たけし軍団
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たけし曰く、芸人としてやっていく覚悟があるのかというたけし流の踏み絵の意図であり[40]、同時に自分を安易に頼ってくる者を門前払いする脅しの意味があるのだという[41]。ただし軍団員全員がたけしによる命名というわけではない。たけしとともに軍団に芸名の名付け親になっていた放送作家高田文夫は、変な名前をつけるのは落語立川流立川談志を見習っているからと語っている[42]

たけしが出演していない番組で、軍団員が多く出演する番組としては、『オールスター感謝祭』(島田紳助今田耕司が司会。たけしも乱入という形で出演経験あり)があり、そのまんま東とガダルカナル・タカが総合優勝経験がある。たけしの出演している番組で共演する機会の多い人物としては、たけしの相方のビートきよし、放送作家の高田文夫、たけしの友人である島田洋七と言った人物と、たけしが出演しない番組では紳助(2011年に芸能界引退)、タモリ明石家さんまといったたけしとは比較的共演の多い人物と共演する傾向がある。
北野映画への出演

軍団員の大半はたけしの映画監督作品(本名の北野武名義)に出演している。特筆すべき作品として

3-4X10月」(前述のように当初は軍団解散記念映画だった。軍団員が多く出演しており、軍団員のほとんどが本名名義で出演している)

みんな?やってるか!」(軍団員が多く出演している。なお、当作品は日本国内では、「ビートたけし」監督名義による映画である)

座頭市」(脇役を中心に軍団員が多く出演している)

現役軍団員の他、水島新太郎、太田浩介といった元軍団員が出演することもある。

軍団員のダンカンは監督作品として「七人の弔」を制作している。当作品はダンカンの本名の「飯塚実」名義ではなく、「ダンカン」名義である。本人は端役で出演しているのみで、ダンカン以外の軍団員は出演していない。配給は、オフィス北野で、オフィス北野社長の森昌行もプロデューサーとして制作に関わっている。

北野映画に出演している軍団員一覧

3-4X10月 柳ユーレイ、ガダルカナル・タカ、ダンカン、ラッシャー板前、つまみ枝豆、松尾伴内、井手らっきょ(以上の人物は本名名義で出演)、芹沢名人、秋山見学者

あの夏、いちばん静かな海。 芹沢名人、秋山見学者

みんな?やってるか! ダンカン、ガダルカナル・タカ、そのまんま東、ラッシャー板前、つまみ枝豆、柳ユーレイ、芹沢名人、秋山見学者、ノーカット星、谷体調、浅草キッド、佐竹チョイナチョイナ、雨空トッポ・ライポ、

キッズ・リターン 北京ゲンジ、水島新太郎(元軍団員)

HANA-BI つまみ枝豆、スピーク☆イージー、柳ユーレイ、北京ゲンジ、玉袋筋太郎、ショー小菅

菊次郎の夏 グレート義太夫、井手らっきょ

Dolls スピーク☆イージー、ブラック・ボックス

座頭市 ガダルカナル・タカ、つまみ枝豆、北京ゲンジ、スピーク☆イージー、サミーモアモアJr.、ブラック・ボックスなど

監督・ばんざい! 井手らっきょ、つまみ枝豆、ゾマホン

アキレスと亀 ケンタエリザベス3世、阿部定忠治、ガンビーノ小林、アル北郷、ルビー浅丘モレロ、赤P-MAN、お宮の松、柳憂怜、三又又三など(柳と三又は元軍団員)

アウトレイジ マキタスポーツ、ケンタエリザベス3世、太田浩介(元軍団員)

CMへの出演

永谷園「百円おそうざい」(1984年) ビートたけし、そのまんま東、柳ユーレイ、松尾伴内、ガダルカナル・タカ、ダンカン、ラッシャー板前、つまみ枝豆、グレート義太夫、大森うたえもん

タイトー影の伝説」(1986年) そのまんま東、ガダルカナル・タカ、ラッシャー板前、大森うたえもん

郵便局「簡易保険ニューナイスプラン」(1992年) ガダルカナル・タカ、ダンカン、つまみ枝豆、井手らっきょ

ラジオ番組

たけし軍団大阪GIGABCラジオ[43]ガダルカナル・タカ、つまみ枝豆、井手らっきょ、浅草キッド

草野球チーム「たけし軍団」

たけし軍団の結成後、草野球チーム「たけし軍団」としても活動。現在も神宮草野球場での「茜リーグ」に所属している。『スポーツ大将』では、アマチュア最強とも噂される強豪でノンプロ選手が参加する「東京ファイターズ」や、業界最強と言われたアパレルブランドNICOLEのチームに勝利するなど強い相手ほど勝負強くなる特性を見せた。

助っ人には当時無名であった、とんねるずも参加しており、これをきっかけに、とんねるずはたけしとの交友が深まり、同時にたけしを尊敬するようになる[44]。他にも、たけしとの親交が深かった逸見政孝の息子である逸見太郎も、軍団員の草野球に参加している[45]

特筆すべきは1991年シーズンオフの11月23日阪神タイガースファン感謝デーにて阪神の二軍と対戦して最終回(この試合では特別ルールで6回まで)に逆転勝利したことである。「たけし軍団にも負けた阪神」と当時の阪神の弱さ(なおこの年の阪神はリーグ最下位だった)を象徴するエピソードになっている。翌1992年には千葉ロッテマリーンズのファン感謝デーにも招聘されて「非公式パリーグ入れ替え戦」の名目でマリーンズと対戦し(この年のマリーンズがリーグ最下位だったため)、2-1でたけし軍団が勝利を収めている。

実はハンディキャップとして使用球は軟式球を使用していたが後に、ガダルカナル・タカが試合後に練習場を通ると軟球が用意されていてプロの対策は万全だった。他にもヤクルト近鉄にも挑戦を出していて練習試合でヤクルトにも勝利し、結局プロ相手には無敗だった[46]

スクウェア製作のゲーム「日米間プロ野球 FINAL LEAGUE」(2002年)には、たけしが監督として登場し、軍団員(井手らっきょ・つまみ枝豆など)も選手として登場する。
軍団内ユニット

1986年、そのまんま東・大森うたえもん・つまみ枝豆・ガダルカナル・タカの4人でユニット「たけし軍団COUNTDOWN」を組みレコード・デビュー。以下の作品を発表した。
シングル


BON・BON・BON(1986年11月1日)

CONFUSION(1987年2月21日)

一枚の写真(1987年11月21日)

アルバム


COUNT DOWN 1st(1987年3月21日)

俺たちゃアイドル(1987年12月1日)※「おぼっちゃま」の楽曲を含む

たけし軍団COUNT DOWNのすべて(1988年11月21日)※「おぼっちゃま」の楽曲を含む

OH!傑作 ビートたけし&たけし軍団COUNT DOWN BEST SONGS(1989年10月21日)※ビートたけしの楽曲を含む

COUNT DOWN 1st+2(2008年5月21日)

なお、その他のメンバーは音源リリースは見送られたものの、松尾伴内・ダンカン・柳ユーレイ・ラッシャー板前井手らっきょで「たけし軍団IMAGEDOWN」が存在していた。

堀越学園高校の同級生である水島新太郎とサード長嶋は「おぼっちゃま」として思わしい結果ではないが本格的な歌手活動を行い(発表した作品については水島新太郎#ディスコグラフィを参照)、コンサート専用ユニットとして、キドカラー大道・誰なんだ吉武の「ザ・ボーヤ」、大阪百万円・古田古・グレート義太夫の「The KITANAI」があった。
不祥事タレントのたけし軍団での再出発

過去に替え玉受験で問題になったなべおさみの息子のなべやかんをたけし軍団に迎え入れたことで[47]、タレントなど(特にお笑い系)による不祥事が起きると「“たけし軍団”入りで再出発か」というネタのような話がよく出てくるのも特徴である[48][49]。軍団ではないがスキャンダルを抱えた山本モナがオフィス北野に在籍していたことから、たけし自身、「『たけし再生工場』の評判は、芸能界じゅうに轟いてる」と語っている[47]

田代まさしが不祥事を起こした際も軍団入りの情報が出た。だが、田代が実刑判決を下された後に、たけしが「あんな野郎に関わりたくはない」とコメントとしたと報じられて、田代の軍団入りは実現していない。ただし、インタビューでは、車椅子の国会議員である八代英太をもじった田代英太という芸名で車椅子に乗せようとメールを送ったが、田代に断られたと話している[48]

軍団で大きな不祥事にはフライデー襲撃事件ラッシャー板前井手らっきょつまみ枝豆は不参加)がある。


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