謝野、園田は自民党時代は総選挙の際に公明党の推薦を受けていた)。

しかし、先述のようにたちあがれ日本は公明党など4党とともに緊急経済対策申し入れを行ったことからみられるように、協力可能な箇所は連携していた。
みんなの党

結党の際には代表の渡辺喜美から「立ち枯れ日本」と揶揄されたものの、それ以降は共同歩調を取っていた。経済対策ではたちあがれ日本とみんなの党は自由民主党、公明党、新党改革とともに緊急経済対策の申し入れも行っている。但し、みんなの党の「増税を考えるのは脱官僚をやってから」といった姿勢に関して、たちあがれ日本は選挙公約の中で逃げの政治と批判した。

たちあがれ日本の発起人の一人中川義雄の実兄で、代表の平沼がかつて秘書を務めていた中川一郎石原慎太郎東京都知事応援団長は、渡辺喜美が尊敬しているという自身の父・渡辺美智雄と政策や主張が近く、青嵐会で行動を共にし、交友もあった。

また、渡辺自身、平沼とともに日本会議のメンバーである。

2012年11月に維新の会と太陽の党が合流後、石原慎太郎はみんなの党に野党勢力結集のために合流を促したが実現には至らなかった。
国民新党

平沼は国民新党の亀井静香とは自民党時代に同じ派閥(志帥会)に属し、亀井の弟分だった上、政策的にも外国人参政権への反対、選択的夫婦別姓への反対、積極財政派で一致しているほか、ともに郵政造反組で自民党を追い出された仲である。かつては国民新党側から平沼に合流を持ちかけられたこともある。ただし亀井代表時代はたちあがれ日本は消費税増税路線なのに対し、亀井は「景気が悪いときに増税、特に逆進性の強い消費税の増税を政治家や政党が言い出すこと自体、間違っている」と日本記者クラブの討論で述べており、その点で政策的に異なっていた。亀井が去った後、国民新党は民主党に歩調を合わせて税金の倍増を全面的に推し進める方向に転じたため、政策的には大差が無く親民主か反民主であるかの違いのみであると考えられた。

また、2011年12月に亀井が呼び掛け、亀井や石原慎太郎らによる新党結成が噂がされたが、亀井自身が離党したこともあり新党構想は頓挫した。
新党改革(旧改革クラブ)

たちあがれ日本と新党改革は、2010年7月-2012年1月18日まで参議院において統一会派を組んでいた。これは予算委員会での質疑参加を可能にするためであり、政策的にみた統一会派ではないとしている。ただし、新党改革とは自主憲法の制定や外国人参政権反対、消費税増税路線など政策で一致がみられる部分もある。

なお、新党改革の前身である改革クラブに所属していた西村眞悟は上述の通り、たちあがれ日本の大阪府第17区支部長を務めていた。

2011年8月の菅内閣総辞職に伴う参議院における首班指名選挙では、一回目の投票では同会派のたちあがれと歩調を合わせず舛添要一を支持し、決選投票では谷垣禎一自民党総裁支持のたちあがれ・公明党と歩調を合わせず白票を投じた(野田佳彦民主党代表が当選)。
政策

超党派で
自主憲法を制定[要出典]。

経済成長と財政再建を「車の両輪」とし、消費税引き上げを視野に入れる[要出典]。

税制抜本改革で財源を拡大し、社会保障福祉分野の雇用拡大に充当する[要出典]。

郵政改革では将来的な100%郵政民営化を前提。その一方で、全国一律のユニバーサルサービスを維持する[要出典]。

外国人参政権に反対[要出典]。

選択的夫婦別姓に反対[要出典]。


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