そろばん
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なお使用できる状態でという限定ではあるが、現存する日本最古のそろばんは前田利家所有の陣中で使ったといわれているのもので尊経閣文庫に保存されているもの(1桁に五玉2つ・一玉5つで9桁、縦7cm、横13cmの小型で、桁は銅線、珠は獣骨製)[6]とされていた。2014年における珠算史研究学会の考察では、黒田藩家臣久野重勝の家に伝来した秀吉拝領の四兵衛重勝拝領算盤というそろばんの方が古いという[7][8]

なお、室町時代の「文安元年」(1444年)の墨書銘の残るそろばんが現存し、前田利家のそろばんに匹敵する古さとの見方がなされている[5][9][10]

そろばんが民衆に広まったのは豊臣秀吉に仕えた毛利重能に留学したのち、京都で開塾し、そろばんを教授するようになってからである[5]。毛利重能は後の関孝和に連なる和算の始祖となっている。1979年に発売された、そろばんと電卓を組み合わせたシャープのソロカル(EL-8048)塵劫記の、そろばん使用法を解説している頁

江戸時代には「読み書きそろばん」といわれ寺子屋や私塾などで実用的な算術が教えられていた[11]

1872年の学制で小学校の算術は「洋法ヲ用フ」とされ、そろばんは小学校の算術から追放された[12]。この急変には社会の実情に合わないとの声があり混乱が見られたため、明治6年文部省布達第37号の補則で珠算も併用する趣旨であるとの通達が出された[12]。結局、この補則も1874年には廃止されたため、そろばんは小学校では教えられなくなった[12]。しかし珠算の価値が再認識され、明治14年文部省令で筆算または珠算のいずれかを選択するか併用できるとする法令が発布された[12]1900年の小学校令施行規則では筆算を本体とし、土地の状況により珠算を併用することとされた[12]

日本では昭和中期くらいまでは、銀行の事務職や経理の職に就くにはそろばんによる計算(珠算)を標準以上にこなせることが採用されるための必須条件だった。小学生や中学生が珠算塾に通った他、珠算の協会の主催による珠算検定を受験し「○級」(4級?1級など)を習得し、就職時に履歴書に書いた。珠算塾ではしばしば、そろばんを使った珠算だけではなく、暗算の講座も開かれており、そろばんを指で動かせるようになると、それを応用して習得でき、就職のために暗算検定の「級」も習得する人が多かった。なお、この時代、手動式アナログ計算器としては計算尺があり、理系の人間はそちらも使いこなした。
電卓やコンピュータの登場

競技において計算機械より速く計算した、という記録もいくつか存在している。1946年11月11日[注釈 1]、アーニー・パイル劇場(接収中の東京宝塚劇場)にて、『スターズ・アンド・ストライプス』紙の後援で逓信省一番のそろばんの達人であった貯金課の松崎喜義[注釈 2]と、最新の電動機械式計算機を使うアメリカ陸軍所属でGHQの20th Finance Disbursing SectionのThomas Nathan Wood二等兵との間で計算勝負が行われ、4対1でそろばんが勝利を収めている[13][14][15][16]カシオ計算機の樫尾俊雄はこれを報じる新聞を前に「算盤は神経。されど計算機は技術なり」とメモした[15](勝負を見ていた、とする説もある[17])。物理学者リチャード・ファインマンは自伝(R・P・ファインマン 1986, pp. 10?14)の中で、自身がそろばんの達人と計算のスピードを競い合ったエピソードを紹介した。
教育分野での再評価

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}教育においては、十進法の概念を理解させるための格好の教材とされることもある[要出典][誰によって?]。文部科学省(旧:文部省)が改定してきた小学校学習指導要領の算数の履修項目から、そろばんが外されたことはない。

ひとつの特長として、一定以上そろばん(珠算)の能力がある場合、特別な訓練を経なくてもその場にそろばんがなくても計算できるようになることが挙げられる。これを珠算式暗算という。一般にある程度習熟すれば、加減算においては電卓より早く計算ができる。なお、2019年現在「そろばんを習う」といえば「珠算、珠算式暗算、読み上げ算、読み上げ暗算、フラッシュ暗算」のすべてを習っていることがほとんどであり、珠算競技はこれらから出題される。

1955年より全国の高校生がそろばん技能を競う「全国高校珠算競技大会」(通称:そろばん甲子園)が、阪神・淡路大震災があった1995年を除いて毎年行われてきたが、競技人口の減少に伴い2009年8月19日の第55回大会で廃止となった。1980年代後半から1990年代前半のピーク時には約90校から600人前後が参加したが、2009年の参加は59校300人となっていた。

1960年から1990年代半ばにかけて、NHKラジオ第2放送では『そろばん教室』という珠算教育の番組も放送された。

そろばんに対する再評価にもかかわらず、そろばんの市場は縮小している。しかし、2000年代半ばより再び、そろばんが見直されてきており、そろばん塾の塾生は再び増加傾向にある[18]。珠算検定と漢検、あるいは珠算検定と英検を同時に対策する、などといった複合型の学習塾が目立ってきたのも21世紀の特徴である。

2000年、eラーニングの「インターネットそろばん学校」が開発され、そろばん初のWEB学習が可能となった。

日本国外では、ハンガリーで1990年代に日系女性がそろばんを紹介してから、1割ほどの小学校で授業に採用されている[19][20][21]
構成

そろばんは、珠(たま)、枠(わく)、芯(軸ともいう)を組み合わせて作られる。

珠はカバツゲ(まれにソヨゴイスノキウメなど)、枠は黒檀、芯は煤竹(すすたけ)のものが一般的であるが、時代が経るにつれ、原材料が入手しにくくなってきているため、廉価なものでは積層材やプラスチックが使われることもある。現代でもほとんどの製造工程が手作業で行われており、枠に製造者の銘が入っているものも多い。枠は上下左右の枠、梁(はり)または中棧(なかざん)といわれる横板、裏軸や裏板からなる。それぞれの芯(軸)には珠が通され、梁を挟んで外側の枠によって固定されている。1つの芯(軸)の梁の上下の珠の数は形式により異なる。

枠の左側を上(かみ)、右側を下(しも)という。珠を上下に滑らせることで計算が行われ、梁と接している珠の数が盤面に置かれている数字(布数)を表す。

近年では付加機能としてボタン1つでご破算(珠払い)ができるワンタッチそろばんなども存在し[22]、各種競技会や検定試験で使用可能である。
珠の数

芯(軸)ごとの珠の数は顆という単位を用いる[23]。例えば天(梁の上側)に1つの珠、地(梁の下側)に4つの珠を配置したそろばんであれば天1顆、地4顆(天一地四)の形式となる[23]。天の1珠は梁に付くと5を表し、状態で0または5を表すため五珠(ごだま)、地の4珠は梁に付くと1つが1を表し、状態で0から4までを表すため一珠(いちだま)という。

枠が大きく珠の形状が丸い中国の算盤(さんばん)では天2顆・地5顆(天二地五)のそろばんが用いられていた。このそろばんは普通の置き方で五珠で0、5または10、一珠で0から5まで、1桁では0から15まで表せる。さらに上の五珠を半分下ろし、下の五珠を完全に下ろすという特殊な置き方(「懸珠」と呼ばれる)は15を表すので、1桁で最高20まで置けることになる。現代の中国で算盤がいまだに用いられることがあるのは、尺貫法が民間に根強く残っているからである。中国で発達した尺貫法では度量衡の重さの単位で1が16と定められていたため、十六進数の計算をする必要があったのである。

日本では十六進数の計算は必要ではなかったが、江戸時代の乗算や除算の方法(尾乗法・中乗法・帰除法)では、一時的に1桁に10以上溜まる場合もあった(尾乗法・中乗法・帰除法では、一時的に1桁に最大18まで溜まる場合があり、16以上の場合は懸珠を使うことになる)ので、江戸時代まではこの五珠2つの形式が多く使われていた。明治時代になって、不要な五珠を1つ減らした天1顆・地5顆の五つ珠(いつつだま、天一地五ともいい、1桁に10までの数が置ける)の形が普及したが、地5顆の形はしばらく続いた。


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