さらば冬のかもめ
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

特にバダスキー役に関しては原作の主知主義的な部分と「美しい妻を持つ」という二つの設定を変えて、荒々しい武骨な男へと変更した[5]。また原作では最後にバダスキーは命を落とす事になっていたが、これも取り除かれた[5]

エアーズは幾つかの大作を成功させた実績を背景にコロムビア映画に製作資金を出させる事に成功したが、配給側の作品中での言葉遣いに関する懸念を解くのに非常に苦労した[6]。コロムビア映画の重役は作品で使われる罵倒を減らすか、別のものに変える事を条件に出したが[6]ロバートが拒絶した事で、ニコルソンの主演が決まる直前まで企画は存亡の危機にあった[3]

監督に関してはロバート・アルトマンハル・アシュビーの二人にオファーが出され、後にエアーズは「私はアシュビーの持つ作風がこの映画に必要だと感じた」と回想している[6]。当時、アシュビーは「ハロルドとモード」(1971年)の商業的な失敗から立ち直り、新しい映画を作れる立場に復帰していた[7]。実は1971年にアシュビーは一度オファーを断っているが、1973年に再度オファーを受けた時には作品参加に意欲を見せた[8]。同年にアシュビーは「Three Cornered Circle」というMGM社製作の映画に監督として招致されていたが、これを蹴って本作の監督を引き受けている[3]。しかしコロムビア社はアシュビーの製作スタンスを嫌っており、契約には後ろ向きであった。両者の不仲は予算に響き、当初予定されていたよりも遥かに減額された260万ドルしか支払われなかった[6][9]
キャスティング

バダスキー役とマルホール役は既に決定していた為、役者の選定は主にメドウス役に絞られた[10]。「ハロルドとモード」で主役に抜擢されたボブ・コートはメドウス役での出演を直訴したが、アシュビーはメドウス役のイメージに合わないとして却下した[9]。オーディションの結果、最終選考に残ったのはランディ・クエイドジョン・トラボルタで、予定されていた役柄は「気弱で小柄な青年」だった(クエイドは非常に長身である)が、アシュビーの判断でクエイドがメドウス役に選ばれた[11]。彼にアシュビーが予定していた風変わりな雰囲気があった為である[9]。脚本家のロバート・タウンは「彼の大柄な体格には確かに悲哀が存在していた…それはアシュビーでなければ見逃していただろう」と回想している[11]
プリプロダクション

主役のニコルソンが「キング・オブ・マーヴィン・ガーデン」に参加していた関係で、撮影の開始は予定より一年半ほど後になった[6]。製作会議では主役3人をバート・レイノルズジム・ブラウン、デビッド・キャシディに役者を交代して作品を早期に作ろうという意見もあった。しかしエアーズは主役3人の交代に猛反対し、別のスタジオで製作する事を恐れた製作スタッフも待つことに同意した[6]

撮影の前段階でアシュビーとエアーズは原作の作品設定を監督した退役軍人に面会したり、海軍の資料を読んだりして設定を見直した[3]。ロケ地についてはリアリティを出すために実際のノーフォーク基地とポースマツ海軍刑務所を使用したいと考えていたが、海軍の許可が下りなかった。しかし代わりにカナダ海軍が協力を申し出てくれたので、撮影班はトロント海軍基地を主な撮影場として使用した[3] 。基地は撮影スタッフの要望を満たすだけのリアリティを生み、アシュビーはそこで出演者の一人であるキャロル・ケイン(娼婦役)と面会している[10]

順調に思えた矢先、カナダ滞在中に監督のアシュビーがマリファナ所持の容疑で警察に拘束されるという事態が起きた。製作側では作品製作の中止を巡る動きが起こったが事件があまり大きく報道されなかった事や、ニコルソンが作品参加の意図を変えなかった事で製作続行が決まった[12]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:45 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef