さくらももこ
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1984年 - 静岡英和女学院短期大学(現・静岡英和学院大学短期大学部国文学科在学中に『りぼんオリジナル』冬の号(集英社)にて「教えてやるんだありがたく思え!」(「教師」をテーマとしたオムニバス作品、「ちびまる子ちゃん」第1巻に掲載)でデビュー。

1986年 - 静岡英和女学院短期大学卒業、同年4月に上京しぎょうせいに入社する。しかし、勤務中に居眠りするなどして、上司から「会社を取るか、漫画を取るかどちらか選べ」と迫られ「漫画家として生活していく」と回答したため、同年5月末に入社わずか2か月で退職する[注 2]

ちびまる子ちゃんが大ヒット

1986年8月、『りぼん』で「ちびまる子ちゃん」の連載開始。

1989年 - 『ビッグコミックスピリッツ』30号(7月10日号、小学館)から「神のちから」の連載開始。

当時の『りぼん』担当編集者宮永正隆結婚

1989年度(平成元年)、第13回講談社漫画賞少女部門受賞(『ちびまる子ちゃん』)。

ちびまる子ちゃんアニメ化

1990年 - 『ちびまる子ちゃん』がフジテレビ系でアニメ化され、国民的に知名度を高める(1992年9月終了)。主題歌『おどるポンポコリン』の作詞で第32回日本レコード大賞を受賞。1991年には西城秀樹が歌う『走れ正直者』も主題歌(第2弾)としてヒットする。1991年からは、自身もアニメ脚本を手掛ける。( - 1999年4月)。

1990年 - 宮永とともに、自身の創作活動のための会社「株式会社さくらプロダクション」を設立[5][6][7]。設立当初は宮永が社長を務めた[6]

1991年 - 初エッセイ集『もものかんづめ』(集英社)発表。10月より宮永とともにニッポン放送オールナイトニッポン』月曜1部のパーソナリティを務める。(1992年10月まで)

1992年1月2日 - ドラマ『さくら家の人びと』がNHKにて放映(脚本:東多江子[8]。事前にさくらが脚本及びキャスティング案を提出していたにもかかわらず、さくら側の意向を無視して脚本の改変やキャスティングの変更が行われていたことを、2024年2月に宮永が明かしている[9]

1992年9月 - 『ちびまる子ちゃん』のアニメが一旦放送終了。

1992年 - 第27回新風賞受賞(『さるのこしかけ』)[10][11]

1992年 - 第27回造本装填コンクール「コミックス部門」受賞(『神のちから』)[12]

1994年4月 - 長男、陽一郎[15][注 3]誕生。

1995年1月 - 『ちびまる子ちゃん』のアニメが放送再開(第二期)。

1995年 - 第30回造本装填コンクール「日本図書館協会賞」受賞(『そういうふうにできている』)[16]

1996年 - 仕事と子育ての両立が難しくなったこともあり、両親を東京に呼んで再び同居するようになる[17][注 4]

1997年 - 『コジコジ』がアニメ化される( - 1999年)。自身が脚本も手掛ける( - 1999年4月)。

1998年 - 宮永と離婚。自著ではその前年に別居に踏み切ったとの発言もある[18]。宮永はさくらプロダクションからも去り、さくらが同社代表となっている[19]

1999年4月 - 1991年以降(『コジコジ』は1997年の放映開始時点)から継続してきた、『ちびまる子ちゃん』『コジコジ』のアニメ脚本の仕事を降板、同時に脚本監修もさくらプロダクションの多田弘子に託した。降板理由について、さくらは「毎週脚本を2本書き続けなければならない状況が窮屈になってきた」「『私の人生にはいつまでもホッとする間がないのか』と思うようになっていた」と後に自著で述べている[20]。後任の脚本家には、小学校時代の同級生である平岡秀章も名を連ねた。なお、降板後も、不定期で脚本を手掛けた[21]

1999年12月 - 自ら編集長を務めた雑誌『富士山』(新潮社)の第1号が発売される。

2000年代

2000年 - NHK全国学校音楽コンクールのために「こうしていよう」を作詞。

2002年 - 親子共作による絵本+エッセイ『おばけの手』を発表。原案担当の長男はさくらめろん名義[注 3]

2003年 - イラストレーターうんのさしみと再婚。

2005年 - デビュー20周年を記念し、各地で原画展「さくらももこワールド 20年の軌跡展」を開催。

2005年 - エッセイ『ひとりずもう』(小学館)発売。2007年度末時点で30万部突破と、エッセイでは久々のヒット作となる[22]。2006年には、『ビッグコミックスピリッツ』で漫画版の連載が同年10号より開始( - 2007年51号)。

2006年 - 4月18日、『ちびまる子ちゃん』実写ドラマ化。自身は第1話の脚本も担当。

2006年 - 10月27日、完結した長文型式のエッセイとしては最後の作品となった『おんぶにだっこ』(小学館)発売。なお、Q&A形式のエッセイは2007年、絵日記シリーズのエッセイは2012年までは新作の発表を継続。

2006年 - 10月31日、『ちびまる子ちゃん』実写ドラマ第2作放送。

2007年 - 4月19日、レギュラーとして実写ドラマ+バラエティの複合番組『まるまるちびまる子ちゃん』放送開始。原作を同じくする実写とアニメが同時期に放送される珍しいケースとなる(2008年2月28日放送終了)。

2007年 - 7月1日、4コマ漫画『ちびまる子ちゃん』が中日新聞東京新聞北陸中日新聞日刊県民福井北海道新聞西日本新聞河北新報中国新聞徳島新聞神戸新聞朝刊にて連載開始。8月1日からは新潟日報でも連載が開始される(2011年12月31日連載終了)。なお、没後に東京新聞に掲載された記事によれば、この連載の当時から乳がんを患っていたという[23]。また、さくらとも関わりの深かったデザイナーの祖父江慎は、この時期のあたりから家族の方を優先して仕事を抑え気味にしていた、と彼女の没後のインタビューで語っている[24][注 5]

2010年代

2013年 - 4月18日、『永沢君』が実写ドラマ化される(同年9月30日に放送終了)。

2013年 - 10月1日、約6年ぶりに『ちびまる子ちゃん』が実写ドラマ化される[25]

2014年-2015年 - デビュー30周年を記念し、『さくらももこの世界展』を各地で開催する。

2014年7月 - シンガーソングライター琵奈子とともにユニット『イエローパープル』を結成(プロデュースと作詞担当)[26]
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