さだまさし
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

注釈^ この時のことを歌ったのがソロ・アルバム第1作目の『帰去来』に収録されている「転宅」である。
^ その際、ヤングジャパングループ所属だったアリスの谷村新司はヤングジャパングループ代表の細川健に採用を薦めるが、細川はプロフィール写真を見て「貧乏神のようだ」として採用を見送っている。谷村は「その際に細川が『貧乏神』と譬えたのは吉田正美の方ではなくお前の方だった。」とさだに語っている。
^ さだはミュージシャンで、映画制作については専門外(「畑ちがい」)で、映画制作の資金調達の一般的なしくみを知らなかった。映画というものは大抵は製作費が膨らみ巨大化するもので、一般に(ある程度以上の規模の)映画の制作というものは、まずは多数の出資者候補に企画の概要を書いた文書を提示し、興業が成功した場合の利益分配の割合も提示した上で、出資を募って、(その中の、出資する気になってくれた出資者たちとの間に)まずは出資してもらう契約を結び、実際に資金を提供してもらい、それによって制作者側の金銭的リスクがほぼ無くなるような形で資金を確保しておいてからようやく制作に着手するものだ、という映画界の一種の常識を知らなかった。(ハリウッドでも、イギリス映画界、韓国映画界でも、世界を見渡すと一般に、映画への出資者というのは、多数の映画に分散して出資(投資)し、ほとんどの映画は興業に成功せず出資した分がほぼ返ってこないが、5本?10本のうち1本ヒットすれば、それが一種の大きな「配当」をもたらし、結果として自分の資金がむしろ増える、という構図のもとに出資は行われている。(投資として見返りを期待しつつ)出資をしたがっている人々、出資を受けて映画を制作したがっている人々、それら双方が互いに接触し契約を結ぶための、一種の市場(マーケット)のようなものもある。後年、さだはビートたけしと対談した時に、(たけしのほうは、映画の制作や監督業で成功を重ねたわけだが)たけしから世の中の映画の制作の金銭的なしくみを説明され、さだは当時の自分の未熟さをかみしめつつ、反省の弁を述べることになる。なお韓国の映画制作の講座(映画制作を目指す人々のための講座)で、重きを置いて徹底的に教えられていることは(素人が想像するような、脚本づくり、演出方法、カメラワークなどではなく)特に資金調達の方法・テクニックなどである。実に、講座で教える時間の半分ほどもの時間を割いて、資金調達について教えている。映画制作をやりたがるような人々というのは、大抵、芸術的な面にばかり気をうばわれ、資本(お金)のしくみに疎く、それが盲点になりがちで、致命的なミスを犯しがちで、そのミスによって映画制作を試みる若者の人生が狂い再起不能になりがちなので、若者を愛すればこそ(芸術な要素で頭が一杯になりがちな芸術家志向の人々に対しては、彼らを護るために、彼らを愛すればこそ、なおさら)徹底して(彼らが、うかつにも関心を示さない)資金調達に重きを置いてそれのノウハウを教え込まなければならないわけである。
^ この借金については自身31作目のシングル「建具屋カトーの決心?儂がジジイになった頃」の中の歌詩にも盛り込まれている。本人は「ガビ山からゴビ砂漠に向かってションベンして、借金して、島の王様で、昔は歌手、と言っても『嘘つけ、このハゲ!』なんか言われてしまうだろう」と述べている。
^ ニューミュージックは70年代後半から広く使われるようになった言葉で、松任谷由実中島みゆきアリスサザンオールスターズなどがその代表格とされた。「フォーク=暗い」「ロック=不良」といった旧来のイメージを払拭し、「新しい若者の音楽」として再定義したと言える。
^ 落研当時の高座名は「飛行亭つい楽」。
^ なお長崎にも三菱重工長崎サッカー部がある。
^おひさま?大切なあなたへ」など、さだのプロデューサー・渡辺俊幸が関わる平原の楽曲も何曲か存在する。
^ なお、元々は『さだおばさん』自体はさだまさしとは全く関係なく、森林鉄道の駅長になった行商の「さだ」さんと、村の人々のふれあいを描いた絵本である(苗字が「佐田」ではなく名前が「サダ」「定」などの「さだ」。「さだ」さんは雪の中での線路点検作業中に雪崩に巻き込まれて亡くなってしまう)。「#主な映像作品など」の項目にあるように、後にさだが監督となって映画化されている。
^ 現在では「島原の子守唄」は山梨民謡「甲州縁故節」からの編曲であることが知られている。
^ 2023年10月20日放送分のTBSテレビ『オオカミ少年』で、ジェシー自ら「さださんの連絡先を知っている」と説明したため。
^ 同年4月24日13:05に再放送された。
^ 当初は7月8日からの放送開始予定であったが、同日午前11時31分頃に発生した安倍晋三元首相銃撃事件に伴い、夜半に至る報道特別番組が編成されたため、放送開始が1週間順延される事となった。
^ a b 特別企画で出場。22回の出演時に特別企画で出場した回もカウントされていた。

出典^ “プロフィール ― PROFILE”. さだまさしオフィシャルサイト. さだ企画. 2021年12月19日閲覧。
^ “卒業生紹介”. 國學院高等学校. 2021年12月19日閲覧。
^ ばるぼら (2019年2月7日). “平成と共に育った音楽ジャンル“J-POP”の始まり”. 音楽ナタリー. (株)ナターシャ. 2021年12月19日閲覧。 “ただしニューミュージックならなんでも流すわけではなく、例えば代表的な存在である松山千春やさだまさしは流れていない。”
^ (インタビュー)「Interview:さだまさし フォークに原点回帰 時代超える名曲、カバーアルバムに」『毎日新聞』、毎日新聞社、2021年11月25日。https://mainichi.jp/articles/20211125/dde/018/200/015000c。2021年12月19日閲覧。 
^ a b c .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、80頁。
^ “ホームカミングデー 渋谷”. 國學院大學. 2019年10月27日閲覧。
^ “さだまさし、東京藝術大学の客員教授に就任”. 音楽ナタリー. 株式会社ナターシャ. 2020年10月18日閲覧。
^ “さだまさし、ソロコンサート通算4,400回を達成&アニメーション・ムービー「主人公」公開 。Daily News”. Billboard JAPAN. 2021年2月3日閲覧。
^ “ファミリーヒストリー「さだまさし?スパイだった祖父 大陸の奥地へ?」(NHK総合)”. Goo. (2018年9月17日). https://web.archive.org/web/20190419192950/https://tvtopic.goo.ne.jp/kansai/program/nhk/28131/747009/ 2019年4月20日閲覧。 
^ さだまさし『もう愛の唄なんて詠えない』(ダイヤモンド社、2007年、pp.177-178)および、さだまさし『噺歌集V』(文藝春秋 1993年 pp.62-70)
^ 出典:さだまさし『時のほとりで』1980年 新潮文庫。 pp.172-173掲載の「転宅」の解説より
^ さだまさし『時のほとりで』p.172
^ a b 京成電鉄発行「京成らいん」2015年6月号 p.6
^ a b c d e f “〔時代の証言者〕 現代の吟遊詩人 さだまさし(9) 帰郷 音楽仲間と再起”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 18. (2020年11月14日) 
^ 外山恒一青いムーブメント(4) (ファシズムへの誘惑・ブログ)
^ a b c d e f g h “〔時代の証言者〕 現代の吟遊詩人 さだまさし(20) 長崎から『大切な人』思う”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 8. (2020年11月30日) 

次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:199 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef