1990年代前半から単独ライブをソフト化しており、当時では先進的な試みであった。
かつてゲスト出演した『グータンヌーボ』(関西テレビ)では、「ボケがドSでツッコミがドMの珍しいコンビ」という診断結果が出ていた(精神科医・名越康文による)。実際にネタでも大竹の理不尽な連続ボケに三村が対応しきれず、慌てふためいたところに笑いが起こるといった状態がよく見られる。
多数の冠番組を持つものの、MCには苦手意識がある。特に三村は自身の仕切り能力を自己分析した結果「司会はできない」と公言しており、それは周囲も認めている(ただし『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』(テレビ朝日)などMCの番組進行は、強制的に三村が担当)。そのためか「さまぁ?ずに3人目を入れるなら司会進行のできるアナウンサーしかない」と2人の意見が一致している(3人目の例として、『Qさま!!』での清水俊輔アナを挙げている)[3]。
エピソード
楽屋が同室(『さまぁ?ず×さまぁ?ず』など2人だけでトークする一部の番組を除く[15])だったり、新幹線・飛行機など移動の際にも隣同士で座るなど「仲が良い」と言われることが多い。後者に関して大竹は「隣に知らないおじさんが来るより"知ってるおじさん"が来た方がいい」と述べている。
喧嘩なども少ないが、「他の芸人と戦わねばならないのに、コンビで喧嘩をしている場合ではないから」と語っている[16]。
「大竹は神経質で潔癖症。三村はガサツでおおらか」というイメージがあるが、実際は三村もかなり神経質であり、三村が物凄く気にすることを逆に大竹が一切気にしないこともある。
低迷期の頃、三村は大竹に「バカルディの核は大竹だ。ヨゴレ仕事は全部オレが引き受けるから、お前は思う存分ネタを書け」と言い聞かせていた[3]。
あくまで本業はお笑いだと、お笑い系でない仕事は多く断っており社内では売れていないくせに態度が大きいと不評だったという[16]。
その間の三村はほぼ手しか映らないようなレポーターなど、やや毛色の違う分野での活動でコンビを支えた[注 3]。一方、大竹は地上波といったバラエティ番組(日本テレビ『ジャムパラ』など)の構成を担当していたこともあった。
コンビ愛は極めて強く、三村は『いろもん』(日本テレビ)においてピンでの出演時を「俺の面白さに満足するんじゃねぇよ!と思ってた。バカルディには俺の後ろにもっと面白い奴(大竹)が控えてるんだぞ!」と振り返っている[3]。
出川哲朗はさまぁ?ずのコンビ愛の象徴的エピソードとして上記の逸話を好むが、大竹曰く「(レポーターなどの)ギャラは全て三村のみであり、自分は生活が苦しかったので支えてもらっていた訳ではない」と語っている[14]。
2人の身長差はないように見えるが、三村は普段から厚底靴を愛用している(三村は165cm、大竹170cm)。
若手時代、三村が寝坊し、大竹がベランダ(当時1階のアパートに住んでいた)から「おい!起きろ!遅刻するぞ!」と起こしに来たが、寝起きで機嫌が悪かった三村は「高飛車な態度で起こすな!」と言ってしまい、その言葉に大竹がキレて窓に並べてあったあらゆる赤べこを三村に向かって投げつけ、先に行ってしまい、三村は内心「待って…」と思ったという。
冠番組のタイトルには、ほぼ全てコンビ名もしくは「さまぁ?ず」をモジったものが付いている(特に深夜番組)。これはテレビ欄を見た際に誰が出ている番組かすぐ分かるようにするためと、これならさまぁ?ずに興味の無い人は見ようとしないという大竹の戦略によるもの。これを続けている以上ファンが根強いファンになることはあっても、それ以上増えることも減ることもまずないだろうと2人は語っている[3]。
テレビ番組でのイメージカラー(名前テロップ、発言テロップ、衣装の色など)について、おおむね大竹は青■、三村は赤■が多い(「トゥルルさまぁ?ず」のみ、大竹はピンク■)。
伊集院光は、『大石恵三』が視聴率の低迷で打ち切られたことがバカルディ時代の不遇の原因だと指摘している。また、メンバーは当時の自分たちを「クソつまらなかった」と振り返っている[16]。
1996年頃、『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)の番組内で三村のツッコミが何度もネタにされた。岡村隆史(ナインティナイン)は当時から三村を「関東一のツッコミ」と称賛し、各所で三村のまねを披露していたが当時の三村の知名度からテレビでそのシーンが放送されるのは稀だった。また、『めちゃ2イケてるッ!』(フジテレビ系)のコーナー「笑わず嫌い王決定戦」にもコーナー開始当初から出演(一時期、裏番組の『ビートたけしの!こんなはずでは!!』(テレビ朝日)のレギュラーであったため出演を自粛した時期がある)。これらもまたさまぁ?ずが後に再び脚光を浴びる下地となっており、メンバーたちも様々な場所で「(再ブレイクは)ナインティナインのおかげ」と語っている[16]。
2人とも学生時代からビートたけしを憧れの芸人としている[3]。また、北野武監督作品のファンとも公言している。芸人としてはとんねるず・ウッチャンナンチャン(特に内村光良を大変尊敬している)から、タレントとしてはタモリ、芸風としてはダウンタウンの影響が強い。芸人では唯一、とんねるず・ダウンタウン・ウッチャンナンチャンといったお笑い第三世代の3組と、昔から現在までそれぞれ交流を持っている。
所ジョージは、バカルディ時代から「俺は面白いと思うよ。俺が面白いと思うだけで売れないかもしれないけどね」とそのコントを評価している[3]。
下ネタ・セクハラも辞さず「エロ芸」の域まで高めている2人だが、『モヤモヤさまぁ?ず2』(テレビ東京)でアシスタントだった大江麻理子アナは「さまぁ?ずのお2人は普段非常に紳士的。だからセクハラも気にならない」と語っている[16]。しかし前述の通り、その芸風でBPOに苦情が寄せられたこともある[17]。
ズージャ語、所謂「業界用語」を戯けて使うことが多い(「ションテン(=テンション)が下がる」「ルーシー(=汁)が出る」など)。
出川哲朗・ネプチューン・キャイ?ン・よゐこ・TIMらと共に「ウンナンファミリー」と呼ばれている[18]。
2010年、リリースしたさまぁ?ず関連のDVDが30本を超えた。冠番組のDVDについて大竹は「気がついたらこんなに増えていた」「DVDに相応しくないものは出したくないっていうスタンスじゃないとダメ」、三村は「あらかじめDVDにしますって番組が始まるのが一番嫌い。結果、作品として良かったらDVDにしてくださいって言っています」と述べている。
携帯電話の普及後間もなく2人で一緒に契約したため、電話番号が2数字しか違わない。そのためお互いが相手の番号を覚えている[19]。
2人とも好きなミュージシャンはサザンオールスターズで共通しており、桑田佳祐とも交流がある[20]。
2人とも同じ美容室に通っている。また、偶然だが同じ美容室通いの芸能人には桑田・原由子夫妻がいる[21]。
桑田は2人の才能を認めており、『桑田佳祐の音楽寅さん ?MUSIC TIGER?』(フジテレビ)の収録中に前述の美容院の美容師を通して「なんかいいボケがないか、大竹ちゃんに訊いてくれる?」と尋ねたこともあったといい、収録では大竹が提案したボケを行なったもののオンエアではその部分がカットされたという逸話が存在する[20]。また三村は自身がデザインしたTシャツを桑田へプレゼントしたことがあり、サザンの映像作品にも桑田がそのTシャツを着た姿が映されている[22][23]。
コンビ揃って熱狂的な読売ジャイアンツのファンである。
改名のエピソード