ささきいさお
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1964年、クラウンレコードに移籍[15]。ヌーヴェルヴァーグ路線が終わり、ロカビリーブームも去ると、俳優活動・歌手活動ともに不遇の時代を迎える。この不遇の時期に島田敬穂(島田歌穂の父)から指導を受け歌唱・発声を基礎から学び直す。また、俳優としても1967年から約10年間、金子信雄主宰の演劇人クラブ「マールイ」に参加し演劇の基礎を学ぶ[15]

1968年、エルヴィス・プレスリーの主演映画『燃える平原児』において、プレスリーの日本語吹き替えを担当[15]。これ以降、声優としての活動も行うようになる。『マイティ・マウス』にてマイティ・マウス役を担当、アニメーション作品初出演[16]

1969年、テレビドラマ『妖術武芸帳』で主演[15]。1972年、声優としてテレビアニメ『科学忍者隊ガッチャマン』にてコンドルのジョー役を担当、国内アニメーション作品初出演[15]

1973年、テレビアニメ『新造人間キャシャーン』の主題歌歌手に抜擢。ささきいさおの芸名でアニメソング歌手として歌手活動を再開[15]。以降、数々のアニメ・特撮作品の主題歌を担当することとなる。『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』の主題歌が一世を風靡し、ミリオンセラーを記録。大杉久美子水木一郎子門真人堀江美都子らと共に、アニメソングの黎明期を支えた。

1981年、現在の妻・上田みゆき結婚。互いに子連れでの再婚となり、そのときの苦労は1986年に出版された『子連れ再婚の片道切符』に描かれている。

1983年に劇場用アニメ作品『宇宙戦艦ヤマト 完結編』が公開され、関連楽曲を発表して以降は数年にわたり楽曲のリリースを一時休止[15]し、俳優業やナレーター、洋画の吹き替えを中心に活動をシフトしていく。

1998年に約10年ぶりにアニメソングを歌唱し、同年ベストアルバム『佐々木功シングルコレクション '73?'87』をリリース。以降、アニメソング歌手としての活動を本格的に再開する。2004年より定期的に行われているライブイベント「スーパー戦隊“魂”」では、公演座長を務めている。

以降も現在に至るまで俳優(声優)業、歌手業を並行して行い、2011年に「第5回声優アワード」において功労賞[17] を受賞、2015年には「東京アニメアワード2015」において歌手としてアニメ功労賞[18] を受賞している。
人物・エピソード

趣味は、オーディオ・ビジュアル[1]釣り[1]ゴルフなど[1]。とりわけオーディオやホームシアターへの造詣は深く、専門誌でコラム連載の経験もある[19]普通自動車運転免許[1]四級小型船舶操縦士免許所持[1]

父方曽祖父は海軍主計総監で初代海軍主計学校長の奈良真志[20][21]、見込まれその娘と結婚した祖父は東京帝国大学出身で海軍主計中将佐々木重蔵[22][23]、父は早稲田大学出身の一級建築士[20]、母方祖父は父方と同じ東京帝国大学出身で朝鮮火薬製造監査役を務めた寺井俊治[24][25]、母方祖母の兄は満州国最高法院院長の井野英一農林大臣法務大臣などを歴任した井野碩哉[20][26] というエリート一族で、両親からは両祖父の母校でもある東京大学への進学を望まれていた。本人も東大工学部志望で、成績も武蔵で1?3位と良かった[26]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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