さらば冬のかもめ
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苦肉の策としてアシュビーは撮影助手のマイケル・チャップマンを撮影監督に昇格させ、彼は独特の撮影法で映像にドキュメンタリー風の雰囲気を与えた[15]。またアシュビーはシーン撮影の際にニコルソンにファインダーを覗かせて撮影の範囲を事前に教えていたので、彼はこれを生かして映像に写りこむことが出来た[16]。役者達はこうしたアシュビーらの努力を賞賛するコメントを残している[17]
ポストプロダクション

撮影が完了した後、アシュビーは編集に映像を回して場面のカットなどを行わせた[18]。だが出来上がった物に不満を抱いたアシュビーは編集を解任して、自分で編集を行うべきか悩んだという。エアーズは豊富な経験を持つ編集者ロバート・ジョーンズを後任に推薦した[18]。ジョーンズは精力的に仕事をこなして、一ヵ月半で最初の編集版(4時間)を製作した。アシュビーは彼の仕事振りを信頼して、編集作業を全面的に委任した[19]。残りの編集はアシュビー宅で行われたが、一つ一つの場面に彼が悩んだ事で完成版までには非常に長い時間が掛かった[20]。編集作業の間、アシュビーは一切コロムビア社の連絡を無視し続けた。コロムビア社はその度に更に上役に連絡を行わせたが、全く取り合ってもらえなかった.[20]。ロンドン滞在中、アシュビーはピーター・セラーズと話している時に、コロムビアの催促にうんざりしたジョーンズからの電話を受け取った[21]。スタジオはコロムビア社がフィルムを引き取りに来ている事をジョーンズに告げ、彼はどうにかスタジオを宥めてフィルムを手元に置いていた[21]。またタウンはしばしばアシュビー宅を訪れて編集作業を見ていたが、映画のテンポに注文を付ける事があった[20]。コロムビア社はアシュビーが使ったジャンプカットの演出を批判した[22]。またスタジオは作品中で使われた罵倒の多さを心配していた。当時スタジオは財政難にあり、ヒットを飛ばさなければならない状態だった[21]

様々な過程を辿りつつ1973年8月に映画は完成したが、罵倒文句の存在を注視しつつもアメリカ映画業協会(MPAA)からは「R評価」を与えられ、保護者同伴なら子供でも見る事が出来た。成人映画指定(「NC-17評価」)を避け、一般上映を勝ち取った形だったが、それでも製作会社は作中から「fuck」の回数を減らそうとした[23]。コロムビア社の行動で映画放映は更に半年延期された[22]。アシュビーはコロムビアに試写会で市民の反応を伺ってから修正するべきだと述べ、サンフランシスコで大規模な上映会が行われた。試写会は大盛況に終わり、製作会社はそのまま放映を開始する事を決意した[24]
評価

公開後、『さらば冬のかもめ』は高い評価を受け、1974年のカンヌ映画祭パルム・ドール(最高作品賞)にノミネートされた他、主演のジャック・ニコルソンがカンヌ国際映画祭男優賞を授与された(これはアンソニー・パーキンス以来、13年振りのアメリカ人俳優の受賞となった)[25]。アカデミー賞からはニコルソンがアカデミー主演男優賞ノミネート、ランディ・クエイドがアカデミー助演男優賞ノミネート, ロバート・タウンがアカデミー脚色賞ノミネートを受け[26]、ゴールデングローブ賞からもニコルソンとクエイドがそれぞれ主演男優賞と助演男優賞にノミネートされた[27]

ニコルソンは英国アカデミー賞から主演男優賞を授与され[27]、全米映画批評家協会賞男優部門・ニューヨーク映画批評家協会賞なども受賞した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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