漫画は、「ヘタウマ」とも評される[52]素朴なタッチで描かれる場合が多い。投稿時代初期には正統派の少女漫画風タッチであったが、エッセイ漫画に舵を切った際、意図的な戦略としてタッチを変更した[53]ことに起因している。人物の場合は、身体のラインを極力出さない作画にしている[注 9]。一方、漫画版『ひとりずもう』をはじめ、時折少女漫画風のタッチを用いることもある。また、『ちびまる子ちゃん』『コジコジ』の扉絵は絵画風の凝ったデザインで描かれた事もあった。これは、さくらが一時期凝っていたインド美術や、敬愛するシンガポール生まれの絵本作家、エロール・ル・カインに影響を受けたものである[56]。
初期はエッセイ漫画を軸に学生時代の「あるあるネタ」やほのぼのとした作風を中心にしていたが、徐々にシニカル・ブラックユーモア・不条理ギャグ的な作風も色濃くなっていった[注 10]。後年?晩年にかけて発表した『4コマちびまる子ちゃん』『ちびしかくちゃん』ではその傾向が強く、読者の評価もはっきり割れる形となった[57][58]。これらはさくらが学生時代に愛読していた漫画雑誌の一つ『月刊漫画ガロ』の作風にも通じている[注 11]。さくらと交友のあった尾田栄一郎は、「さくらさんは少しいじわるな笑いが大好き。人が持っているムズがゆい部分をつつく。これができるのは、人間が大好きで鋭く見ていて、正直な人。」と彼女の没後に語っている[59]。エッセイも含めて、「〇〇って一体…(例:私って一体…)」「あたしゃ情けないよ」など、自虐的なフレーズもよく用いている。
『神のちから』『神のちからっ子新聞』では、『ちびまる子ちゃん』とは別系統の笑い[60]、ナンセンスさを追求した作風となった[61]。ナンセンスな部分は、漫画・アニメの『コジコジ』にも受け継がれている。
エッセイでは、家族や親しい友人相手でも歯に衣着せぬ物言いで綴っているほか、毒気を含んだ独特の比喩表現も多く用いている[注 12]。祖父の死を扱った「メルヘン翁」を『青春と読書』で発表した後に批判が寄せられた際、「私は自分の感想や事実に基づいた出来事をばからしくデフォルメする事はあるが美化して書く技術は持っていない。それを嫌う人がいても仕方ないし、好いてくれる人がいるのもありがたい事である」と自著で述べている[62]。
2000年代以降のエッセイは、過去の体験談よりも、直近の体験や仕事を基にしたものが主流となったほか、絵日記型式の割合も増えていった。初期のエッセイは自嘲的な表現もしばしば用いられたが[63]、後年のエッセイでは家族や他者に対しての恨み節が混ざった表現も見られるようになった[64]。エッセイの挿絵では、さくらの両親に関しては基本的に執筆当時の実年齢を無視して『ちびまる子ちゃん』時代の姿で描かれている。
人物・交友関係