ささきいさお
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普通自動車運転免許[1]四級小型船舶操縦士免許所持[1]

父方曽祖父は海軍主計総監で初代海軍主計学校長の奈良真志[20][21]、見込まれその娘と結婚した祖父は東京帝国大学出身で海軍主計中将佐々木重蔵[22][23]、父は早稲田大学出身の一級建築士[20]、母方祖父は父方と同じ東京帝国大学出身で朝鮮火薬製造監査役を務めた寺井俊治[24][25]、母方祖母の兄は満州国最高法院院長の井野英一農林大臣法務大臣などを歴任した井野碩哉[20][26] というエリート一族で、両親からは両祖父の母校でもある東京大学への進学を望まれていた。本人も東大工学部志望で、成績も武蔵で1?3位と良かった[26]。が、高校二年頃だんだんと勉強が面白く感じなくなっていき、成績も下降気味だった折、友人の薦めで日本テレビののど自慢番組に出た所、審査員長だった服部良一に「君は東京のプレスリーだね」と褒められたことから歌手を志すようになり[27]、当時法務大臣だった井野が日本コロムビアのディレクターと知り合いだったことから、紹介してもらいテストを受ける[26]。その場に立ち会ったのが東洋企画を立ち上げたばかりの堀威夫で、やはりプレスリーに似ていると評価され、そのまま堀のマネージメントを受けることとなった[26]。当時の担当マネージャーには、相澤秀禎もいた[28][29]

なお、『宇宙戦艦ヤマト』のプロデューサー・西崎義展、SF設定等を担当した豊田有恒とささきの3人は武蔵高等学校の同窓[注 2]であり、「宇宙戦艦ムサシ」にしておけばよかったのでは、とのジョークすら生まれたとのこと[30]

二代目松本白鸚は暁星小学校の同級生[注 3][8][26]。後に蜷川幸雄演出の『ロミオとジュリエット』や、ラジオなどで共演している。
歌手として

「キーを下げて歌うようならもう現役じゃない」という信条のもと、過去の楽曲も当時のキーのまま(いわゆる原曲キー)で歌うことを貫いており、それに必要な体力や声を保つためにエアロビクス、腹筋の鍛錬、鉄アレイを持ちながらの発声練習などを行っているという[31]

「和製プレスリー」と称されたデビュー当時のささきについて、草野昌一は「単なる真似ではなく、もって生まれたもの自体が(プレスリーに)似ている」と評していた。一方で、デビュー当時マネージメントを担当した堀威夫は著書で「デビュー時の歌唱力はとても人前で披露できるようなものではなかった」と述べており、ささき本人も当時の自らの歌について「気持ち悪い」「プレスリーはこんなに歌がヒドくない」などと自虐的に振り返っている[注 4]

アニメソング主題歌を担当することになったのは『科学忍者隊ガッチャマン』のパーティーの席上でスタッフから「歌手だったし、主題歌を歌ってみませんか?」と声をかけられたことがきっかけ[27][32] であり、ささき自身は「当時、幼稚園に通っていた息子には『パパはアニメの主題歌も歌うんだぞ』というところを見せられるという思いもあった」と語っている[27][33]

アニソン歌手としてデビューする際に名義が平仮名表記となったのは、「漢字表記のままでは(当時ささきが声優を担当していた)コンドルのジョーが歌っているようでまずい」[33]、という理由によるもの。当初は『新造人間キャシャーン』の主人公である「東鉄也」名義にする案も挙がっていたが、ささきが拒んだため平仮名表記に落ち着いた[34]

アニソン歌手デビュー以後、基本的には俳優・声優として活動する時や、アニメ・特撮に関連しない曲を歌う時は「佐々木功」、アニメソング歌手として活動する時や、主題歌に関わったアニメでの声優出演時は「ささきいさお」と二つの芸名を使用していたが、1987年の『超人機メタルダー』の主題歌以降は、アニメソング歌唱の際も「佐々木功」の名前を用いるようになった。


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