実際に2005年1月に『朝までたけし軍団』が放送された際は『朝まで元たけし軍団』という番組名で、解散した「元たけし軍団」の番組として放送された[29]。
しかしこの解散発表は、企画を練っているうちにテレビでのお笑いの企画のような形となったもので、周囲からも本気での解散と受け取られておらず、軍団当人たちも解散とは思っていないとガダルカナル・タカが明かした[28]。『朝まで元たけし軍団』のタイトルでの放送も1回きりで2005年9月放送の第7回からは『朝までたけし軍団』にタイトルが戻された[30]。
グレート義太夫も2016年1月のSMAP解散の報に触れた際、「絶対殿が『たけし軍団解散』とか言い出しそうだよね(笑)」と軍団が存続しているという前提でのつぶやきをTwitterで発している[31]。
なお、2007年の政界転身時にたけし軍団から脱退してそのまんま東の芸名を返上し、タレント活動再開後もオフィス北野に復帰しなかった元メンバーの東国原英夫は2016年12月23日にバラエティ番組『バイキング』で、たけし軍団は既に解散したと主張している。その際、軍団としての仕事の減少による自然解散という前述の理由が説明された[32]。 軍団員はたけしを「師匠」でなく「殿」と呼ぶ。師匠と呼ばれることに抵抗を感じていたたけしが、萩本欽一が大将と呼ばれていることも考えて[33]、1984年5月から「師匠」と呼んだ場合に罰金を取るようになり、「殿」と呼ばせることをたけしが決めた[34]。当初はバカ殿と呼ばせていた[18]。ただし、トーク番組で軍団員ではない司会者等の第三者に対しては「たけしさん」と呼んだり、芸能界引退後の東国原英夫は政治家として『TVタックル』などでたけしと共演した際は「師匠」と呼んでいる。 一軍であるたけし軍団内部に上下関係はなく横並びの関係で、軍団の形が出来た後に加入したグレート義太夫が敬語で喋っていたが、それ以外は年齢差や芸歴に関係なくタメ口だった[35]。しかし軍団の人数が10人になり、さらに希望者が殺到するようになったため、ふるい落とすために希望者はダンカンの弟子の形で受け入れることとし、以後はダンカンが極端に上下関係を強いて、そこで認められた者のみがメンバーとして受け入れられるようになった[36][37]。 たけし軍団にリーダーは存在しないが[38]、初期には太田プロ所属のすがぬま伸が隊長格の役割を果たしていた[39]。 年に一回、事務所(軍団)内で行われる酒席において年功序列が逆転する宴が催される。これによりたけしが最底辺の芸人となり、軍団メンバーからは(下部から上部へ)アゴでコキ使われ、雨あられの説教を受けるという逆転現象で盛り上がる余興がある。この宴会は、たけしが考案した宴会であり、師匠、弟子の垣根を取り払っての宴会は、元々、たけしの師匠である深見千三郎が、自分の事そっちのけで、弟子のたけしに酒を薦めるなど、師匠、弟子関係なく楽しむことを目的とした宴会を考えていたことを実行したものである。 先輩の軍団員は後輩の軍団員を居候させるという方針を取る。これは、まだ芸人として生計が立てられない後輩の軍団員の保護策として機能している。このような先輩が後輩の面倒を見る制度は、たけしが師匠の深見に非常に気に入られ、たけしが深見から破門されても、深見がたけしの面倒を見るなど、芸人を長く続けるようにすべきという意図があった(たけしと深見との師弟関係及び、深見がたけしを破門した経緯については、ビートたけし及び深見千三郎を参照)。一例としてダンカンは結婚するまで、最大で6人の軍団員を居候させていた。なお、軍団員が結婚した場合は、後輩軍団員を居候させることは免除され、別の軍団員の家に預けられる[20]。 変な芸名を付けられる。たけし曰く、芸人としてやっていく覚悟があるのかというたけし流の踏み絵の意図であり[40]、同時に自分を安易に頼ってくる者を門前払いする脅しの意味があるのだという[41]。ただし軍団員全員がたけしによる命名というわけではない。たけしとともに軍団に芸名の名付け親になっていた放送作家の高田文夫は、変な名前をつけるのは落語立川流の立川談志を見習っているからと語っている[42]。 たけしが出演していない番組で、軍団員が多く出演する番組としては、『オールスター感謝祭』(島田紳助→今田耕司が司会。たけしも乱入という形で出演経験あり)があり、そのまんま東とガダルカナル・タカが総合優勝経験がある。たけしの出演している番組で共演する機会の多い人物としては、たけしの相方のビートきよし、放送作家の高田文夫、たけしの友人である島田洋七と言った人物と、たけしが出演しない番組では紳助(2011年に芸能界引退)、タモリ、明石家さんまといったたけしとは比較的共演の多い人物と共演する傾向がある。 軍団員の大半はたけしの映画監督作品(本名の北野武名義)に出演している。特筆すべき作品として 現役軍団員の他、水島新太郎、太田浩介といった元軍団員が出演することもある。 軍団員のダンカンは監督作品として「七人の弔」を制作している。当作品はダンカンの本名の「飯塚実」名義ではなく、「ダンカン」名義である。本人は端役で出演しているのみで、ダンカン以外の軍団員は出演していない。配給は、オフィス北野で、オフィス北野社長の森昌行もプロデューサーとして制作に関わっている。 北野映画に出演している軍団員一覧 たけし軍団の結成後、草野球チーム「たけし軍団」としても活動。現在も神宮草野球場での「茜リーグ」に所属している。『スポーツ大将』では、アマチュア最強とも噂される強豪でノンプロ選手が参加する「東京ファイターズ」や、業界最強と言われたアパレルブランドNICOLEのチームに勝利するなど強い相手ほど勝負強くなる特性を見せた。 助っ人には当時無名であった、とんねるずも参加しており、これをきっかけに、とんねるずはたけしとの交友が深まり、同時にたけしを尊敬するようになる[44]。他にも、たけしとの親交が深かった逸見政孝の息子である逸見太郎も、軍団員の草野球に参加している[45]。 特筆すべきは1991年シーズンオフの11月23日、阪神タイガースのファン感謝デーにて阪神の二軍と対戦して最終回(この試合では特別ルールで6回まで)に逆転勝利したことである。
軍団の特徴
北野映画への出演
「3-4X10月」(前述のように当初は軍団解散記念映画だった。軍団員が多く出演しており、軍団員のほとんどが本名名義で出演している)
「みんな?やってるか!」(軍団員が多く出演している。なお、当作品は日本国内では、「ビートたけし」監督名義による映画である)
「座頭市」(脇役を中心に軍団員が多く出演している)
3-4X10月 柳ユーレイ、ガダルカナル・タカ、ダンカン、ラッシャー板前、つまみ枝豆、松尾伴内、井手らっきょ(以上の人物は本名名義で出演)、芹沢名人、秋山見学者
あの夏、いちばん静かな海。 芹沢名人、秋山見学者
みんな?やってるか! ダンカン、ガダルカナル・タカ、そのまんま東、ラッシャー板前、つまみ枝豆、柳ユーレイ、芹沢名人、秋山見学者、ノーカット星、谷体調、浅草キッド、佐竹チョイナチョイナ、雨空トッポ・ライポ、
キッズ・リターン 北京ゲンジ、水島新太郎(元軍団員)
HANA-BI つまみ枝豆、スピーク☆イージー、柳ユーレイ、北京ゲンジ、玉袋筋太郎、ショー小菅
菊次郎の夏 グレート義太夫、井手らっきょ
Dolls スピーク☆イージー、ブラック・ボックス
座頭市 ガダルカナル・タカ、つまみ枝豆、北京ゲンジ、スピーク☆イージー、サミーモアモアJr.、ブラック・ボックスなど
監督・ばんざい! 井手らっきょ、つまみ枝豆、ゾマホン
アキレスと亀 ケンタエリザベス3世、阿部定忠治、ガンビーノ小林、アル北郷、ルビー浅丘モレロ、赤P-MAN、お宮の松、柳憂怜、三又又三など(柳と三又は元軍団員)
アウトレイジ マキタスポーツ、ケンタエリザベス3世、太田浩介(元軍団員)
CMへの出演
永谷園「百円おそうざい」(1984年) ビートたけし、そのまんま東、柳ユーレイ、松尾伴内、ガダルカナル・タカ、ダンカン、ラッシャー板前、つまみ枝豆、グレート義太夫、大森うたえもん
タイトー「影の伝説」(1986年) そのまんま東、ガダルカナル・タカ、ラッシャー板前、大森うたえもん
郵便局「簡易保険ニューナイスプラン」(1992年) ガダルカナル・タカ、ダンカン、つまみ枝豆、井手らっきょ
ラジオ番組
たけし軍団大阪GIG(ABCラジオ)[43]ガダルカナル・タカ、つまみ枝豆、井手らっきょ、浅草キッド
草野球チーム「たけし軍団」
Size:108 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef