同作品は1964年に文芸春秋新社より258ページに渡る作品として出版された[3]。
1964年上半期の第51回芥川龍之介賞を受賞した[4]。1962年のドイツ留学前に著者の柴田翔が完成させ、その後186万部のベストセラーとなり、1960年から1970年代にかけての若者のバイブルとなっている[5][6]。 日本共産党が武装闘争の方針を撤回した1955年の第6回全国協議会(六全協)前後の東大を舞台として、デモ活動から逃げ出してきた経験を持つ男性や学生運動の挫折後に主婦として生きることに疑問を持つ女性などの様子を描くことによって、出会い・別れ・闘争・裏切り・死などの要素を作中に登場させ、確かなものなど何一つない時代を生き抜く若者たちの様子を写し出した[5][6][7]。
あらすじ
関連項目
芥川龍之介賞
柴田翔
「されどわれらが日々」より 別れの詩
脚注[脚注の使い方]^ “されどわれらが日々―とは - Weblio辞書
^ “されどわれらが日々―(されどわれらがひび)の意味 - goo国語辞書”. goo辞書. 2020年11月24日閲覧。
^ “されどわれらが日々ー - 国立国会図書館リサーチ”. 2020年11月24日閲覧。
^ “柴田翔(しばた しょう)-芥川賞受賞作家|芥川賞のすべて・のようなもの”. prizesworld.com. 2020年11月24日閲覧。
^ a b “集団主義に巻き込まれる弱さ 柴田翔「されど われらが日々――」|好書好日”. 好書好日. 2020年11月24日閲覧。
^ a b finalvent. “「青春の考古学」としての芥川賞受賞作――『されど われらが日々――』の蹉跌[一 。新しい「古典」を読む 。finalvent]”. cakes(ケイクス). 2020年11月24日閲覧。
^ “『されどわれらが日々――』柴田翔 。電子書籍”. 文藝春秋BOOKS. 2020年11月24日閲覧。
1930年代 - 1950年代(第1回 - 第42回)
1930年代
第1回 石川達三「蒼氓」
第2回 該当作品なし
第3回 小田嶽夫「城外」/鶴田知也「コシャマイン記」
第4回 石川淳「普賢」/冨澤有爲男「地中海」
第5回 尾崎一雄「暢気眼鏡」他
第6回 火野葦平「糞尿譚」
第7回 中山義秀「厚物咲」
第8回 中里恒子「乗合馬車」他
第9回 半田義之「鶏騒動」、長谷健「あさくさの子供」
第10回 寒川光太郎「密獵者」
1940年代
第11回 高木卓「歌と門の盾」
第12回 櫻田常久「平賀源内」
第13回 多田裕計「長江デルタ」
第14回 芝木好子「青果の市」
第15回 該当作品なし
第16回 倉光俊夫「連絡員」
第17回 石塚喜久三「纏足の頃」
第18回 東野邊薫「和紙」
第19回 八木義徳「劉廣福」/小尾十三「登攀」
第20回 清水基吉「雁立」
第21回 由起しげ子「本の話」/小谷剛「確証」
第22回 井上靖「闘牛」「猟銃」
1950年代
第23回 辻亮一「異邦人」