ベニー・グッドマンは1934年に自身のビッグバンドを結成し、当初からディーン・キンケイド (Dean Kinkade) やスパッド・マーフィー
(Spud Murphy) ら、多数の才能ある編曲者たちを雇った。1935年には、フレッチャー・ヘンダーソンやその弟ホレス・ヘンダーソンに加え、バンドリーダーのチック・ウェッブ (Chick Webb) の下で働いていたエドガー・サンプソンの編曲も使用するようになった。1936年、サンプソンはグッドマンに、「サヴォイでストンプ (Stompin' at the Savoy)」と「If Dreams Come True」の2曲を提供した。グッドマンによる「サヴォイでストンプ」はヒットしてチャート入りを果たし、チック・ウェッブの録音もチャート入りした[1]。サンプソンは1934年に「サヴォイでストンプ」を書いて編曲もしており、既にウェッブ楽団が同年のうちにこの曲を録音していたのである。1938年1月16日、グッドマン楽団は、ニューヨークのカーネギー・ホールにおける伝説的なコンサートにおいて、グッドマンがチック・ウェッブとエドガー・サンプソンに敬意を表し、この晩の演奏を「その手はないよ」で開演したのである。そのひと月後、グッドマンはRCAビクターのためにこの曲を吹き込み、同年末には全米首位のヒットとなった[1]。その数年後、「その手はないよ」の2つのバージョンのどちらが好みかと問われたサンプソンは、こう答えた。「音楽的にはチックのバージョンの方が僕の好みだ。財政的には、もちろん。ベニーの方さ[1]」。 ボーカリストのミルドレッド・ベイリー
その他の録音
「Don't cry, oh honey please don't be that way of(泣かないで、ねえ、どうかそんなにしていないで)」
その後は、「Tears like a rainy day(雨の日のような涙)」が、万事を好転させるだろう、なぜなら、「tomorrow is another day(明日は、また別の日)」なのだから、といった歌詞が続く[1]。
この曲は、程なくして人気の高いジャズのスタンダード曲となり、1944年にはロイ・エルドリッジがグッドマンとハリー・ジェイムスを迎えてこの曲を吹き込んだ(後にアルバム『Little Jazz Giant』に収録)。1938年には、ライオネル・ハンプトンがこの曲をカバーし、その録音ではサンプソンがバリトン・サクソフォーンを演奏した。その他、ジョニー・ホッジス、クーティ・ウィリアムス、さらに1944年にテディ・ウィルソンがエメット・ベリー (Emmett Berry) やエドモンド・ホールと行なった録音、1950年代のオスカー・ピーターソンによるもの、ルイ・アームストロングとエラ・フィッツジェラルド(アルバム『Ella & Louis Again』収録)、アニタ・オデイ (Anita O'Day) とラリー・バンカー (Larry Bunker) などの録音がある[1]。
また、近年では、ジーン・ハリス、ジョン・ピザレリ (John Pizzarelli)、シルヴィア・ドロステ (Silvia Droste)、ペーター・ハーボルツハイマー (Peter Herbolzheimer)、トゥーツ・シールマンス、テリー・ギブス・ドリーム・バンド (Terry Gibbs Dream Band) などの録音がある[3]。
脚注^ a b c d e f ⇒Don't Be That Way bei Jazzstandards.com
^ Vgl. Carlo Bohlander, Jazzfuhrer, Stuttgart, Reclam, 1990, S. 447.
^ Bielefelder Katalog Jazz 1988 und 2001.
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