東京都目黒区[8][9] 出身。身長175cm[1][5]、体重70kg[1][5]。血液型はA型[5]。妻は声優の上田みゆき[4]。所属事務所は長良マネジメント[9]。現在は、長良グループ(株)ワン・ペアー[5]。
本名および旧芸名(別名義)は佐々木 功[1][4](読み同じ)。活動内容によって「佐々木功」「ささきいさお」と名義を使い分けていた時期もあったが、現在は活動の区別なく平仮名表記の「ささきいさお」を用いている(詳細は後述)。
代表曲「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」などアニメソングで多くのヒット曲を持つことから「アニメソング界の大王」と呼ばれ[10][11]、水木一郎・堀江美都子・大杉久美子とともに「アニメソング四天王」の一人に数えられている[12][注 1]。 高校時代より歌手として活動。1960年、日本コロムビアより「本命はお前だ」(エルヴィス・プレスリーの日本語カバー曲)でロカビリー歌手としてデビュー[15]。ささきの雰囲気がプレスリーに似ていたことから「和製プレスリー」のキャッチフレーズで売り出していた。 歌手業と並行して俳優活動もはじめ、1960年には大島渚の監督映画『太陽の墓場』の主役に抜擢され、松竹の専属俳優として松竹ヌーヴェルヴァーグの映画に数多く出演[15]。1962年に『この先カーブあり』でテレビドラマ初出演[15]。 1964年、クラウンレコードに移籍[15]。ヌーヴェルヴァーグ路線が終わり、ロカビリーブームも去ると、俳優活動・歌手活動ともに不遇の時代を迎える。この不遇の時期に島田敬穂(島田歌穂の父)から指導を受け歌唱・発声を基礎から学び直す。また、俳優としても1967年から約10年間、金子信雄主宰の演劇人クラブ「マールイ」に参加し演劇の基礎を学ぶ[15]。 1968年、エルヴィス・プレスリーの主演映画『燃える平原児』において、プレスリーの日本語吹き替えを担当[15]。これ以降、声優としての活動も行うようになる。『マイティ・マウス』にてマイティ・マウス役を担当、アニメーション作品初出演[16]。 1969年、テレビドラマ『妖術武芸帳』で主演[15]。1972年、声優としてテレビアニメ『科学忍者隊ガッチャマン』にてコンドルのジョー役を担当、国内アニメーション作品初出演[15]。 1973年、テレビアニメ『新造人間キャシャーン』の主題歌歌手に抜擢。ささきいさおの芸名でアニメソング歌手として歌手活動を再開[15]。
来歴