さまぁ?ず
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舞台、書籍などでも活動している。

2003年、第41回ゴールデン・アロー賞芸能賞受賞[4]

2007年フジテレビNHKを除くキー局で新番組が開始するなど飛躍。深夜のレギュラーが多いことから「深夜の帝王」という異名を付けられた[5]

2010年、大竹が第10回M-1グランプリ決勝の審査員を務めた。

2011年、大竹が第10回M-1グランプリに引き続き、THE MANZAI 2011の決勝審査員を担当。

2014年7月、日本テレビ系で『ネリさまぁ?ず』が開始。NHKを含む全てのキー局で同時にレギュラー番組を持つ[6]

同年10月9日、第31回ベストジーニスト2014で協議会選出部門で受賞[7]

2015?2020年まで、同じ事務所の後輩であるバナナマンと共にコンビでキングオブコント決勝の審査員を担当していた。

2020年8月12日、YouTubeチャンネルさまぁ?ずチャンネル」を開設[8][9][10]
芸風

深夜帯のトーク系バラエティ番組が多いため、テレビタレントとしてのさまぁ?ずの芸風は「ユルい」と評されることが多い。これについて三村は「ユルいことやってるつもりはないけどそう見られる」、大竹は「ユルいは俺らにとってあまりいいことじゃないのに」と語っている。

ネタは主にコントで、ネタ作りは共同で行う。大竹がネタの大半を作り、三村がツッコミのフレーズを考える。大竹の「大竹ワールド」とも称されるシュールなボケと三村の「?かよ!」に代表される豪快なツッコミが特徴的で、ダウンタウンによる漫才の芸風に似ていると言える。「?かよ!」は三村の持ちネタだと思われがちだが、大竹も使っている。

毎年(2005年以降は2年に1回)開催している単独コントライブは、チケットが即日完売するほど人気・評価が高い[11]。メンバーは自分たちの本分は舞台コントにあると考え、多くのレギュラー番組を持っている現在でもコントライブへ重きを置いており、「東のコント職人」と評されている。テレビではコントをベースとした漫才(コントで用いる道具を使わないなど)を披露することもある。他にも大竹の考えたダジャレをコントのネタに織り込んだり、提示されたフリップに対して三村がひたすら「○○かよ!」とツッコむネタもテレビで披露することがある。

即興芸の場では2人とも下ネタを好み、セクハラネタも多い。下ネタ・セクハラが多すぎたあまりBPOに苦情まで来たこともあるものの、オリコン調べの「好きな男性芸人ランキング」(2008年)では総合9位(明石家さんまと同率)、男性回答だと3位。同調査だと女性回答では5位圏外だが[12]、情報誌『日経エンタテインメント!』(日経BP)が毎年行なっている「好きな芸人嫌いな芸人ランキング」では男女での支持の差はそれほどない[13]。また同調査では若い世代ほど彼らを支持している傾向にあり、同誌はそれを「冠番組のほとんどが深夜帯であるため、視聴者層がそのままランキングの結果に反映されているのでは」と分析している[13]

漫才の際、登場時のツカミとして汗を拭うフリをしながら「夏だからっ、さまぁ?ず!」と名乗るものがある(夏以外の場合は「○○なのに、さまぁ?ず!」となる)。この原案を考えたのは有田哲平(海砂利水魚、現・くりぃむしちゅー)(後述の改名対決の際)だが、ほとんどの場合大竹はツカミをやらず苦笑いで無視し、三村に「やれよ!」とツッコまれる。また主にネタ見せ番組などでの出囃子(登場する際のBGM)として、TUBESUMMER CITY』などが使われる。

デビュー当時は現在とボケ・ツッコミが逆だったものの、三村がボケたと自覚している笑顔が不評であったためツッコミを担当するようになった。元々はコント以外のフリートークやバラエティ番組などでもボケ(大竹)とツッコミ(三村)の役割がはっきりしたコンビだったが、『内村プロデュース』(テレビ朝日)へ出演以降はこうした番組では2人が等しくボケ合ったり、大竹がツッコミへ回る機会も多くなった。これについて三村は「以前は良いボケを思いついても大竹の役割だからと遠慮していたが、『内P』でその遠慮が消えた」と語っている[14]

1990年代前半から単独ライブをソフト化しており、当時では先進的な試みであった。

かつてゲスト出演した『グータンヌーボ』(関西テレビ)では、「ボケがドSでツッコミがドMの珍しいコンビ」という診断結果が出ていた(精神科医・名越康文による)。実際にネタでも大竹の理不尽な連続ボケに三村が対応しきれず、慌てふためいたところに笑いが起こるといった状態がよく見られる。

多数の冠番組を持つものの、MCには苦手意識がある。特に三村は自身の仕切り能力を自己分析した結果「司会はできない」と公言しており、それは周囲も認めている(ただし『クイズプレゼンバラエティー Qさま!!』(テレビ朝日)などMCの番組進行は、強制的に三村が担当)。そのためか「さまぁ?ずに3人目を入れるなら司会進行のできるアナウンサーしかない」と2人の意見が一致している(3人目の例として、『Qさま!!』での清水俊輔アナを挙げている)[3]
エピソード

楽屋が同室(『さまぁ?ず×さまぁ?ず』など2人だけでトークする一部の番組を除く
[15])だったり、新幹線飛行機など移動の際にも隣同士で座るなど「仲が良い」と言われることが多い。後者に関して大竹は「隣に知らないおじさんが来るより"知ってるおじさん"が来た方がいい」と述べている。

喧嘩なども少ないが、「他の芸人と戦わねばならないのに、コンビで喧嘩をしている場合ではないから」と語っている[16]

「大竹は神経質で潔癖症。三村はガサツでおおらか」というイメージがあるが、実際は三村もかなり神経質であり、三村が物凄く気にすることを逆に大竹が一切気にしないこともある。

低迷期の頃、三村は大竹に「バカルディの核は大竹だ。ヨゴレ仕事は全部オレが引き受けるから、お前は思う存分ネタを書け」と言い聞かせていた[3]

あくまで本業はお笑いだと、お笑い系でない仕事は多く断っており社内では売れていないくせに態度が大きいと不評だったという[16]

その間の三村はほぼ手しか映らないようなレポーターなど、やや毛色の違う分野での活動でコンビを支えた[注 3]。一方、大竹は地上波といったバラエティ番組(日本テレビ『ジャムパラ』など)の構成を担当していたこともあった。

コンビ愛は極めて強く、三村は『いろもん』(日本テレビ)においてピンでの出演時を「俺の面白さに満足するんじゃねぇよ!と思ってた。バカルディには俺の後ろにもっと面白い奴(大竹)が控えてるんだぞ!」と振り返っている[3]

出川哲朗はさまぁ?ずのコンビ愛の象徴的エピソードとして上記の逸話を好むが、大竹曰く「(レポーターなどの)ギャラは全て三村のみであり、自分は生活が苦しかったので支えてもらっていた訳ではない」と語っている[14]


2人の身長差はないように見えるが、三村は普段から厚底靴を愛用している(三村は165cm、大竹170cm)。

若手時代、三村が寝坊し、大竹がベランダ(当時1階のアパートに住んでいた)から「おい!起きろ!遅刻するぞ!」と起こしに来たが、寝起きで機嫌が悪かった三村は「高飛車な態度で起こすな!」と言ってしまい、その言葉に大竹がキレて窓に並べてあったあらゆる赤べこを三村に向かって投げつけ、先に行ってしまい、三村は内心「待って…」と思ったという。

冠番組のタイトルには、ほぼ全てコンビ名もしくは「さまぁ?ず」をモジったものが付いている(特に深夜番組)。これはテレビ欄を見た際に誰が出ている番組かすぐ分かるようにするためと、これならさまぁ?ずに興味の無い人は見ようとしないという大竹の戦略によるもの。これを続けている以上ファンが根強いファンになることはあっても、それ以上増えることも減ることもまずないだろうと2人は語っている[3]

テレビ番組でのイメージカラー(名前テロップ、発言テロップ、衣装の色など)について、おおむね大竹は青■、三村は赤■が多い(「トゥルルさまぁ?ず」のみ、大竹はピンク■)。

伊集院光は、『大石恵三』が視聴率の低迷で打ち切られたことがバカルディ時代の不遇の原因だと指摘している。また、メンバーは当時の自分たちを「クソつまらなかった」と振り返っている[16]

1996年頃、『ナインティナインのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)の番組内で三村のツッコミが何度もネタにされた。岡村隆史ナインティナイン)は当時から三村を「関東一のツッコミ」と称賛し、各所で三村のまねを披露していたが当時の三村の知名度からテレビでそのシーンが放送されるのは稀だった。また、『めちゃ2イケてるッ!』(フジテレビ系)のコーナー「笑わず嫌い王決定戦」にもコーナー開始当初から出演(一時期、裏番組の『ビートたけしの!こんなはずでは!!』(テレビ朝日)のレギュラーであったため出演を自粛した時期がある)。


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