さまぁ?ず
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大秩B一樹(おおたけ かずき、1967年12月8日[1] - )(56歳)
身長170 cm、血液型O型。ボケ(ネタによってはツッコミ)・ネタの原案作り担当。ユルめのセクハラ担当でもある。妻はフリーアナウンサーおよび元フジテレビアナウンサーの中村仁美で、息子が3人いる。
来歴・人物
デビュー前

2人とも東海大学付属高輪台高等学校に単願推薦で入学し、2年生の時に同じクラスとなったことが出会ったきっかけ[2]坂上忍も同級生だったが、2人と知り合う以前に中退していたため芸能界で初対面となった。

1988年5月、既に事務所からスカウトされていた高校時代の同級生から連れられホリプロの事務所へ見学に訪れたのがきっかけで、お笑いの道を進むことになった。デビュー当初は元同級生・大竹・三村によるトリオ「しゃぶしゃぶ」を組むも、短期間で解散。後に東海大学文学部北欧文学科ノルウェー語専攻在学中だった大竹が大学で知り合った友人を三村に紹介し、再びトリオを結成。だがその友人も程なくして脱退した。
バカルディ時代

1989年4月、ホリプロのお笑いライブに出演してコンビ「バカルディ(『バカルディー』の表記も混在[注 1])」として本格的な活動を開始。コンビ名は、ネタを考えていた際に着ていたバカルディのTシャツが由来。また、ダブルミーニングとして日本語の「バカ」の意味も込められている[注 2]。同期に田口浩正小浦一優(芋洗坂係長)が組んでいたコンビ「テンション」などがいる[3]

1990年代前半、『ザ・テレビ演芸』(テレビ朝日)の審査員をしていた山藤章二の支持を受け(他の審査員はキリングセンスを支持していた)、関東期待の若手芸人としてテレビ・ラジオなどで活躍する。同時期に人気を博したホンジャマカと共に当時の人気力士に準えて「お笑い界の」とも称され、各局でレギュラー番組を持った。しかし、『大石恵三』(フジテレビ)がわずか半年で打ち切りになると1990年代半ば頃からメディア露出の機会が減少、不遇の時期を過ごす。当時『ボキャブラ天国』(フジテレビ)の出演を打診されるも大竹は断った。ボキャブラブームの到来後、再度の途中出演を打診されたが「一度決めたことを今更変えられない」という思いを固持し続け、番組終了まで『ボキャブラ天国』の出演はなかった。その後は主な活動を舞台へ移し、コンスタントなライブ活動を続けていた。
さまぁ?ず時代

2000年出演『新ウンナンの気分は上々。』(TBSテレビ)の企画において、コンビ名を現在の「さまぁ?ず」へ強制的に改名させられた(後述)。これを足がかりとして再び世間の注目を受け始め、三村独特の「?かよ!」に代表されるツッコミ(通称「三村ツッコミ」)が認知され再ブレイク。ここから徐々に活動の場を広げていった。

2000年以後は人気が定着、お笑いブームの中でゴールデンタイムから深夜番組まで八面六臂の活躍ができる中堅芸人としてテレビを中心に活躍。舞台、書籍などでも活動している。

2003年、第41回ゴールデン・アロー賞芸能賞受賞[4]

2007年フジテレビNHKを除くキー局で新番組が開始するなど飛躍。深夜のレギュラーが多いことから「深夜の帝王」という異名を付けられた[5]

2010年、大竹が第10回M-1グランプリ決勝の審査員を務めた。

2011年、大竹が第10回M-1グランプリに引き続き、THE MANZAI 2011の決勝審査員を担当。

2014年7月、日本テレビ系で『ネリさまぁ?ず』が開始。NHKを含む全てのキー局で同時にレギュラー番組を持つ[6]

同年10月9日、第31回ベストジーニスト2014で協議会選出部門で受賞[7]

2015?2020年まで、同じ事務所の後輩であるバナナマンと共にコンビでキングオブコント決勝の審査員を担当していた。

2020年8月12日、YouTubeチャンネルさまぁ?ずチャンネル」を開設[8][9][10]
芸風

深夜帯のトーク系バラエティ番組が多いため、テレビタレントとしてのさまぁ?ずの芸風は「ユルい」と評されることが多い。これについて三村は「ユルいことやってるつもりはないけどそう見られる」、大竹は「ユルいは俺らにとってあまりいいことじゃないのに」と語っている。

ネタは主にコントで、ネタ作りは共同で行う。大竹がネタの大半を作り、三村がツッコミのフレーズを考える。大竹の「大竹ワールド」とも称されるシュールなボケと三村の「?かよ!」に代表される豪快なツッコミが特徴的で、ダウンタウンによる漫才の芸風に似ていると言える。「?かよ!」は三村の持ちネタだと思われがちだが、大竹も使っている。

毎年(2005年以降は2年に1回)開催している単独コントライブは、チケットが即日完売するほど人気・評価が高い[11]。メンバーは自分たちの本分は舞台コントにあると考え、多くのレギュラー番組を持っている現在でもコントライブへ重きを置いており、「東のコント職人」と評されている。テレビではコントをベースとした漫才(コントで用いる道具を使わないなど)を披露することもある。他にも大竹の考えたダジャレをコントのネタに織り込んだり、提示されたフリップに対して三村がひたすら「○○かよ!」とツッコむネタもテレビで披露することがある。

即興芸の場では2人とも下ネタを好み、セクハラネタも多い。下ネタ・セクハラが多すぎたあまりBPOに苦情まで来たこともあるものの、オリコン調べの「好きな男性芸人ランキング」(2008年)では総合9位(明石家さんまと同率)、男性回答だと3位。同調査だと女性回答では5位圏外だが[12]、情報誌『日経エンタテインメント!』(日経BP)が毎年行なっている「好きな芸人嫌いな芸人ランキング」では男女での支持の差はそれほどない[13]。また同調査では若い世代ほど彼らを支持している傾向にあり、同誌はそれを「冠番組のほとんどが深夜帯であるため、視聴者層がそのままランキングの結果に反映されているのでは」と分析している[13]

漫才の際、登場時のツカミとして汗を拭うフリをしながら「夏だからっ、さまぁ?ず!」と名乗るものがある(夏以外の場合は「○○なのに、さまぁ?ず!」となる)。この原案を考えたのは有田哲平(海砂利水魚、現・くりぃむしちゅー)(後述の改名対決の際)だが、ほとんどの場合大竹はツカミをやらず苦笑いで無視し、三村に「やれよ!」とツッコまれる。また主にネタ見せ番組などでの出囃子(登場する際のBGM)として、TUBESUMMER CITY』などが使われる。

デビュー当時は現在とボケ・ツッコミが逆だったものの、三村がボケたと自覚している笑顔が不評であったためツッコミを担当するようになった。元々はコント以外のフリートークやバラエティ番組などでもボケ(大竹)とツッコミ(三村)の役割がはっきりしたコンビだったが、『内村プロデュース』(テレビ朝日)へ出演以降はこうした番組では2人が等しくボケ合ったり、大竹がツッコミへ回る機会も多くなった。これについて三村は「以前は良いボケを思いついても大竹の役割だからと遠慮していたが、『内P』でその遠慮が消えた」と語っている[14]

1990年代前半から単独ライブをソフト化しており、当時では先進的な試みであった。

かつてゲスト出演した『グータンヌーボ』(関西テレビ)では、「ボケがドSでツッコミがドMの珍しいコンビ」という診断結果が出ていた(精神科医・名越康文による)。実際にネタでも大竹の理不尽な連続ボケに三村が対応しきれず、慌てふためいたところに笑いが起こるといった状態がよく見られる。

多数の冠番組を持つものの、MCには苦手意識がある。特に三村は自身の仕切り能力を自己分析した結果「司会はできない」と公言しており、それは周囲も認めている(ただし『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』(テレビ朝日)などMCの番組進行は、強制的に三村が担当)。そのためか「さまぁ?ずに3人目を入れるなら司会進行のできるアナウンサーしかない」と2人の意見が一致している(3人目の例として、『Qさま!!』での清水俊輔アナを挙げている)[3]


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