『神のちから』『神のちからっ子新聞』では、『ちびまる子ちゃん』とは別系統の笑い[60]、ナンセンスさを追求した作風となった[61]。ナンセンスな部分は、漫画・アニメの『コジコジ』にも受け継がれている。
エッセイでは、家族や親しい友人相手でも歯に衣着せぬ物言いで綴っているほか、毒気を含んだ独特の比喩表現も多く用いている[注 12]。祖父の死を扱った「メルヘン翁」を『青春と読書』で発表した後に批判が寄せられた際、「私は自分の感想や事実に基づいた出来事をばからしくデフォルメする事はあるが美化して書く技術は持っていない。それを嫌う人がいても仕方ないし、好いてくれる人がいるのもありがたい事である」と自著で述べている[62]。
2000年代以降のエッセイは、過去の体験談よりも、直近の体験や仕事を基にしたものが主流となったほか、絵日記型式の割合も増えていった。初期のエッセイは自嘲的な表現もしばしば用いられたが[63]、後年のエッセイでは家族や他者に対しての恨み節が混ざった表現も見られるようになった[64]。エッセイの挿絵では、さくらの両親に関しては基本的に執筆当時の実年齢を無視して『ちびまる子ちゃん』時代の姿で描かれている。 ペンネームの由来は、花の「さくら」と「もも」から。経緯は、最初の漫画投稿が不発だったため、高校3年生の夏に漫才師か落語家を目指そうと考えていた時期に、同時に芸名も考えていたことによる。自身の好きな花から候補を挙げ、最終的に残った「すみれ」「さくら」「もも」の中から、「さくら」と「もも」を繋いで「さくらももこ」とした。後に漫画の投稿活動を再開したときから、このペンネームを使用している[65]。「すみれ」は、後に『ちびまる子ちゃん』での母親の名前に使用している[注 13]。 漫画家の夢については、高校3年生の夏に親友の穂波に明かすまでは誰にも語っていなかったが、一部の教師や友人にはそれ以前に気付かれていた[66]。また、最終的にはエッセイストになりたい、という夢を中学・高校以降の友人(浜崎憲孝が『ちびまる子ちゃん』の花輪和彦のモデルと評した女性)には明かしていた[67]。 少女時代から作文が得意で、短大の模擬試験の作文課題では採点者から「清少納言が現代に来て書いたようだ」と評価されるほどであった。このことが、エッセイ漫画へと舵を切るきっかけの一つとなった[68]。投稿時代は、何度も編集側からストーリーギャグ漫画への路線変更を提言されていたが、無視してエッセイ漫画での勝負を続けた。最終的には編集側も折れ、エッセイ漫画でのデビューを認めた[69]。 デビュー以降の自画像は、デビュー当初はおかっぱ頭、もしくはまる子そっくりな姿で描かれていた。『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』の制作レポート(1992年)では二つ結びに変化、1993年ごろから[70]は、顔と前髪はまる子と同一・髪型は三つ編み、で定着するようになった。晩年は、三つ編み以外の自画像も使われた[71]。 活動初期(1990年代初期まで)はメディアに顔を出すこともあったが[72]、長男出産後あたりからは素顔がはっきり分かる状態での露出を避けるようになり[73]、雑誌『富士山』や『おめでとう』などで写真に写る際も、横顔や後ろからのカットなどで対処していた(変装時は除く)。なお、これらの誌面では自画像とは異なり、三つ編み以外の髪型になっていた。 小学校(「まる子」だった)時代は、『ちびまる子ちゃん』で描かれていたように怠け者かつ勉強に真面目に取り組まなかったことから、しょっちゅう母親に怒られていたという。怒られること自体への煩わしさは感じていたが、作者曰く「居眠りで他人に迷惑をかけているわけではない」「万引きや、家庭内暴力みたいに人や物を傷付けたりはしてないので、怒られる筋合いは無い」と、反省はしなかったと語っている[74]。17歳までは怠け者な生活習慣が直らず、母親に「苦労して産んだのに」と泣かれたこともある[75]。一方で、漫画・アニメで怠け者だった過去の自分を描いているため、息子が怠けていてもきつく叱れなくなった、とも自著で述べている[76]。 課外活動は、小学校ではそろばん塾、中学校では学習塾に通っていたが、いずれも先生が怖くて苦痛だったと語っている[77]。塾とは別に、小学校ではバトントワリングの教室や部活動にも参加していた[78][79]。 姉とは、幼少期は漫画やエッセイなどで描かれているようにケンカが絶えず(友人と遊んでいるときでも、ひょんなことからケンカを始めてしまうほど[80])、母親を困らせていたという[81]。成人後は、姉の厄年(1995年ごろ)に姉妹始まって以来の大ゲンカをして2年間絶縁状態に陥った[82]が、その後関係を持ち直した[83]ほか、2002年には姉妹共同でゲームソフトの制作にも携わった(後述)。姉も絵が好きだったこともあり、短大時代に高額な絵画を購入して親から咎められた際、姉がかばってくれたこともある、と自著で述べている[84]。 同級生として元サッカー日本代表の長谷川健太や放送作家の平岡秀章がいる[85]。
人物・交友関係