さまぁ?ず
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その間の三村はほぼ手しか映らないようなレポーターなど、やや毛色の違う分野での活動でコンビを支えた[注 3]。一方、大竹は地上波といったバラエティ番組(日本テレビ『ジャムパラ』など)の構成を担当していたこともあった。

コンビ愛は極めて強く、三村は『いろもん』(日本テレビ)においてピンでの出演時を「俺の面白さに満足するんじゃねぇよ!と思ってた。バカルディには俺の後ろにもっと面白い奴(大竹)が控えてるんだぞ!」と振り返っている[3]

出川哲朗はさまぁ?ずのコンビ愛の象徴的エピソードとして上記の逸話を好むが、大竹曰く「(レポーターなどの)ギャラは全て三村のみであり、自分は生活が苦しかったので支えてもらっていた訳ではない」と語っている[14]


2人の身長差はないように見えるが、三村は普段から厚底靴を愛用している(三村は165cm、大竹170cm)。

若手時代、三村が寝坊し、大竹がベランダ(当時1階のアパートに住んでいた)から「おい!起きろ!遅刻するぞ!」と起こしに来たが、寝起きで機嫌が悪かった三村は「高飛車な態度で起こすな!」と言ってしまい、その言葉に大竹がキレて窓に並べてあったあらゆる赤べこを三村に向かって投げつけ、先に行ってしまい、三村は内心「待って…」と思ったという。

冠番組のタイトルには、ほぼ全てコンビ名もしくは「さまぁ?ず」をモジったものが付いている(特に深夜番組)。これはテレビ欄を見た際に誰が出ている番組かすぐ分かるようにするためと、これならさまぁ?ずに興味の無い人は見ようとしないという大竹の戦略によるもの。これを続けている以上ファンが根強いファンになることはあっても、それ以上増えることも減ることもまずないだろうと2人は語っている[3]

テレビ番組でのイメージカラー(名前テロップ、発言テロップ、衣装の色など)について、おおむね大竹は青■、三村は赤■が多い(「トゥルルさまぁ?ず」のみ、大竹はピンク■)。

伊集院光は、『大石恵三』が視聴率の低迷で打ち切られたことがバカルディ時代の不遇の原因だと指摘している。また、メンバーは当時の自分たちを「クソつまらなかった」と振り返っている[16]

1996年頃、『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)の番組内で三村のツッコミが何度もネタにされた。岡村隆史ナインティナイン)は当時から三村を「関東一のツッコミ」と称賛し、各所で三村のまねを披露していたが当時の三村の知名度からテレビでそのシーンが放送されるのは稀だった。また、『めちゃ2イケてるッ!』(フジテレビ系)のコーナー「笑わず嫌い王決定戦」にもコーナー開始当初から出演(一時期、裏番組の『ビートたけしの!こんなはずでは!!』(テレビ朝日)のレギュラーであったため出演を自粛した時期がある)。これらもまたさまぁ?ずが後に再び脚光を浴びる下地となっており、メンバーたちも様々な場所で「(再ブレイクは)ナインティナインのおかげ」と語っている[16]

2人とも学生時代からビートたけしを憧れの芸人としている[3]。また、北野武監督作品のファンとも公言している。芸人としてはとんねるずウッチャンナンチャン(特に内村光良を大変尊敬している)から、タレントとしてはタモリ、芸風としてはダウンタウンの影響が強い。芸人では唯一、とんねるず・ダウンタウン・ウッチャンナンチャンといったお笑い第三世代の3組と、昔から現在までそれぞれ交流を持っている。

所ジョージは、バカルディ時代から「俺は面白いと思うよ。俺が面白いと思うだけで売れないかもしれないけどね」とそのコントを評価している[3]

下ネタ・セクハラも辞さず「エロ芸」の域まで高めている2人だが、『モヤモヤさまぁ?ず2』(テレビ東京)でアシスタントだった大江麻理子アナは「さまぁ?ずのお2人は普段非常に紳士的。だからセクハラも気にならない」と語っている[16]。しかし前述の通り、その芸風でBPOに苦情が寄せられたこともある[17]

ズージャ語、所謂「業界用語」を戯けて使うことが多い(「ションテン(=テンション)が下がる」「ルーシー(=汁)が出る」など)。

出川哲朗・ネプチューンキャイ?ンよゐこTIMらと共に「ウンナンファミリー」と呼ばれている[18]

2010年、リリースしたさまぁ?ず関連のDVDが30本を超えた。冠番組のDVDについて大竹は「気がついたらこんなに増えていた」「DVDに相応しくないものは出したくないっていうスタンスじゃないとダメ」、三村は「あらかじめDVDにしますって番組が始まるのが一番嫌い。結果、作品として良かったらDVDにしてくださいって言っています」と述べている。

携帯電話の普及後間もなく2人で一緒に契約したため、電話番号が2数字しか違わない。そのためお互いが相手の番号を覚えている[19]

2人とも好きなミュージシャンはサザンオールスターズで共通しており、桑田佳祐とも交流がある[20]

2人とも同じ美容室に通っている。また、偶然だが同じ美容室通いの芸能人には桑田・原由子夫妻がいる[21]

桑田は2人の才能を認めており、『桑田佳祐の音楽寅さん ?MUSIC TIGER?』(フジテレビ)の収録中に前述の美容院の美容師を通して「なんかいいボケがないか、大竹ちゃんに訊いてくれる?」と尋ねたこともあったといい、収録では大竹が提案したボケを行なったもののオンエアではその部分がカットされたという逸話が存在する[20]。また三村は自身がデザインしたTシャツを桑田へプレゼントしたことがあり、サザンの映像作品にも桑田がそのTシャツを着た姿が映されている[22][23]

コンビ揃って熱狂的な読売ジャイアンツのファンである。

改名のエピソード

バラエティ番組『新ウンナンの気分は上々。』(TBSテレビ)において、海砂利水魚(現・くりぃむしちゅー)と因縁の対決として数々の企画が組まれた。当初は芸能界引退を賭けた勝負だったが、いずれも未経験な競技故に試合が白熱してしまい最初は洒落だと思っていたものが徐々に現実味を帯び始め、3回目の対決だった2000年10月20日放送分にて陸上競技対決を行い、敗れた方が罰としてコンビ名を屈辱的な名前に改名させられることになった。敗れたバカルディは、半年間(後にもう半年延長)「さまぁ?ず」として活動する憂き目に遭った。

「さまぁ?ず」というコンビ名の由来は同番組内での「名前は好きなものにあやかった方が良い」という会話の中で、大竹が「俺は一年中夏で良い」と答えたこと。それを受けて対戦相手である有田が「サマーズ」という案を出し、脱力感のあるひらがなと「?」の表記が良いという内村のアイディアが加わって命名された。2人は「バカルディ」の名に愛着が湧いていたこともあり改名決定直後は大きな抵抗があった。しかし事務所の対応はスムーズで、社内外の資料や仕事先での応対などが瞬く間に「さまぁ?ず」へと移行された。

当初改名は期間限定の予定だったがその期限が過ぎる頃になるとついにブレイクし、「さまぁ?ず」で定着し始めた。2001年3月30日、「さよならさまぁ?ず」と題して番組初の生放送によりバカルディへの再改名をかけて再び卓球対決が行われ、白熱した挙句放送時間内で間に合わず終了。その翌週さまぁ?ずが負けたことが放送された。この白熱は後に「物凄い葛藤があったから」と三村は語っており、放送翌日から「さまぁ?ず」として腹を括ったとのこと[24]。後のビーチバレー対決(2001年9月28日放送)の際は有田が、さまぁ?ずが負けたら個々の芸名をそれぞれ「ビーチ三村」「大竹すいか割り」にする条件を突きつけたが、結果は海砂利水魚の負けとなり海砂利水魚は「くりぃむしちゅー」へ改名させられた。

しかし、芸人の看板とも言うべきコンビ名を安易に変えてしまった内村はその責任を重く感じ、両コンビ(特にさまぁ?ず)を自身のレギュラー番組などで積極的に起用していった。これが不遇の時期を過ごしていた両コンビに世間の目に触れる機会を与え、後のブレイクと現在の活躍を後押しする形となった。
出演
テレビ番組
現在の出演番組
レギュラー


クイズプレゼンバラエティー Qさま!!テレビ朝日、2004年10月 - )MC

モヤモヤさまぁ?ず2テレビ東京、2007年4月 - )MC

月刊プロ野球!さまぁ?ずスタジアムBS日テレ、2018年4月6日 - )MC ※ 月1回放送

紙とさまぁ?ず(テレビ東京、2021年6月29日 - 9月14日・10月27日 - )


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